できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「学校」を相対化するまなざし

2008-11-05 09:43:41 | 受験・学校

以前、このブログで、大阪市教委の「重点改革プラン」への疑問を投げかけておきました。また、それは例のパブリック・コメントでも送っておきました。

そのときからも感じていましたし、前々から私は思っていたのですが、私は<「学校改革=教育改革」であってはならない>という考えを持っています。それはいうまでもなく、<社会教育・生涯学習という領域の存在を忘れてほしくない>からです。

例えば、これは大阪府下の解放運動の関係者や、子どもの人権のことを含む他の人権問題に関する社会運動の関係者の人たちにぜひ考えてほしいのですが、今後、橋下知事の教育改革路線が定着していけば、おそらく、学校教育において「子どもの人権」を守る取組みとか、あるいは、差別の問題やジェンダーの問題などの数々の人権諸課題に関する学習とかは、どんどん、その機会が減らされていく危険性があります。また、障害のある子どもが普通学校で地元の子どもたちと「ともに育つ」という取組みも、今後、大幅に後退する危険性があります。そういうときに、今後、今まで各運動が培ってきた取組みの成果は、どうやって継承していくのでしょうか?

私としては、そういう事態がたとえ生じても、ほんとうにこの社会で私たちが人間らしい暮らしができるようになる、そのために必要なことを学ぶためには、学校以外のところでそれが学べる機会を十分に用意しておくことが必要になると思っています。

つまり、学校外で学習機会の整備、たとえば社会教育や生涯学習という領域での人権学習だとか、「人権を尊重するコミュニティ形成」に向けての学習機会の整備ということが、今後、ますます重要になってくると思うのです。

それこそ、学校は「学力向上」一色に染まって「人権学習などどうでもいい」という状態になったとき、今まで学校での人権学習を推進してきた人びとは、どうするんでしょうか?

もちろん、学校内で粘り強く、必要なことをやりつづける人たちも必要です。と同時に、学校の外で、「学校では教えない・学べない、大事なことを学ぶ」という機会を整備して、学校内で粘り強く活動している人たちを支えることも必要でしょう。そして、場合によれば、学校外の拠点から、「もっとこういうことをやるべきだ」と、学校に対してもの申すことも必要になってくるでしょう。だからこそ、今、「社会教育・生涯学習」という領域は重要だと思うのです。

あるいは、今、「学校を支える地域コミュニティ」とか、「学校・家庭・地域の連携」とか、「地域の人材が学校に入る」という人たちがいます。これも、今の教育改革の動向として、大阪府や大阪市に限らず、全国各地でとりくまれていることです。

ですが、学校で教える・学ぶ内容や、学校教育の目指すべき方向性の検討抜きにして、「地域社会や家庭が学校を支える」などということは、危険すぎます。何らかの教育改革によって、「地域社会や家庭が支えてはならないもの」が学校に入ってきた場合、どうするのでしょうか? あるいは、学校教育が子どもの成長にとって必要なものではなく、逆にマイナスのものしか出てこないような場になったとしても、それでも、地域社会や家庭は学校を支えるのでしょうか?

そんな場合は「冗談じゃない、学校はもっと、変わらねばならない」と、地域社会や学校の側から、何か「もの申す」ということが必要なのではないでしょうか。こうしたことは、不登校の子どもたちとかかわるNPO活動をしている人たちとか、あるいは、子どもの人権救済・擁護活動をしている人たちの側からだと、とてもよく見えることではないでしょうか?

だからこそ私は、今こそ大阪府下・大阪市内で、学校教育のあり方を相対化するまなざしがとても大事になってきていると思うし、学校以外のところで、もっと人権の諸課題などについて学ぶ機会を充実させる必要もあると考えています。そのためにも、社会教育・生涯学習という領域のもつ意味はもっと強調されてしかるべきだろうし、住民の側からその領域で「もっと施設つくれ」「場所を提供しろ」「活動に助成金を出せ」と必要な施策を要求すべきだろうし、「今ある施設をつぶすな、事業をなくすな」と今こそ言わねばならないとも思うのです。

逆にいうと、学校で教える・学ぶ内容や学校教育の目指すべき方向性の検討抜きに、「地域社会が家庭が学校を支える」などという言葉に踊らされて、その下請けをするように住民たちがなってしまう裏で、社会教育・生涯学習施設が次々に財政難等を理由に統廃合され、なくなっていく。そういう今の状況が、とても私には「こわい」ものに思えてしかたがないのです。そして、そういう危機感を今、先に述べたような社会運動の関係者が持っていないとしたら・・・・、そのこと自体が、とても「危ない」と思うのです。

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