角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

消費税率引き上げに伴う措置として。

2014年02月28日 | 実演日記
ご承知の通り、本年4月1日より消費税率が5%から8%へ引き上げられます。角館草履は従来より「内税表示」とし、価格に消費税が含まれております。本来であれば税率引き上げに伴う価格改定が通例と思われますが、このたびの8%時点では価格変更を行わないこととしました。

ただし、郵送料には変更が生じます。21cm~30cmの大人用はこれまでの390円から400円に、15cm~20cmの子ども用(土踏まずなし)が240円から250円に変わります。
ご注文日にかかわらず、発送日が2014年4月1日以降の場合は新郵送料となりますので、ご理解のほどお願い申し上げます。

尚、2足以上でクロネコ宅急便を利用する場合は、送料に変更は生じません。
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広がるご縁・交わるご縁。

2014年02月27日 | 実演日記




今日の草履は、2月20日のブログで少し触れた、女子バスケットボール選手へ贈るオーダー草履です。ご注文主は角館町内に暮らす女性で、こちらの選手へ何度か会っただけで大ファンになったそうです。女子といえどさすがはバスケット選手、身長が192cmといいますから足の大きさも立派なものですね。
明日引き取りにお越しの予定で、女性の反応が今から楽しみであります。

こちらの女性はご自身も角館草履のご愛用者で、これまで四、五人の知人へ贈り物としてお買い上げくださいました。今度はその贈られた方から直接ご注文もあったりで、そのご縁の広がりがとてもありがたく、また楽しくもあります。「今日の草履」が贈られるバスケットボール選手には、練習後の癒しにぜひご利用いただきたいものです。

2月16日のブログでご紹介した劇団わらび座の女性が、また別の知人へプレゼントとのことでお訪ねくださいました。過日の役者さん三人は角館草履をとても喜んでくれたそうで、私もホッと一安心です。さらに贈り先が増えたのは、ご自身が履いての実感のうえに役者さんたちも喜んでくれたことが大きいと思うんですね。広がるご縁を感じずにはいられませんよ。

そして女性からまたまたお土産を頂戴しました。「草木谷のしぶき」と称する日本酒で、これは石川理紀之助にとても縁の深いお酒です。16日のブログで理紀之助が立て直しを図っていた農村をお伝えしました。その農村で現在作られている酒米を原料にしたお酒なんですね。今夜早速いただいてみようと思います。確か数量限定と何かで読みましたから、とても楽しみです。

このお酒を造っている蔵元は、秋田県五城目町にあります。実はこちらの社長夫人とその妹さんは、かねてから角館草履のご愛用者なんです。広がるご縁と共に交わるご縁もまた、面白く楽しいものですね。
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娘たちと職業。

2014年02月23日 | 家族の話




今日の草履は、彩シリーズ22cm土踏まず付き[四阡四百円]
明るいブルーの和柄にエンジの組み合わせが可愛らしいと思います。こうした配色こそ中高年のおばさまにと思っていたところ、お選びのお客様は五十代半ばほどの女性でした。とても可愛らしい感じで、きっと「今日の草履」がお似合いになると思います。大阪市からのご夫婦旅で、雪景色をことのほか喜んでくださいました。

このブログ読者でもあり、もう二十年近くもお世話になっている知人が訪ねてくれました。要件は先日受けた次女の看護師国家試験の様子です。結果は蓋を開けてみなければ分からないとはいえ、自己採点では手応えがあったようです。知人もそれを喜んでくれました。
加えて知人が言うのは、『あまり歳をとらないうちに、地元の病院さ勤務できればいいな』。地元の病院というのは、わが家の目と鼻の先にある市立角館総合病院のことです。市立ですから看護師も公務員扱い、将来の保障も考えての言葉なわけです。

公務員としての身分保障は別として、やがて故郷の地域医療に貢献してほしいという願いは当初からありました。もちろん親の勝手な思いで、本人はまだそこまで考えていないようです。「地元に貢献する」、これは即ち故郷に暮らすことを意味しています。先日のブログで当地の人口減少を書いた通り、人がいなくなれば何事も立ち行きません。特に若者には、一人でも多くこの町に残ってほしいと思うんですね。

