できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

もう一度「学校安全の理念やこれを支える教育思想」の部分から議論をやりなおしてほしい~12月23日(金)文科省の「学校安全」に関する有識者会議をネット傍聴して思ったこと

2022-12-29 21:19:41 | 受験・学校

下記の内容は、すでに12月23日(金)~24日(土)にフェイスブックに投稿した内容をふまえて、それに加筆修正を施したものです。

まず、文部科学省が12月23日(金)16時から「学校安全」に関する有識者会議を行ったので、それをネット傍聴しながら、ツイッターで気付いたことをつぶやいたもの。そのつぶやいた内容を23日中にいったん、フェイスブックに転載しました。

その上で、有識者会議の議論全体をとおして思ったことを、ちょうど娘の誕生日でもあった24日(土)に、「ひとりの親としての思い」もこめて、あらためてツイッターでつぶやきました。その上で、こちらもフェイスブックに転載しました。

したがって、下記の内容は、2つの日にツイッターやフェイスブックに書きこんだことを、さらに手を加えてこちらにまとめたものです。

ちなみに…。この文科省の有識者会議では、2014~15年に議論して、2016年3月に仕上がった「学校事故対応に関する指針」の改訂をどうするかがテーマになっています。ただ、もとの「学校事故対応に関する指針」をつくる2014~2015年の有識者会議には、私、呼ばれていました。でも、今回は私、呼ばれていません。そして「学校事故対応に関する指針」をつくる作業のなかで気付いたことをまとめた本が、拙著『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年)です。

「私が今回の有識者会議に入っていたら、こんなレベルの議論している有識者委員と文科省、許さない」とか、「もっと根本的な学校安全に関する理念や教育思想の部分から議論やりなおせといいたい」という思いが、ふつふつといま、沸いています。

<以下、まずは12月23日(金)にフェイスブックに書き込んだ内容に手を加えたもの>

今日の文科省の「学校安全」に関する有識者会議をネットで傍聴しながら、すぐにその場で思ったことをツイッターでつぶやきました。○印1個分が、ツイートの内容です。しかしまあ、「これじゃダメ」「私ひとりで委員全員+文科省相手に徹底的にバトルしたほうが、まだまし」というしかありません。

※以下、ツイッターで12月23日中につぶやいた内容

○4限授業終わって、文科省の学校安全の有識者会議の傍聴をネットでしていますが…。しかしこの有識者たち、第3次学校安全計画の話にしても、ほかの学テ対策とかICT推進とかに埋もれている面を全く考慮してない。それじゃあだめだわ。子どもの安全対策を優先するように政策の優先順位を変える必要があります。

○唯一学校現場の代表ででてきた委員が「学校でいろんなことをやらなければいけないので、安全の話が後回しになりがち」という話をしている程度。それすら、私は「もうちょっとつっこまないと」と言いたい。

○安全教育のメリット? エビデンス? そんなことを大阪教育大学の安全教育のセンターの人が言っている。でもメリットやエビデンスなんて、「子どもがまずは落ち着いて学校に通える」こと以外に何があるですか? それこそ「数値かグラフでも示さないとわからないのか?」といいたい。

○膨大な数のスポーツ振興センターの災害共済給付データの活用? あれはそもそも、共済給付用の書類だから、事故防止に有効活用できるようになっているのですか? また、すべての事故データが振興センターにあがっているんですか? でも、そういうことをいう専門家委員もいますね。

○有識者会議では「学校安全に関する研究センターをつくる」とかいう話でています。でも、いまも附属池田小事件の経過をふまえて、そのセンターは大阪教育大学にあります。そのことを、有識者会議の委員たちはどう考えてるのかな? いまも、有効活用できてるんでしょうか…? なんか、ほんと思い付きばの意見ばかりだなあ、有識者会議。

○結局、小児科医の委員がが話せるのは「チャイルド・デス・レビュー」(CDR)のことだけ。これ、前の有識者会議のときと同じ。CDR自体は悪いシステムではないけど、それをどう学校制度に位置付けるかを考えないと。そこが、この有識者会議の課題でしょう?

○いま有識者会議でスクールロイヤー系の委員が「事故調査委の常設化」という話をしているけど、文科省や地方教委、研究者・専門職の「誰がそれを担えるの?」ですよ。そういう条件整備面について、何を文科省がやっているのかを問わないと。いままでそれができていないから、この調査・検証作業の現状ですよ。

○校長会の代表みたいな委員が、学校安全を推進する教職員の養成みたいなこと訴えていますが…。いまでも安全主任とか各校にいるのとちがいますか?

○やっと「学校事故対応に関する指針」の改訂の話か、ネット傍聴している文科省の有識者会議。前々からずっと言ってきたし、文科省にも直接言ったけど、「指針」そのものがどこまで文科省から地方教委・学校へ周知されているのか? そこを、文科省として調べたのか? 本気で改訂を考える有識者会議なら、まずは、そこを検証する必要があります。

○だいたい、重大事故起きても調査・検証作業自体をしない学校現場や教委がある。また、管理職に「指針」をメール配布しただけで読ませてない教委がある。そういうところを改善しないと、そもそも検証作業自体が行われません。また、文科省自体が指針が学校現場に「周知されてるのか?」とかいうてるけど、周知そのものが「文科省の仕事」ではないのですか?

