今日の草履は、彩シリーズMグループ23cm土踏まず付き〔4000円〕
黒地の絣風プリントをベースに、合わせは茶色の漢文プリントです。こちらも和が活きた配色で、やはり黒地には風格があると思いますね。
迎えた九日お祭り最終日も、朝から眩しいばかりの晴天でした。お祭りの天気はどうしても気になるところ、今年はほんとに恵まれたと思いますね。
最終日の踊りは三女のみ、午後二時から午後七時まででした。時間的には楽なんですが、一日で最も気温が上がる時間帯ですから暑さが苦労です。それでも前日に十分な睡眠時間が取れた三女は、予定時間をまっとうし今年の踊りを終えました。
長女と次女は下校のあと、半纏を身にまとい若衆のひとり…と思いきや、ともだち数人と祭り散策を愉しんでいました。確かにお祭りは曳山だけじゃありませんから、そういう時間も少しは必要でしょう。
それにしても二日で二時間しか寝ていないふたり、なんとも元気なものです。かつて私もそんな時代があったのですが、こと体力にかけては「若さ」の貴重性を思わずにいられませんなぁ。
ともだちを引き連れ私のところへ来たので、西宮家名物「お祭りコロッケ」をご馳走しました。一個五十円のコロッケは、八日と九日二日間の夜だけで350個を売り尽くす名物なんですね。
コロッケ画像は掲示板へ。
娘たちの踊りがすでに終わった九日の夜は、私もひとりの角館人として祭りを見ていました。前日あれだけ賑わった西宮家のある岩瀬町丁内には、最終日一台の曳山もいません。目前での本番激突は望まないにしても、一台のヤマもないとはなんと寂しいことでしょう。予定閉店時刻だった午後十時、テントも残らず片付けて今年のお祭り商売を終えました。
近年のお祭りで思うひとつは、人出の時刻が遅くなってますね。平日のため仕事が終わってからというのは理解できるとして、自宅でそれなりの飲食を済ませてから町に繰り出す、どうもそんな感じが見て取れます。
確かに祭り露店や飲食店を利用するとなれば、家族の人数によってはなかなかの出費でしょう。テイクアウト専門の露店は見た目だけで判断できませんが、椅子とテーブルを並べた茶屋風の露店では、満席状態を一度も見ずに終わった気がします。
善し悪しは別として、お祭りのクライマックスと云われる「本番激突」が随所ではじまっていました。それらを一通り見て回ったのですが、今年は特定の丁内に曳山が集中していましたね。県道として拡幅工事が進む「横町丁内」、ここで
6組12台が本番激突を繰り広げていました。その年によって各曳山の動きが変わりますから、今年はそういう巡り合わせだったんでしょう。いずれかなり珍しい現象と思います。
ただひとつ思うのは、好んで広い道を選ぶ曳山があるのではないかということなんです。狭い道では身動きできる範囲が狭く危険と思われがちですが、広い道ではその分ヤマの動きも大きくなりますから、危険度という点では案外こちらのほうが怖い気もします。
それもこれも、お祭り最大の魅力が「本番激突」になってしまったからじゃないですかね。
一定の年齢に達した人の中では、この状態を危惧する声が少なくありません。曳山本来の使命を想えば、そこに激突はありませんでした。激突はやむおえない“最終選択”、それが今は「激突ありき」の感が無きにしも非ずなんです。
知人の露店で一杯飲んでいると、秋田市土崎地区から祭り見物に来ていた二十歳代後半と思しき女性ふたりと一緒になりました。ふたりからの質問は、『なんでぶつけるまであんなに時間がかかるんですか?』。これは実に多い質問なんです。
答えは簡単、『ぶつけるのが本来の目的ではねぇがらよ』。ふたりは驚いた顔で、『えええぇ~、ぶつけるのが角館のお祭りだと思ってましたぁ。それって角館の若い人は知らないんじゃないですかっ?』。
おそらく角館に友人がいて、その人からそんな話は聞いたことがないと感じました。でも角館の若い人すべてが、ヤマ本来の目的を知らないということはないと思いますよ。
「激突ありき」の風潮が二日目の事故をもたらしたかどうかは早計です。しかし、責任者会議で相当の反省を迫られながら、三日目に本番激突を終え自丁内へ帰る曳山でまた事故が起きました。十代後半の若者が、転んだ拍子に曳山の車(車輪)にふくらはぎを潰されるという事故です。曳山の重さは5トン級、ケガの重さはもっとでしょう。
これが仮に、祭り最大の目的とした本番激突が終わったことでの、「安心感」と「達成感」に因るものが僅かでもあったなら…。そんなことをちょっと考えたわけです。
曳山を祭りに出す目的は、角館神明社と成就院薬師堂を参拝し、より多くの丁内を回り祭りを賑やかす、そして他の曳山と向かい合ったなら「交渉」で道を開けさせる。この交渉が不調に終わり、どうしてもその先に進めないことが明らかとなったとき、はじめて激突に至るわけです。
そしてさらに大事なことは「ヤマでケガ人を出さない」、これに尽きると思うんです。いまさらながら角館のお祭りは、「神の降臨」を祝う日です。神様と流血、いかにも似つかわしくないですよね。
昨晩岩瀬曳山の「あどふぎ」で、祭り最後の踊りを披露して来た三人娘。いかに楽しかったのか帰ってくるなり、『あぁ~、もう少しいたかったぁ。これがら半纏着て出直すがっ!?』。
「あどふぎ」に参加できるのは踊り子だからこそ、半纏を着た女子の参加などもちろん許されませんが、それほど楽しかったんでしょうね。
現在でも曳山に上がれる女子は踊り子のみで、かつて戦前は曳山に女子が着くことさえなかったとのこと。そうした意味でも娘たちには、自分たちの「仕事」を強く理解する必要がまだまだあるでしょう。
7日と8日合わせて睡眠時間が二時間だった長女と次女、最終日は「睡魔」と「寒さ」に負けて深夜0時過ぎにギブアップしたそうです。それをあとから知った私は少々失敗してしまいました。深夜1時、岩瀬曳山と駅前曳山の本番激突が決定されると、そのことを長女へメールで教えてしまってたんです。
朝私からのメールを読んだ長女は、隠れて泣いていたとカミさんに教えられました。そうなんです、すでにわが家の娘たちにとって、岩瀬曳山は「私たちのヤマ」なんでしょう。今年最後の姿を見ずにギブアップしてしまったことが、悔しくてしょうがなかったんですね。
これからの若者たちは、純粋に角館のお祭りを愛していく人たちです。そんな若者たちへ、角館のお祭りが当たり前の姿で継承されることを切に願いたいものです。
そうそう、
8月27日のブログでお知らせした「似顔絵描き」のMARIKOさん、予想をはるかに超える人気となりましたよ。8日と9日合わせて50人ほどが注文されたそうです。後日のお引渡しで写真撮影だけした人の似顔絵は、おそらく今も描き続けているんじゃないですかね。
みんなお祭りモードから少しずつ離れていますが、彼女だけはもう一頑張りですなっ!