三人の娘たちに対して、職業の選択を縛ったことはありません。あっ、三女が犬の調教師になりたいと言い出した時だけ、「やめたほうがいい」と言いましたか。そんな中で長女が保育士、次女が看護師、そして三女が介護士を目指すとしたとき、ひとまずですが私には密かな達成感がありました。地方のしかも人口1万5千人のこの角館で、一般企業に就職できる人数などたかが知れています。その点国家資格を有していれば、地元に残れる道が若干とはいえ広がるわけです。

社会人スタート時点では、長女と三女が地元へ残りました。次女はひとまず三年間を仙台市の病院に勤め、その後のことはまたそのとき決めるでしょう。五年後、十年後に娘たちがどこでどんな仕事をし、また生活がどうなっているのか。親が口を出すことは、もうさほど多くないでしょう。

三女は今週末、次女は来週末に卒業式を迎えます。
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死語となった言葉たち。

2014年02月22日 | 地域の話




今日の草履は、彩シリーズ24cm土踏まず付き[四阡八百円]
シーチング(無地)を三本配するデザインを、冬場のうちに出来るだけ編んでおきたいと思っています。バリエーションとして楽しいのはもちろんですが、毎日同じデザインだと私のほうも煮詰まってきますからね。繰り返しの日常作業にも、少しは新鮮さが大事と思うわけです。

大阪市からお越しのご夫婦旅。トイレの神様ミニ草履を気に入ってくださり、他家に暮らす娘さんたちの分も合わせ5個のお買い上げでした。私の作る大人用土踏まず付きが一度に5足はとても稀ですが、カミさんの作るミニ草履は特に珍しくないんですね。帰宅後お買い上げの様子をカミさんに教えると、ちょっと鼻が高くなるのが可笑しいです。

こちらのご主人が草履を見てしみじみおっしゃるのは、『こういう日本古来が復活するのは楽しいですよね。お国訛りなんかも今はあんまり直したりしないでしょ!?』。
確かにそうかもしれません。私が子ども時代、「標準語を話しましょう」みたいな教育があったように記憶しています。四つ下のカミさんも小学校でそう教えられたそうです。秋田弁しか話せなければ、やがて中央に出た際に困るという当時の配慮だったんでしょう。

今の世の中これだけ情報が氾濫すれば、「標準語を話しましょう」自体がまったく滑稽です。むしろ「秋田弁を学びましょう」のほうがピンと来るくらい、今の若者たちは方言を使いませんからね。
今では死語となってしまった言葉がいくつもある中で、その代表に選びたいのが『あっぱー』です。ボクシングのアッパーカットや、気分がノリノリのアッパーとはまったく異なります。これは子ども社会のみで使われた『バイバイ(さようなら)』なんですね。

友達と遊んでいてそろそろ帰らなければならない時刻になると、『したらな、あっぱー!』と言って別れるわけです。昭和四十年代まではどの子も使っていたのに、平成生まれのわが家の娘たちは聞いたことさえないと言います。どの年代まで使っていたのか、はたまたどの地域まで使っていたのか。私は「重要無形文化財」に値する言葉と思うんですがねぇ。

今度同期生や同年代との飲み会でおひらきとなったとき、『あっぱー』を使ってみましょうか。繰り返しの日常がちょっと新鮮に感じる気がします。
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先人からの恩恵。

2014年02月21日 | 地域の話




今日の草履は、彩シリーズ23cm土踏まず付き[四阡六百円]
茶の唐草に紫の和柄という組み合わせは、これまでたくさん編んだ配色ではありません。かといって奇をてらったような印象でもないのは、案外合っている組み合わせかもしれませんね。華やかで美しい配色も角館草履なら、こうしたシブ目の落ち着いた配色もまた角館草履と思います。

二十四歳になる知人の娘さんが、先ごろFacebookに投稿した記事です。

なんだか伝えたいこと、長いけど気が向いたら読んで見てください。

今日は家族のいる秋田からオーストラリアに帰る前に妹の宇都宮に帰ってきました~!
のんびり実家はおばあちゃんとお母さんと〇〇とやっぱりいいきもち♥
あっという間に過ぎてしまいました!
他にも友達にも会いたかったけどバタバタしちゃって~、、、次の機会に!
って事で宇都宮で my sister と永遠の0見てきた!
見たかったんだ~
見てない人のために内容はあまり言わないけど!

