角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

モノを売る・心を売る。

2008年02月28日 | 地域の話


今日の草履は、彩シリーズLグループ26cm土踏まず付き〔4500円〕
緑基調の絣風をベースに、合わせはグレー基調の鷹プリントです。合わせに柄物を使うのはあまり多くないのですが、ときには新鮮味がありますね。お若い男性にもOKと思います。

ラジオリスナー投稿からもうひとつ、こちらは商売人としてちょっとした感動がありました。
念願の女の子を出産した若いお母さん、女の子が授かったら「雛人形」を買ってあげるのが夢だったそうです。生後数ヶ月の赤ちゃんを抱っこして人形屋さんを訪ねました。そこでお店のご主人が言った言葉は・・・。

『そうですか、女の子が生まれたらお雛様を買ってあげるのが夢だったんですね。そう思っていただけるのは私たちもとっても嬉しいですヨ。
でもね、今買ってあげたとして、赤ちゃんには買ってもらった喜びがありませんよねぇ。三歳くらいになってから、女の子も一緒に選んだら一生の記念日になりませんか』。

投稿者である若いお母さんは店主のその言葉に深く納得し、楽しみをもう少しとっておくことにしたそうです。
お母さんも触れていましたが、『ひとつでも売れれば売上になるところを…』。フツーの商いは、三年後の売上より今日の売上を優先するはずです。でもこちらの店主はそれを選ばなかった。

でも確かに「商い」はしましたよね、モノは売らずに心を売る「商い」です。こうした商売の心というものを、いつもどこかに持っていたいものです。

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ひとつの心残り。

2008年02月27日 | 地域の話


今日の草履は、彩シリーズLグループ土踏まず付き〔4500円〕
グレー基調の鷹プリントをベースに、合わせは緑の星プリントです。鷹も星も巻かれてしまうと分かりませんが、配色としては面白いと思います。

角館は今日も寒いです。窓から差し込む日の光はもう真冬じゃないなぁと思えるのですが、その窓はまだまだ開けられません。寒風吹きすさぶ音がなおさら寒さを感じさせます。
今朝の天気予報では、3月に入ると平年より高めの気温で推移するとのこと。あと僅かの辛抱ですね。

世の中明るい話題が少ない中で、今朝のラジオのリスナー投稿に感心しました。ちょっした感動と言って良いかもしれません。
マイカーを運転中、前を走るトラックが横断歩道の前で停車しました。誰か横断する人がいるのかなとは容易に想像できるのですが、そのトラックの運転手さんがすかさず車から降りたそうです。そして後続の車と対向車を止めると、横断する人の介添えをはじめたんですね。その横断しようとしていた人は、白いステッキを持った全盲の男性でした。
無事に道路を渡り終えると、止まってくれた車に一礼し、そのままトラックに乗り込み走り去ったという話でした。

さて自分ならこれが出来るか考えてみました。仮に娘たちが同乗していたなら、模範気取りで出来るかもしれません。でもそれではダメなんですね、たったひとりで運転しているとき、しかも“忙しいとき”にこれができないと本当じゃないでしょう。

知人の犬博士さんから、昨年ひとつのご提案をいただいていました。それは日本盲導犬協会によるデモンストレーション、これを小学校のPTA事業に取り上げる提案です。
これまでのブログでご紹介の通り、今年度は閉校にまつわる事業でいっぱいいっぱいの状態です。多忙を極める中、あらたな事業提案は非常に困難でしたねぇ。でもこの事業には、いろんな目的と効果が推し測れます。

昨日三女の学級で、「将来就きたい職業」を紙に書いて提出したそうです。保育園の頃からよく聞く話題なんですが、小学六年ともなるとかなり現実的な職業を書かされるようです。
三女の前の席に座る女の子が後ろを向いて、『盲導犬とかの仕事ってナニ?』と訊いてきたとのこと、三女も具体的な職業名は分かりません。

