体罰の実態解明、一向に進まず 大阪・高2自殺(朝日新聞デジタル配信記事、2013年1月21日)
http://digital.asahi.com/articles/OSK201301200024.html?ref=comkiji_txt_end
朝日新聞デジタルの記事なので、登録している方しか見ることができないかもしれませんが、一応リンクは貼っておきます。
さて、この記事によりますと、桜宮高校での子どもの自殺の原因究明作業が遅れていることの背景に、大阪市教委と弁護士主体の外部監察チームとの関係の問題や、外部監察チームの協力を求めることを市教委から市長に報告したことなどが影響しているのではないかと思われます。以下、この記事の要点をおさえながら、私なりに時系列的に調査経過を整理してみます。
・(子どもが亡くなって=以後同じ)2日後に市教委の会合が開かれ、調査に客観性を持たせるために、市教委の教育委員が「弁護士5人でつくる外部監察チームと協力して調査をすすめる」と方針を固め、市長に報告。
・4日後の12月23日に、市教委は当該の部員50人を対象にアンケートを実施。ただし、これ以降の聴き取り、アンケートの集計は行わず。
・5日後、顧問教諭に1時間程度の話を聴く。これ以後、他の教員などからの聞き取りを行わず。
・1月11日まで、調査手法をめぐって、外部監察チームと市教委の協議が続く。
・この日、義家文科省政務官が市教委が調査方針を速やかに出せていないと批判。「調整に時間かかった」という市教委に、「外部監察とはまず内部で物事を明らかにしたうえで、それが適正かチェックしてもらうこと」と一蹴される。
・1月15日から、関係教員への聴き取り開始。
ちなみに、この記事の内容がまちがっていないとすると、顧問の体罰に関する遺書の記述があったとマスコミが伝えていたり、橋下市長が遺族に面談して謝罪したり、という頃には、外部監察チームも市教委も、何か調査が具体的に動いていたわけではない、ということになりますよね。
とすれば、市長は誰からの、どんな情報にもとづいて、この間、動いていたんですかね?
特に「体育科の2コースの募集停止」や「教員の総入れ替え」などのさまざまな提案について、市長は誰から入手した、どんな情報にもとづいて動いていたんでしょうか?
また、外部監察チームから市長へ、市長から外部監察チームへ、この間、どんなやりとりがあったのか。
あるいは、市教委、市長、外部監察チームの三者の関係はどうなっていたのか?
断片的にでもつかんだ情報は、この三者の間でどのように共有されたり、協議の材料として活用されたのか?
いろんな意味で、この三者の関係には、この間、疑問がわいてきます。
というような次第で、「桜宮高校で起きた子どもの悲しい出来事」の実態解明もさることながら、「市長、市教委、外部監察チーム」の調査対応のあり方に関する実態解明、これも私としては切に希望するところです。
ついでにいうと、市教委の教育委員が、子どもが亡くなってから2日目に「外部監察チームの協力を得よう」と方針を決め、市長に報告をしていたわけですよね。とすれば、市教委はそれ以来、外部監察チームと市長の両方に気兼ねしながら動いていたわけで、市教委のこの間の対応の悪さ、調査の初動の悪さはむしろ、両者への気兼ねゆえではないのか、という見方もできます。この点についても、ぜひとも調査対応のあり方に関する実態解明として、どなたかぜひ、検証していただければ幸いです。
あと、調査に関する初動対応だけでなく、学校に今、通っている子どもへのケアについても、どのような形でそれが実施されているのかという点から、どなたか、市教委や市長などの対応の問題点を明らかにしていただければ幸いです。
<追記>
この記事に書いてあることを前提にして私が推測するに・・・。
(1)大阪市教委の事務局や教育委員は、もうかなり前から市長の意向を気にして動いている。また、市長の意向を先取りするかのように動く教育委員や事務局スタッフもいる、ということ。だからこそ、市長からのさまざまな要求も効果的に効く、ということ。
(2)子どもが亡くなってから比較的早い時期に、市長はこの件に関する情報を市教委や外部監察チームなどから入手しうる位置にあったのではないか、ということ。また、それゆえに、その入手し得た情報をもとにして策を練り、自分の政治的なパフォーマンスとしてこの件を活用する手立てを講じる余地があったのではないか、ということ。
(3)しかし、今回に限っては、その政治的なパフォーマンスとして体育系各コースの募集停止や教職員の総入れ替えなどを市長があおっても、一部の識者などは賛成したが、マスメディアも市民もその多くが反対、批判の声を挙げているということ。また、これで市教委を動かし、当該の高校の体育系コースの募集停止には成功したとしても(=自己の権力誇示には成功ということ)、市民やマスメディアは徐々に彼からは離れる(=自らへの支持拡大という政治的なパフォーマンスとしては失敗)という結果に終わりそうだ、ということ。国政政党の「共同代表」就任というときにこの結果に至るのは、実は市長にとってもかなり痛手なのでは??