映画で「あと10年で戦争を知ってる年代もいなくなってしまう」って言ってたけど、
そういえば実家に帰ったときふとおばあちゃんと話してたことを思い出したんだ!

あの頃はみんなが貧乏だからどんな服を着ててもどんな所に住んでても決して恥ずかしい事では無かったことや、
初めは父母妹を東京に置いて秋田まで一人で疎開してきたことを聞いたことが頭にうかんだ。

映画みててすっごくいろんな運命の偶然で生命って繋がってるけど私の家族もみんな同じなんだな~
戦後を乗りきった人たちのおかげでこんな日本があるわで、、、

なんてありきたりな感じの話しになってしまうけど。。。。

おばあちゃんがよく私をこうやって誉めてくれる。
「1人で海外にいって暮らして一人で全部やっててすごいね~」って

でも、そんなことよりも電話も携帯もテレビも新幹線もない時代に一人で疎開してきたおばあちゃんのほうがもっとすごい!!
誇りのおばあちゃんだなぁって思った。

うまく話しがまとまりませんが、
〇〇や〇〇がこうやっているのは、

1年遅く生まれたせいで戦争に行けなかった(いかないでくれた)おじいちゃん、一人で小学生で秋田まで勇気をもって来てくれたおばあちゃんのおかげでお母さんがいるおかげなのね。そんな偶然でこんな素敵な故郷が私にもできて。
本当に本当にありがとう。

24歳になってこうやっておばあちゃんやお母さんとたくさんの時間を過ごせてよかった。

この恩返しは1年半後に帰ってきて今までお世話になった分徐々に、私が誇れる孫だったり娘になるようになって倍返しだぜ!!←(日本に久々に帰国して覚えたので使って見たかった流行語)
そんなわけでいつまでも体に気をつけて元気でね。
マミー&グランマ&シスター&みんな♥


〇〇の部分は個人名なので一応伏せました。この投稿文を一読して、51歳のおっさんもいろんなことを考えたわけですよ。まず「永遠の0」はかねがね観たいと思っていた映画です。単純な戦争映画ではないという点に魅かれていましたし、主演の岡田准一さんは大河ドラマを観てなかなかの役者さんと思っていました。まだ観ていない映画ですから、私が書きたい趣旨と映画の内容は必ずしも合致しません。

私の実父は昭和3年生まれ、昭和56年に満52歳で他界しています。親父は16歳で海軍に志願し横須賀へ渡りました。一年ほどで終戦を迎え、戦地に赴くことなく角館へ戻っています。親父は酒を飲むと軍歌ばかり歌う人でした。いつだったか親父の誕生日に軍歌のLPレコードをプレゼントし、それはそれは喜んでくれたのを憶えています。私はまだ小学校高学年か中学生でしたが、親父と一緒にレコードを聴いていたのですべて歌えたものでした。

女性の投稿文にもある通り、親父がもう少し年長だったら、あるいは戦争がもっと長引いていたなら、私はこの世に生まれていない可能性がありますよ。さらに歴史を遡れば、父方母方のどちらかの先人がひとりでも欠けていたなら、やはり生まれていないのかもしれません。この世で生きているときは、たくさんの人々に支えられながら暮らしているのを実感できても、今は亡き先人の存在に想いを巡らすことはなかなかないでしょう。

人は皆「使命」を持ってこの世に生まれると信じています。今こうして日々草履を編んで暮らしているのも、やはり与えられた使命と思うわけです。NHK連ドラ「ごちそうさん」で、め以子の次男が海軍へ志願したいと言い出します。兵隊さんのために少しでも美味しい食事を作りたいと言うんですね。『ボクのこの手は、そのために付いていると思う…』の台詞は、そのまま実感として分かりますよ。

投稿文の中の「戦後を乗りきった人たちのおかげでこんな日本がある…」も、一定の年齢に達した日本人であれば少なからず感じているんじゃないでしょうか。私が二十代半ばでしたから、もう二十数年前になりますか。福島県にある窯元のご主人と酒を酌み交わす機会がありました。ご主人は当時六十歳代と思いますが、特攻隊に志願した兵隊さんなんですね。帰りの燃料を持たない特攻兵は、飛び立った日が命日です。運命の日は前日に言い渡されるといいます。その晩は一人部屋を与えられ、酒とわずかなご馳走が振る舞われると聞きました。