こんな話を聞かされると、犬博士さんからの提案を実現できなかったことがあらためて残念に思えます。そうなんです、“忙しいとき”にあっても出来ることが本当なんですよねぇ。
いまさらながら、ひとつの心残りになっています。

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遅すぎたOB会。

2008年02月26日 | 地域の話


今日の草履は、彩シリーズLグループ26cm土踏まず付き〔4500円〕
初登場「茶の唐草」をベースに、合わせも同系色の薄い茶にしてみました。在庫作りも終盤に差し掛かり、今日から26cmです。
男性用を編んでいて感じたのが、バリエーションの少なさでした。そこで新たに茶の唐草を入れてみたのですが、なかなかイイですねぇ。シックな落ち着きが「ナイスミドル」を想わせます。

ここのところ私の周囲で訃報が続いています。昨日はふたつが届けられました。
ひとつはカミさんの知人のご主人、50歳そこそこと言いますからいかにも早過ぎる死です。
もうひとつがかつて勤務していた会社の先輩、59歳男性です。入浴中の心筋梗塞、知らせを聞いたときはしばらく呆然としました。

私が18歳と8ヶ月で入社したとき、先輩はすでに営業マンとして活躍していました。数年前に先輩も会社を辞めましたが、私が勤務していた15年間は在籍していたので、私の歓迎会も送別会も乾杯してくれたひとりです。
お酒が大好きで、出張続きの先輩が帰社するのを待っては飲みに出かけました。あの頃の景気は今ほど悪くなくて、社員行きつけの店には社長のボトルが必ずあったものです。つまり酒代はいつでもいくらでも社長が負担してくれたんですね。

私が会社を辞めてからは、暮らす町が違うせいもあってなかなか会う機会がなくなっていました。それでも珍しく出逢うと、『仕事なんただぁ?』といつも声をかけてくれました。「先輩面」がまったくない人で、社員とも仲間意識がとても強いんです。
遅かった結婚も一男に恵まれ、まだまだこれからという年齢でした。

私たちが勤務していた会社を辞め、引退した人や別の仕事に就いている人が何人もいます。当たり前ですが、あれからみなさん年齢を重ねました。そんな人たちと偶然出会うと、『たまには飲もうでぇ!』と言い合います。この度のような訃報に接すると、こうした飲み会を急ぎたくなりました。
間もなくのうちご焼香に伺ったら、故人の遺影にOB会を相談してみましょうか。先輩はきっと言うでしょう、『なしてもっと早ぐに企画しねがったおごっ』。

酒とタバコとカラオケをこよなく愛した先輩、心からご冥福をお祈りします。

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人徳が足りません。

2008年02月25日 | 地域の話


今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
赤の唐草をベースに、合わせを紺とエンジでそれぞれ違えてみました。ちょっとしたいたずらみたいな配色ですが、案外面白いと思います。決して間違って作ったわけじゃありませんからね。

2月も最終週に入り、この年度末も押し詰まってきました。三人娘それぞれに卒業と入学を迎える今年は、やはり予想通り忙しないものになっています。
その忙しなさの中で草履在庫も一定量は仕上げなければいけませんから、毎朝5時半から動き出したものにしても成果は思ったほどじゃないですねぇ。

3月に入ってまず最初は、2日の角館西小学校閉校行事です。閉校式に引き続きPTA解散式、そのあと最後の学年懇談会と進みます。そして夕方からは慰労会、2日はまず仕事になりません。
5日は高校入学試験、7日は中学校卒業式、そして12日が小学校卒業式と高校合格発表です。入学試験は受けるのが娘たちですから、私が「忙しない」という表現は適切じゃないんですけどね。やはり気持ちの問題でしょう。

