できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

抽象的・一般的な概念をどう生活にひきつけるか?

2008-02-16 11:44:49 | 学問

このごろよく考えるのは、ある意味「一般的で抽象的」な概念である「人権」と、それにまつわる諸思想・理論を、私たちの日常生活の次元に引きおろして、どのようにその生活を変えていく「道具」として使いこなしていけるか、ということ。

例えば、子どもの権利条約の内容紹介などを軸にした市民向け講座などに呼ばれるたび、目の前にいる参加者の生活実感の世界に、どうすれば今「人権」論、それも「子どもの人権」をめぐって理論的に語られていることが入っていけるのか、ということを考える。

自分の暮らす地域で子どもの安全パトロールなどに取組んでいるお年寄りや、日々、子どもの学校生活について心配している保護者層、毎日、どうやって子どもとつきあっていくか悩んでいる学校の教員たち、そして、子ども施策担当の自治体の職員として今、何ができるかを考えている人たち・・・・。

こういった人たちを前にして、今「子どもの人権」について理論的に語られていることが、具体的な日々の仕事や生活にどのようにつながり、どのようにそれを変えていく実感を持てるようなものになるのか。そこに、今、各地で、「子どもの人権」尊重の視点に立ったさまざまな取り組みが広がっていくかどうかがかかっているように思う。

と同時に、今、大阪市が昨年末に出した人権施策推進審議会の答申を読んでいるのだが、「これの書き手は、こうした市民層の暮らしや市職員層の日々の仕事と、自分たちの答申で書く内容とのつながりを、どんな感じで意識して書いたのだろうか?」と思ってしまった。

答申に書いている内容は「抽象的・一般的な」次元で考える限り、それはまちがっているとは思わない。だけど、これを日々の市民の暮らしや市職員の仕事のなかに落とし込んだときに、「もしかしたら何か、私たちの生活実感のレベルで抱いているものとは、ちょっとずれていくのでは?」という予感がしてしまったのである。

たぶん、答申の書き手たちも、ずいぶん悩んであれを書いたのだろうと思うから、あまり批判的なことは言いたくない。でも、大阪市の青少年会館の問題などでであったNPOや市職員、地元住民、利用者の人々の顔ぶれを思い浮かべながらあの答申を読むと、またちがった感想を持ってしまう。

このギャップ、どう埋めていこうか・・・・? それが今の私にとって、とても重要なテーマである。

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