飛び立った特攻兵の部屋を片づけに行くと、枕の重さに気付いたといいます。それは一晩中泣きとおした涙なんですね。国を思い、故郷を思い、家族を思い、仲間を思い泣きとおした涙。ご主人は何度かその経験をし、自分も泣かずにいられなかったと言っていました。そして自分が飛び立つ日を待っていたのでしょう。

戦争は人類最大の悲劇です。繰り返すなどは論外、今世界で起きている紛争も早くやめたほうがいいに決まっています。けれどもときの運命によって、国のため、故郷のため、家族のために散って行った御霊に、私たちは手を合わせる必要があるとは思うんですね。家庭内で毎朝仏壇に手を合わせ、お盆や彼岸には墓参りをする。それと同じように英霊へ手を合わせるのは、ごく当たり前と思うわけです。

今の家族があるのはご先祖あってこそ、今の社会があるのは先人のご労苦あってこそ。二十四歳の投稿でそんな当たり前のことをあらためて教えられた次第です。
それにしても、知人は良い子に育てましたよ。
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初任給と母の日。

2014年02月20日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ24cm土踏まず付き[四阡八百円]
ピンクでまとめた可愛らしい草履です。女性で素足サイズ24cmといえば比較的大きいほうですが、足が大きくても可愛らしい女性はたくさんいます。今日常連さんからいただいたオーダーは、女性用28cm草履でした。バスケットボール選手へのプレゼントとのことでしたが、とても可愛らしい女性のようです。

この時季出会うのが、3月に卒業を迎え4月から社会人となる大学生の卒業旅行です。角館のような癒し系の街を旅先に選ぶ若者には、ひとり旅が多いんですね。仲良しグループでワイワイガヤガヤももちろん楽しいでしょうが、私が出会う若者は少し別のセンスを持っている気がします。

千葉県からお越しの青年ひとり旅。やはりこちらも卒業旅行でした。子供の頃ご両親に連れられ一度訪ねた角館を、今一度ひとりで訪ねてみたくなったんだそうです。当時はなかった角館草履の実演を、一時間余りにわたって観てくれました。『手作りに興味があるの?』と訊ねると、『はぁ~、見たことがないものって面白いですよね』と笑う青年。子供が珍しがってよく観て行く話をすると、『ボクもそんなレベルですぅ』。

今はまだ収入のない若者へ、いつの日か母の日の贈り物に…とよく話します。事実母の日のプレゼントはとても多いですし、ご愛用者で主婦層が占める割合は七割にも上るんじゃないでしょうか。「いつの日か」の言葉は、仮にそのまま忘れてもかまわない意味を含んでいます。長い時間を実演席で過ごしたことに、若者が恐縮と感じてしまったら気の毒ですからね。

この話題で思い出すのが、2012年5月7日のブログでご紹介した北海道の青年です。もう社会人になって丸二年ですから、立派に仕事をこなしているでしょう。
千葉県の青年も、『母の日ならもうお給料をもらってますからねっ、きっと注文のお願いをします!』。
お会いしたことのないお母上の、嬉しい笑顔が見えるような気がしました。
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ムダなエネルギー。

2014年02月18日 | 家族の話




2月16日51歳を迎えたその日、カミさんと二人仙台へと向かいました。先のブログにも触れたように、その日は次女の看護師国家試験日です。すでに入職する病院が内定している次女は、新たな引っ越し先を試験が終わったらすぐに決めたいと話していました。この件がなくとも15日と16日をお休みとしていた私は、どうせなら連続したほうが負担が少ないことで、昨日17日に不動産屋さんを訪ねる計画を立てたわけです。

ところで画像の地面を見ても分かる通り、仙台でこれほどの積雪を見たのは初めてですよ。これでも一週間前の大雪よりまだマシと言いますから驚きです。大きな道路こそ車の往来で雪はありませんが、路肩に寄せられた雪は一車線の半分を埋めていました。ひどいのは小路と駐車場です。狭い道路は車一台分のワダチだけが頼りで、交差が出来ないのはもちろん、歩行者さえも車が通過するまで立ち往生の連続です。

