久々のこちらのブログへの投稿になります。今日も最近読んだ本へのコメントです。
いま3回生ゼミにいる学生が次年度、卒論で青少年健全育成条例関連の諸課題に取り組む予定なので、次の本を読んでみました。
藤井誠二『18歳未満『健全育成』計画』(現代人文社、1997年)
出版された時期からもわかるように、この本、90年代前半~中ごろあたりの状況をふまえてつづられたものです。とりわけ、90年代前半の「有害」コミックへの規制、90年代半ばのいわゆる「援助交際」問題に関する処罰規定の整備など、各地の青少年健全育成条例の改正をめぐる状況を、著者・藤井誠二さんが地道にこつこつと取材して書かれたものです。
この本の「まえがき」部分で、著者は次のように述べています。
「非行防止」だとか、「青少年健全育成」運動の代表例である「有害」指定は、おとなの自己満足にすぎないのではないか。「子ども」は心身ともに未熟であり、判断力に乏しく、悪に染められやすいものだから、「有害」情報や環境から保護し、「健全」な情報のみを与え、清浄野菜のように「育成」しなければならないと考えている人たちは、子どものためを装いながら、じつは「子どもたちのためにがんばっている」という自分たちのカタルシスを得るために行動しているにすぎないのではないか。(p.10)
この藤井さんの指摘、「有害」情報規制に限らず、子どもの「保護」を目的とした他のさまざまな活動にも、程度の差こそあれあてはまるような思いがあるのですが・・・・。
でも、どこまでが子どもにとって「必要な」保護・お世話で、どこから「余計な」保護・お世話なのか。その線引きが必要ではあるものの、なかなかえいやっ!とスパッと切れない部分もありますよね。
ただそれでも、子どもの「保護」を目的としたさまざまな活動に携わる人たちが、いったい、どのような子ども理解を前提にしてその活動を続けているのか。もしかしたら、肝心の子どもがそっちのけになって、その活動にかかわっているおとなの自己満足に陥っていないか。そういうことを危惧する指摘として藤井さんの先ほどの文章を読めば、私はやはり「一理あり」と思いました。
それとともに、面白かったのは1980年代の東京都の性教育に関する施策の構想案。藤井さんのこの本のp.110に出てくる「ティーンズ・プラザ」構想って、今でもすぐにやれば役に立ちそうなくらい、先進的な構想です。
この構想は、「青少年の心身の問題の対応には、教育的対応、保健医療面の対応、福祉面の対応、の三本柱が必要である」というところから、この三つが総合的に連携強化した「青少年のための総合サービスセンター(ティーンズ・プラザ)」を設置するというもの。また、そこでは相談室(簡単な検査や診察も行う)や「性の教育」のプログラムやカリキュラム・教材の開発、性の問題に関する情報の収集と提供サービスを行うとか。さらに、若者の感覚にフィットしたショッピングアーケード、室内スポーツ場、音楽ホール、オープンスペース、サロンなどもそこに備えるとか(前掲書、p.110を参照)。
この「ティーンズ・プラザ」構想って、たとえば「ひきこもり」や「ニート」の人たちへの対応に「ワンストップ・サービス」窓口を設置してあたろうという、最近の「子ども若者育成支援推進法」がねらっている方向性とも、かなり似ているのではないでしょうか? また、このように考えると、教育と心理、医療、福祉が一体となって「課題のある」子ども・若者への支援に乗り出そうという構想は、日本では80年代からぽつぽつ芽生えていたのだ、という見方もできますよね。
むしろ、そういう先進的な取り組みを実施することを阻んできたのはなんなのか・・・・。この本を読んで、そこを今、問い直す必要があるように思いました。
ひとまず、今日のところは、このあたりで失礼します。
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