小学校卒業に際して、毎年「卒業祝賀会」が開かれていました。全校の教職員と卒業世帯の保護者、場合によって卒業児童全員が参加する大きな催しです。それが今年度、「閉校&引越し」という何十年に一度という大きな節目に当たったため、学校のスケジュールが半端じゃないんですね。校長先生や教頭先生と話し合った結果、今年度については廃止を結論としました。
こうした学年部PTAの活動を主導するのが、学年部長として私の仕事なわけです。そうでなくてもイベント好きですから、この決定は多少大げさですけど「断腸の思い」ですよ。

それが一昨日、ひとりのお母さんから電話がありました。『学校の多忙は分がったども、私たちだけでもお祝いしてあげられねべがぁ…』、そのお母さんの周囲はそんな意見で一致したとのことです。
『もっと早ぐ言えば良がったねがぁ』と言うと、『自分たちでは企画でぎねぇし、(私の)仕事増やせば悪りぃど思って…』。

この電話が終わった後、私自身の「人徳」のなさを痛感しました。組織の先に立つ者は、いつでも気軽に意見が述べられる環境作りがひとつの責務です。それが私を気遣うことでギリギリまで話してもらえなかった、これはまさに私の「不徳」なわけです。

今私の心は決しました。卒業児童と保護者、総勢150人規模の催しですから、ここまで押し詰まれば会場も限られるでしょう。中身も質素なものになるかも知れません。
3月2日の学年懇談会、「卒業パーティー」急きょ開催を提案してきます。

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土地の思い出〔大阪編〕

2008年02月24日 | 製作日記


今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
紺の唐草をベースに、合わせは黄です。定番配色①、あるいはの合わせを替えたパターンですね。黒や濃紺に黄色はよく合います。
実演席の展示品にはこうした色違いを並べますが、通信でのオーダーでもご自由にお申し付けください。

大阪という土地は定期出張にありませんでしたから、サラリーマン時代一度も訪れたことがありません。初めて大阪に足を踏み入れたのは、会社を辞めた後の「営業代行」でした。
かつて勤務していた会社は社員の人数が少ない割りに、出掛ける土地は全国と言って良いほど広範囲でした。するとときにいろんな仕事が重なり、極度に人手が足りなくなることがあるんですね。私もかつて外部の人間をお願いしたことがありました。
そんな理由で私へ白羽の矢が立ったのは、会社を辞め3~4年が経った真冬の二月です。

大阪梅田の有名百貨店、ここへ商品を納入している問屋さんがお得意先で、業界では「プロパー催事」と呼んでいます。いわゆる物産展のように「秋田」を売る催しではなく、家庭用品売場で「樺細工」のみの催しなんです。ですから私のスタイルも物産展のような法被姿ではなく、きちんとしたスーツです。見た目には百貨店の社員と同じですから、お客様に尋ねられる一番は『お手洗いはどっちですぅ?』、よくあるパターンなんですよね。

お得意先といっても私は会社を辞めた身、勤務していた当時も担当外ですからすべての方が初対面でした。まずは顔合わせの意味で、商品搬入が終わった夕方から食事会と相成りました。
場所は大阪駅前の居酒屋さん、大きなお店でしたがすでに満席状態、さすがは大阪と思ったものです。実に当たり前の話なんですが、私の周囲すべての人が大阪弁を話すんですよ。大阪弁なんて普段はテレビの芸人から聞くくらいでしょ、周りがみんな吉本興業に見えたもんです。

食べ物は旨かったですねぇ、値段もメニューもまずフツーの居酒屋さんなんですけど、焼き魚ひとつにしても旨いんですよ。ここでもさすがは大阪と思いましたねぇ。ユーザーの口と目が肥えてる分だけ、全体のレベルが押し上げられるんでしょう。田舎は暮らす人間の少なさで環境が厳しいですが、大都会は競争の中で生き残る厳しさがありますね。

そんなこんなで一週間の催事が終わり、搬出の日もみなさんが「ごくろうさん会」を開いてくれました。数字的にもなんとか予算をクリアできて、おそらく二度は逢わないであろう私を労ってくださいましたね。たった一週間といえども、軽く別れが惜しくなるものです。
その中のひとりに25歳くらいの若手社員がいて、初対面とは思えないほど私に関心を寄せる若者でした。もう逢うこともないと思いながら、お互いのケータイ番号を交換したんですね。

