とにかく「スピード」がウリの「改革」をいま、やろうとしている大阪維新の会や橋下大阪市長・松井大阪府知事の施策に向き合っていくためには、「やりにげを許さない」ということがとても大事になってくると思います。具体的には、「彼らの打ちだした施策の結果、人々の生活がどのような状態になっているのかを、あらゆる領域において、フィールドワークやインタビュー、アンケート、写真等々さまざまな方法をつかって、できるかぎりきちんと記述・記録に残し、それを公に出していくということ」が大事なのではないかと思います。
このような対応をすることで、今すぐは大阪維新の会や橋下市長・松井知事などの動きを止めることはできなくても、「この人たちがかつて、どのような施策を提案し、どのようなことを言って、何を人々の生活にもたらしたのか?」ということが、数は少なくても、確実に誰かの記憶の中、社会的な記録の中に残ります。その記憶や記録の中に残っていることが、次の抗議・抵抗の動きを作っていく「コア(核)」を形成していくのではないか。少なくとも、私としてはそう考えています。
そこで、この場を使って、かつて大阪市の青少年会館条例廃止問題や、その後の大阪市内各地区の子どもたちの様子などについて書いた私の文章を、以下のとおり、ネット上で入手可能なものに限定ですが、紹介しておきます。
http://www.blhrri.org/topics/topics_0190.html
http://www.blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0175-04.pdf (なお、この論文。文中に「青少年育成大綱」という表記が出てきますが、校正ミスです。正しくは「青少年育成施策大綱」です。この場をお借りして訂正して、おわびいたします。)
http://www.blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0179-08.pdf
http://www.blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0190-06_sumitomo.pdf
今のところ、まずはこの4つの文献になります。この4つの文献はいずれも、関市長期にすすめられた大阪市の青少年会館条例廃止と、これにともなう青少年施策の見直しが、大阪市内の各地区の子どもたちに何をもたらしたのか、ということを軸に書いています。
ちなみに、この一連の「青少年会館つぶし」の施策が実施されていた頃の大阪市政改革のブレーンは、あの上山信一氏。彼は今、大阪維新の会のブレーンでもありますよね。