駐車場は除雪をしていませんね。「していない」というより「できない」のほうが正しいでしょうか。二日間滞在して除雪ローダーの姿を一度も見ませんでした。次女のアパート近くのコンビニは、降った雪に対してなんの対応もしていませんよ。降るがまま、積もるがまま、『四輪駆動車以外は入らないほうがいいですよ~』の声が聞こえるような気がしましたね。そうした店舗がいくつもあります。

震災以来「想定外」の言葉をよく聞くようになりました。日常の生活において想定をはるかに超える事態に遭遇すると、人はしばらく無力に陥ります。自宅敷地内でさえ、駐車スペースと玄関までのアプローチだけ確保しているお宅が大半で、自宅前であっても通行路の雪を片づけている人は皆無です。不便と危険を感じつつも、数日のうちに溶けてなくなる雪にそれはムダなエネルギーなのかもしれません。

さて次女の試験結果は一ヶ月先に判明します。三年間の苦労と、この大雪にようやく新たな住まいを決めた苦労が、ムダなエネルギーに終わらないことをただただ祈るのみであります。
四日間のお休みを経て、明日から草履コーナーと実演を再開いたします。
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観劇の間隙に感激!

2014年02月16日 | 地域の話


お休み初日の15日、私には珍しくお芝居を観てきました。劇団わらび座小劇場で上演中の「リキノスケ、走る!」。秋田県金足村(現秋田市)に生まれた石川理紀之助は、独自の哲学で貧しい農村を立て直し、「農聖」と謳われた人物です。昨秋仙北市を会場に開催された「県種苗交換会」の創始者としても有名なんですね。農業従事者でもない私がなぜこのお芝居を観ることになったのか、そこにはひとりの女性の熱い思いがありました。

2月5日のブログにご登場の女性が、その三日後に再度お訪ねくださいました。ご自分用と共に三人の知人へプレゼントとしてお選びくださったのですが、その三人というのがこのお芝居に登場する役者さんだったんですね。女性も劇団わらび座に勤務するスタッフさんのお一人で、主に広い庭を管理する園芸部に所属していました。

ではなぜ同じ会社の、いわばお仲間に草履のプレゼントを思い立ったのか。それはこのお芝居のストーリーにありました。
石川理紀之助が立て直しを図っていた農村で、ある年大水害に見舞われます。村の半分に達する田畑が氾濫した川の水に流され、農民は地主へ納めるコメさえなくしました。途方に暮れる農民たちを励ましながら、理紀之助は地主に対し、その年だけ納めるコメの量を半分にしてほしいと交渉します。その代り翌年には倍にして返すと…。

理紀之助はかねてから、農村の貧困脱出に農作物だけではない収入源を考えていました。そのひとつが「ワラジ」です。丈夫なワラジは当時鉱山で高く売れ、暇を見つけてはワラジを編むことを農民に奨励したんですね。
しかし地主は理紀之助の懇願を拒否します。そんなに上手く農民が働くわけはないと思ったのでしょう。何度頼んでも拒否される押し問答の最中、舞台に登場するのはそれまでに農民たちがひたすら編み続けた無数のワラジなんですね。その数を見た地主が、理紀之助をはじめとする村人の願いを聞き入れるというくだりがあるわけです。

舞台に登場したワラジは、役者さんも含めたわらび座スタッフさんたちで作り上げたんだそうです。その姿を見ていた先の女性が、三人の役者さんに対して私の草履をプレゼントしたいと思ってくれたんですね。
そしてお買い上げの際、私に観劇チケットを二枚プレゼントしてくれました。その日帰宅しカミさんと娘たちに話すと、娘二人も観たいと言います。そこで15日にお伺いする旨、いただいていた名刺からメールを送りました。

お芝居は素晴らしかったです。理紀之助の偉業を80分のドラマで観せてくれました。歴史に名を遺す人は、同時に言葉も遺します。『寝ていて人を起こすことなかれ』。自らが寝ている状態で人に起きろと言っても、それは聞く耳を持ってくれないでしょう。一日の労働時間を少しでも長くとるため、理紀之助は朝三時に版木を叩いて村人を起こして歩きました。2007年1月15日のブログに、「早起きは三文の得」を書いています。理紀之助の考えはまさにこれだったんですね。