それから二年も経ったある日、その若者から突然の電話です。少し前に会社を辞め、仲間数人で新たな起業にチャレンジしたとのこと。電話はその業界の秋田県事情を尋ねる内容でした。あとから想うと、会社を辞め新たに歩き出した私に興味があったようです。だとしたら、現在の草履職人のほうがよほど興味をそそられるような気がしますね。

大阪・兵庫・奈良・京都、「角館草履」を履いてくださっている関西の方も多いです。ブログにもときどき登場する関西のおばさま、今年もその勢いに負けず応対したいと思います。

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土地の想い出〔福島編〕

2008年02月23日 | 製作日記


今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
昨日と同じ井桁プリントをベースに、合わせは青です。やはり明るい青は若々しさを感じさせますね。綺麗な配色と思います。

福島県は、「中通り」「浜通り」「会津」の三つに大きく分けられるようです。中通りと会津はほかに担当者がいて、私は浜通りを回りながら、国道6号線を茨城県へ入るコースを担当していました。
いわき市にあるお茶屋さんのご主人がとても元気で、一人でもお客さんがいるといつまででも喋っているような人でした。「類は友を…」なんでしょうか、お客さんで見えるおばさまたちもとっても元気の良い人ばかりでしたね。

午後二時頃でしたか、私に『昼メシは済んだのがい?』と訊くので、正直にまだですと答えました。するとご主人、『オレもこれがらメシにすっから、良かったら一緒に食う?』と言って連れて行かれたのがご自宅だったんです。浜通りで有名らしいラーメンを作ってくれて、美味しくいただいたことがありました。飲食店ではなくご自宅へ案内されたことが、妙に嬉しかったことを憶えています。
私が会社を辞めてしばらくした後、こちらのお店が廃業したと聞かされました。もうお逢いすることはないと思いますが、せめてお元気で過ごされていることを願います。

福島県には「相馬焼き」という陶器の伝統工芸があります。樺細工を卸すお得意先ではなかったのですが、相馬焼きのおじさんとは東北物産展で一緒になりました。
物産展で一緒になる人たちとは、週に一度か二度みんなで夕食を食べるんです。当時相馬焼きのおじさんは60歳代と思いました。私とはずいぶん年齢差があるのに、妙に仲良しになったんですね。二人で日本酒を飲みました。

そこでなぜか太平洋戦争の話になり、おじさんが特攻隊の志願兵だったことを知りました。私のオヤジは海軍へ志願しましたが、17歳で終戦を迎え無事に角館へ戻ったことを聞いていました。オヤジは軍歌が大好きで、ホロ酔い加減になるといつも歌いだすのは軍歌でした。そんなオヤジの誕生日に、軍歌のLPレコード二枚組みをプレゼントしたことがあります。

相馬焼きのおじさんは、ホロ酔い加減で当時の話を語ってくれました。「特攻隊」、それはお国のために敵艦へ突入する帰りの燃料を持たない飛行、明日は俺か…を想う日々を重ねたそうです。
特攻指令を受けた同志は前夜に一人部屋を与えられ、そこで僅かなご馳走と酒が振舞われたと言います。翌朝笑顔で飛び立つ特攻兵、その部屋を片付ける仕事を任されたおじさんは、しぼれるくらい涙で濡れた枕を何度も見たそうです。そしてそれを話すおじさんの目にも涙がありましたね。

福島県の方とは、西宮家でもよくお会いします。特にご年配の男性とおしゃべりすると、そのときのおじさんを思い出すんです。あれから20年、今もお元気で晩酌していることを願いますね。

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土地の想い出〔北海道編〕

2008年02月22日 | 製作日記


今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
昨日と同じベースに、合わせを紺にしてみました。同系色合わせの典型、この配色であれば男性用として無難でしょう。