○「内容よりも周知徹底」「公立よりも私学への周知ができてない」「教職員もよく指針しらない」と、やっと元政令市教育長の委員が「指針」の課題を指摘しました。前の有識者会議でも私といっしょに強く「指針」策定に向けて意見言った委員で、やっとまともな意見。でもその方も、ただ現職研修や教員養成の段階で「指針」を教えるという意見を言ってますが、それができる教育学系教員何人いるんでしょうか? ちなみに私は自分の勤務校で、「学校安全論」という授業で「指針」の解説やっていますけどね。ついでに各教委の「教員育成指標」に「学校安全」に関する項目ありますよ。その教員育成指標にもとづいて、各教委はそれぞれの教員の経験年数に応じて「指針」の解説しないのでしょうか?

○委員のなかには「逃げ腰」だとしか思えない人もいるなあ。文科省に報告をあげる事例・あげない事例を精査するよう求めていますね。それじゃだめ。「重大事例は全件報告」くらいにしないと。

○「学校が行う基礎調査の手法」がわからないとかいう委員。「それ、あなたのような安全対策の専門家が考えて提案すべき内容」といいたい。しかも「あなた自身、調査委の事務局の経験者でしょう。そのときにどのような調査委員会運営したのですか?(遺族側から相当批判されたのでは?)」です。

○「指針」の調査委の構成に専門性を具体的に書いていないのは、その事故の事案に応じて研究者・専門職を入れ替えられるようにしているのですよ。そんなこともわからないんですかね、この有識者会議に初参加の委員?

○スクールロイヤー系のこの委員、大丈夫? たとえ警察が動いても、教育は教育で重大事故・事件について調べるべきことがあるでしょう。刑事上の責任と教育上の責任はちがうでしょう。「警察が動いたから」といって「学校や教委は調査・検証作業をしない」というわけにはいきません。なぜそれがいえないのでしょうか? ロイヤーとしての資質を疑います。

○それこそ、調査委員たちの能力も案件をこなしたり、事前の研修をこなさないと、ある程度力量つかない。「国でなんでもやれ」ではうまくいきません。各自の研究者・専門職の業界団体で鍛えないといけない部分もあります。そこを各業界団体、やってきたのでしょうか?

○しかしまあ、マクロデータ好きやねえ、交通安全対策の専門家。「学校事故対応に関する指針」は事例検討が大事なミクロの話をしている指針ですよ。そもそも教育の話だし、教職員の専門性の話ですよ。

○おいおいおいおい…。この有識者会議のなかで、委員自身が「学校安全の専門家はいない」と言っていいのか? なんのためにあなたたちは集まったのか? あなたがた自身が「専門家ではない」と言っているようなものですよ、この発言。

○「被害にあった子どもの家族(遺族)と学校とのコーディネート」が実際どうなのか…。そんなことを有識者会議の座長が終わりになっていう。だったらこの有識者会議、なぜ私を会議に呼ばないの? そのコーディネート役、いじめの重大事態を含めて、何例かやってるんですけど、私。

○え? これで今日の文科省の有識者会議おわり?? なんか好き勝手なことを各委員が言っただけ。これでほんとうにいいの? この議論のレベルで今年度あと2回会議して、どんな提言だすの、この有識者会議? この有識者会議を常設のアドバイザリーボード化するなら、メンバーを全部、入れ替えたほうがよくないですか? だって自分たちで自分たちを「専門家ではない」と言ってしまったわけですからね。

○それにしても…。レベルの低い有識者会議の議論だなあ。これではダメだ。文科省に苦言をいうしかない。でも、年末年始に仕事ふえたな…。

<以下、ここからは12月24日(土)にツイッターやフェイスブックに書きこんだ内容に手をくわえたもの。娘の誕生日だったので、親としての私の思いも全面展開しています>

○生まれたばかりの我が子を見て「この子の命だけは、なんとしてでも守りたい」そして「この子のとなりで生きる子どもたちも、どんな子どもたちも、共に平和な社会で生きてほしい」と思った18年前。今も、その思いは変わらない。そしてきっとこういう思いは、保護者や教職員等々いろんな人に通じるはず。

○昨日文科省の学校安全の有識者会議に出ていたメンバーへ。あなた方は自分の専門的知見をひけらかすことばかりに熱心で、一番大事な保護者や教職員らのこの願いにどう対応して、命を大事にする学校をどうつくるかを論じることを忘れている。そこが根本的なみなさんの問題点。哲学や思想、理念がない。

○なんとしてでも子どもたちの命を守る。そのために分野を越えて、いまの私たちおとなが持っている知見やスキルの総力を挙げて、学校と教育行政(文科省や私学の法人を含む)を変えていく。そういう理念も矜持も、哲学も思想もないような専門家は、有識者会議をさっさと去れ。私が代わるといいたい。

○今から約20年前、川西の子どもオンブズで仕事をしていたときに私が大事にしていたのは「すべてのおとなが敵にまわって、世の中で私たったひとりしか、この子の願いを守ろうするおとながいなくても、いまの自分に全力でできることをやる」ということ。子どものアドボカシーってその覚悟がいる。

<以上で、有識者会議の議論に対する私の意見・批判、終了です>



最新の画像もっと見る