そしてラストのカーテンコール。三人の役者さんが並び観客から拍手喝采を浴びる最中、その間隙に先の女性が角館草履を三つ携え、理紀之助役の役者さんへ手渡しました。意外な品物に『おっ!』と驚いた表情を見せる役者さん。これまで九年の草履職人生活で、私の草履がプレゼントされるシーンを目の当たりにする機会は少なかったです。しかも興奮冷めやらぬこの場面ですから、私の感激も並々ならぬものでしたよ。

幕が下りたあと、女性が私を見つけ駆け寄ってくれました。草履お買い上げのお礼と、チケットプレゼントのお礼と、そして感激のお礼を込めて熱く握手しました。50歳最後の一日は、なかなか出来ない感動の記念日だったと思います。
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明日から四日間お休みです。

2014年02月14日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ24cm土踏まず付き[四阡八百円]
茶色ベースの草履は私が好きでよく編みます。お客様の中にも茶系に興味を示される方が割と多く、それは性別とも無関係ですね。おりしも今日は「聖バレンタインデー」、チョコ色の草履もなかなかお洒落じゃないでしょうか。かつて私の草履を触りながら、『おっ、これは健康食品だなっ』と言ったおじさまがいました。「健康グッズ」の言い間違いと思いますが、チョコ色なら食べたくもなりますかね。

今日も顔なじみのおばさまがお二人遊びに見えました。目的は「トイレの神様」ミニ草履です。ご友人にも差し上げるとのことで四つのお買い上げ、誠にありがとうございます。
お客様の少ないこの冬場、私が編む大人用土踏まず付きはもっぱら在庫作りです。その点カミさんが作るミニ草履は、冬場も一定の需要があるんですね。毎日コツコツ編み続けて、年間一千個ほど作るでしょうか。

30分ほど丸太椅子に座り実演を観ていたおばさまたちに、『よく手が擦り減らねもんだな。もう指紋はねぐなったべ?』と訊かれました。指紋がなくなるような手仕事がこの世にあるのか知りませんが、私の指紋も確かに残っています。『まだ悪りぃごどはでぎねよんた』とお答えしました。

おかげさまで指紋はまだ無事ですが、そろそろ一息いれたい時期です。明日から四日間、草履を編む手を休ませたいと思います。15日から18日までは草履の展示もございません。19日には疲れを回復させて再開しますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
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侍の家系。

2014年02月13日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ24cm土踏まず付き[四阡八百円]
青のうさぎプリントを使って紺系でまとめてみました。一見男性向けの配色ですから24cmにしましたが、女性でもこうした配色を好む方が少なからずいらっしゃいます。これまでの印象で比較的お若い女性に多い気もしますが、さてどなたがお選びくださるか楽しみに待ちましょう。

高知県からお越しのご夫婦旅。さすがに南国からでは寒いはずなんですが、なかなかお元気に散策を愉しんでおられました。ご主人がお話し好きのようで、ご先祖のことを聞かせてくれました。分家して九代目がご本人と言いますから、ご本家さんはたいそうな歴史がありそうです。それもそのはず、ご先祖はかつて土佐の国を治めた長宗我部氏の家臣でありました。

坂本竜馬で知られる土佐の国は、戦国時代まで長宗我部氏が治めていました。関ヶ原の戦いで西軍に味方したため徳川によって改易となり、その後の土佐は山内氏が治めます。山内氏の家臣を「上士」と呼び、旧長宗我部氏の家臣を血統に持つ侍を「下士」と呼びました。同じ位置に列することは時代が明治になるまでなかったと云います。

ご主人が私に言うのは、『武家屋敷通りにある家で、今も先祖伝来を守っているのは何軒もないんでしょ?』。
ご自身の家系がそうした由来のせいか、角館の歴史についてもいささか予習していらしたご様子です。確かに何軒もないんですね。そうした家柄と無縁の私にはなかなか理解できない世界とはいえ、藩政時代あるいは戦国時代からの「家」を守るというのは並大抵ではないと思います。

歴史が長くなればなるほど、その時代々々に栄華衰勢を繰り返すのでしょう。戦国時代に破竹の勢いで国を広げていった長宗我部氏も、徳川の時代には「下士」として辛酸を舐めたわけです。ご主人の家系も、そんな時代を乗り越えて今があるんですね。
現在の西宮家にも、その子孫は一人として参画していません。この事実を知ったときのご主人の顔が、少し寂しげに映りました。
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