国内有数の観光地である北海道、このブログでも北海道の話題はたびたび登場します。サラリーマン時代の出張もそうですが、西宮家で出逢うお客様も北海道の方が実に多いんですね。
北海道の人は大らかで明るく、人懐っこい気がします。少なくとも当時お世話になっていたお得意先の方々は、ほとんどそんな感じでした。
反面土地の歴史が浅いせいか、根差した「しきたり」のようなものがあまり感じられなかったです。そういうのが女性喫煙率や離婚率の全国1位に表れているんじゃないですかね。当時札幌のお得意先にこれを言って叱られたことがありました。草履職人が「一言多い」のは昔からなんですねぇ。

秋田県庁の出先機関に「秋田県北海道事務所」というのがあります。札幌時計台のほど近く、北海道経済センタービル内にありました。当時そこへ私の同期生が勤務していて、出張のたびに連絡を取り合い飲み歩いたもんです。彼のおかげで旨いものをずいぶん知りましたねぇ。

少なくとも年に三度は訪れた北海道、その中の6月か7月を「北海道一周コース」として、およそ二週間かけて車を走らせました。はじめて稚内市を訪れたときはちょっとした感動がありましたね。
昭和20年代後半、私の祖父が漁師の出稼ぎで稚内にいたことがあったらしいです。それが病名はよく分かりませんが、突然倒れたとの一報が角館のオヤジにあったんですね。おふくろと結婚する以前の話です。当時二十歳代だったオヤジが、祖父を迎えに稚内まで来たという話を聞かされたことがありました。
三代に渡り同じ土地に立ったということが、なんとなく嬉しく感じたものです。

稚内市のお得意先は、陶器店一軒だけでした。店主のおじいさんが実に優しい方で、『おぉ、よぐ来たなぁ』と言って毎回熱いお茶を入れてくれるんです。樺細工という商材は業種を選ばない反面、お世辞にもたくさん売れるものではありませんでした。それでもこちらのおじいさんは、必ず何かを注文してくれました。おそらくそれが「お土産」だったんでしょう。

留萌市にあるギフト店の社長さんは面白い人でした。私が秋田県から来ていることは誰しも知っていますから、あんまり言葉には気を遣いませんでした。秋田弁丸出しでは通じないにしても、「訛り」ははっきりあったと思います。こちらの社長さんはそんな私に、『おめぇが来るとこっちも訛っちゃうんだよなぁ』といつも言ってましたね。昼時にかかると私の分まで弁当を注文してくれて、「口は悪いが人はイイ」の典型のような社長さんでした。

釧路市にある贈答品商社、道東・道北ではナンバーワンの販売力を持つ企業です。こちらにはじめてお伺いしたとき、社長さんが晩ごはんをご馳走してくださると言うのでついて行きました。『ここが炉端焼き発祥の店ダっ!』という居酒屋さん、どうやら社長さん自慢のお店らしく、内地(北海道民は本州をこう呼びます)から来た人間をよく連れて行くんでしょう。
当時私は22歳くらいですから、社長さんにしたら息子より若かったかもしれません。『好きなモノを食べろっ』と言われ、私が好きなイカソーメンを注文したら、『今はその季節じゃないだろっ』と叱られましたね。

昨夏、私の友人が旭川市へ転勤しました。ときどき北海道の様子を知らせてくれるのですが、聞く土地の名前すべてに想い出があります。本当に北海道のみなさんにはよくしてもらいました。
西宮家で出逢う北海道の方とのおしゃべりには、そうした「ご恩返し」も少しはあるんです。

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土地の想い出〔長野編〕

2008年02月21日 | 製作日記


今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
紺地の井桁プリントをベースに、合わせはエンジです。過去に一度登場した配色ですが、男性用Lグループにも作ってみました。サイズは大きくとも、「秋田おばこ調」はやはり私の本流と思います。

一昨日の未明からあれだけ降雪があったのに、結局昨日は除雪車が来ませんでした。まぁ、一日来なくても生活に大きな混乱はないのですが、心配したのは今朝です。二日分の雪となるとオペレーターさんもたいへんでしょう。予測通りわが丁内へやってきた時刻は午前10時、みなさん出勤した後でした。
わが家の隣りが除雪した雪を溜める場所になっています。今朝の状態は掲示板へ

「冬」と言えば北海道や東北を思い浮かべそうなものですが、「長野県」はスキー場が有名ですね。あとは善光寺に松本城、戸隠そばも有名です。そんな長野県も私が担当した営業コースでした。
やはりこちらもお茶屋さんを多く歩いてましたから、巡った範囲は広いです。飯田市・伊那市・上田市・大町市・岡谷市・駒ヶ根市・小諸市・塩尻市・諏訪市・長野市・松本市、あと木曾漆器の産地である木曽郡楢川村やその周辺にも行きました。樺細工も全国的なジャンルに分けると「漆器」に含まれますから、いわゆる同業者の立場で営業していました。

仕事の性格上いろんな観光地へ行くのですが、旅行しているわけではないのであんまり見物というのはないんです。でもなぜか「善光寺」だけは必ず立ち寄ってました。投宿していた長野市のビジネスホテルから近いせいもあって、朝一番に歩いて行きましたね。厳かな寺です。

観光立県としての長野県は、秋田県よりずいぶん先を行っていた印象があります。観光地によくあるお土産品、これらはその土地で作っているものがすべてではなくて、県外や国外からの仕入れ品も多いんです。そういう商品を開発・製造・卸売りする企業がいくつもあるのですが、長野県には業界最大手がありました。私も何度か訪れましたが、それはもう一流の会社でしたね。

実は長野県には苦い想い出があります。今はなくなったようですが、とある百貨店の物産展に参加しました。こうした物産展は年に10回ほどあって、私もいくつも担当しています。
首都圏のど真ん中にある百貨店では、一週間の催事で200万~300万を売り上げるものでしたが、地方都市ではなかなかそうはいきません。そんな中で一日だけ、売上ゼロを記録したことがあります。それが長野市の百貨店だったんですね。

草履職人となった今、西宮家で出逢うお客様に長野県の方は多くはないです。でもときに出逢うと、そんな懐かしいことが蘇ってきます。

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土地の想い出〔千葉編〕

2008年02月20日 | 製作日記


今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
三回連続でベースは同じ、今日は合わせが青です。こちらも若干年齢層がお若い印象でしょうか。このベース生地は以上3足でおしまいです。

昨夜から重い雪が降っていました。夕方に近い現在はやんでいますが、また積雪が増えましたね。今晩また降るようですが、湿った雪は解けるのも早いです。やはり春は近いでしょう。

今冬はなぜか「千葉県」とご縁があります。年の暮れメールでのご注文は船橋市の女性、先日わが家をお訪ねのおばさまは松戸市、そして今日お電話でご注文は八千代市のお母さんです。
かつてギフト業を生業の一部としていた頃、タオル製品の仕入先に千葉県横芝町の会社がありました。草履職人となった今も、粗品タオルの注文があったときだけお世話になっています。

先日これまで扱っていない商材を依頼され、こちらの会社へ電話で問い合わせました。電話に出られた社長夫人と仕事の話が済んだ後、『私は福島出身なもんで、東北の方と話すのがなんか懐かしいんですぅ』。これまでFAXのやりとりばかりですから、こうしたおしゃべりは初めてでした。

かつてサラリーマン時代に横芝町を何度か訪問していることや、ついでに「角館草履」もお教えすると当地へ旅行経験があるとのこと。翌日問い合わせの続きをお電話したら、『ホームページ見せてもらいましたぁ、またじっくり見ますねっ』。人の縁というものは、いつでもどこでも転がっている気がします。

現在闘病生活をしている私の叔母というのは、埼玉県三郷市に自宅がありました。常磐自動車道三郷インターが目の前という環境でしたから、サラリーマン時代の北関東や南関東の出張は、叔母宅を宿舎にして顧客を回っていたんです。千葉県もそのコースのひとつでした。

当時お得意先のあった土地は、我孫子市・市原市・市川市・印西市・鎌ヶ谷市・木更津市・佐倉市・佐原市・館山市・千葉市・銚子市・東金市・習志野市・成田市・船橋市・松戸市・茂原市・八街市・四街道市、ほかに郡部で少しありましたね。
樺細工を仕入れてくださる職種は実に多彩で、中でも「お茶屋さん」は筆頭です。日本国内お茶屋さんのない土地はまずありませんから、お得意先も都会ばかりでなくありました。

千葉県の「人」で特段印象の強い方は想い出にありませんが、とにかく秋田との環境の違いだけは鮮明に憶えています。東京で雪が降っても千葉は降らないというくらい温暖な土地でしたね。
あとちょっと意外に感じたのが「言葉」でしょうか。千葉市や船橋市といった大都市では感じなかったのですが、特に茨城県に近いほうははっきり「訛り」があるんです。まぁ秋田県人がよそ様の「訛り」を言えた話じゃないんですけど、そんなことで変に親しみを感じるものでした。

十数年前地図を広げ車を走らせた土地に、今は「角館草履」を履いてくださる方が何人もいらっしゃいます。「縁」とは実にありがたく、また不可思議なものですね。

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親類の葬儀。

2008年02月18日 | 家族の話


今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
昨日と同じベースに、合わせを緑にしました。若干年齢層が若くなった感じでしょうか、男性用としてもお洒落な配色と思います。

三日前の2月15日は、いくつものニュースが飛び込んだ日でした。世の中嬉しいニュースがいっぱいある中で、いつもいつもそうとばかりは参りません。その日のニュースは三つ、すべてが「嬉しくないもの」でした。そのひとつが親類からの訃報、本来ならば喜寿を祝うはずの77歳、母方の叔父が亡くなりました。

温厚を絵に描いたような人柄で、まず怒った姿を見たことがない叔父でした。そうした人柄が今日の天気にも表れていたような気がします。朝から青空が広がった一日でした。
戒名は「温山厚賢居士」、まさに人柄そのものです。

今日が葬儀で、「入棺」から「おとき」まで一連の供養に出席して来ました。おふくろの兄弟姉妹は9人いて、年齢差は長兄と末子でかなり離れています。昔はフツーの家族環境ですね。その叔父や叔母たちもだいぶ年齢を重ねていますから、何年かに一度は連れ合いも含めて他界します。「無常」の世の中、ごく自然な在り方でしょう。

このところの十年くらいは、叔父や叔母の加齢のために従兄弟がこうした冠婚葬祭へ出席するようになりました。中にはもう何年も会っていない顔ぶれもあります。そのたびに互いの近況報告、子どもの話、叔父や叔母の体調の話、子ども時代の話題で盛り上がります。今日もまさにそんな賑やかな葬儀と相成りました。

最近しみじみ思うんです、親類の葬儀は長い疎遠を防ぐために必要なんじゃないかと。故人を偲びながらも、過去に他界した親類の話が必ず出てきます。ときにこうした人たちが話題に上るのは、サイコーの供養であるという話を聞きました。
故人の年齢やいきさつでさまざまですが、一連の供養の中に「笑い」があります。これは決して故人に対して失礼とは思えないんですね。

さきほど葬儀宅から戻る際も、従兄弟たちと『また五年くらいのうちに誰か死ぬべぇ』と笑って来ました。もちろんその機会を心待ちにしているのではありません。ただ故人に対して、悼む心と共にそういう機会を設けてくれたお礼も言いたいんですね。
ご冥福をお祈りすると共に、久しぶりの親類に逢わせてくれて『ありがとう』。

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