角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

嬉しい言葉とご訪問。

2014年05月30日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ24cm土踏まず付き[四阡八百円]
東京の仕入部長チョイスの日暮里新柄が届いています。第一号は和の情緒たっぷりに配色してみました。黒or紺にエンジは角館草履の王道的配色です。やっぱり粋であり、綺麗ですね。
色とりどりの和傘が美しい平生地がこちらです。



「今日の草履」をお持ち帰りは、長野県安曇野からお越しのご夫婦です。奥様がこちらをお選びになり、同じサイズのご主人は定番配色④をお選びでした。と言っても、本日の24cm在庫は三点のみ。少ない在庫からのチョイスに申し訳ない気持ちもありましたよ。
それでも嬉しかったのはお帰り際の奥様の言葉、『いつも履いてる布草履がだいぶヘタってきたので、この旅行で草履を見つけたら買おうと思ってたんです。いいものに巡り会いました~』。

もうおひとり嬉しいご訪問です。劇団わらび座「げんない」に出演している女性俳優さんが、足を手術したばかりのおばあちゃんに履かせてあげたいとお越しでした。ご自身も角館草履のご愛用者である女性は、足の心地良さを確認済みです。実演席で数多く展開される「家族愛」を、またひとつ見せていただいた心境ですね。在庫がありませんでしたから、明日早速お作りします。可愛い孫娘が祖母へ寄せる愛に応えられるよう、心して編みたいと思っています。

桜まつりが終わってからの品薄が今も続いていますが、私の予想では六月に入るとさほど多くのお客様はお見えにならないと思っています。それは6月18日から始まる「大人の休日倶楽部」なんですね。四日間乗り放題一万七千円が六月末日まで続きますから、その直前は旅人が極端に減るという事情です。

それまでに少しでも在庫を増やすべく、頑張ってまいります。
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目立たない努力。

2014年05月29日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ23cm土踏まず付き[四阡六百円]
緑が爽やかなこの時季に合わせ、緑尽くしで編んでみました。桜が散った直後の明るい若葉も、ここにきて緑が深まった気がします。そんな意味でも今の時季にピッタリじゃないでしょうか。
「今日の草履」は東京からお越しのおばさまが、『どうしても緑が好きなのよね~』とお選びくださいました。

関心高く草履実演をご覧のうえ、角館草履を気に入ってくださるお客様からときに言われる言葉が、『こんな奥じゃなく、もっと外から見えるとこにいればいいのに~』。それはきっと、「珍しい草履なのだから、もっと多くの人たちに紹介すればいい」という意味なんでしょう。なんともありがたいお言葉であります。

一昨日静岡県からお越しのおばさま二人旅にも、ちょうど同じことを言われました。それぞれお気に入りの配色をお選びになり、ご帰宅してからご主人も欲しいとなったらお電話をくださるそうです。こちらのおばさまたちが、『歩いている人から見えるところで編んだら?』。
『元来恥ずかしがり屋なもんで…』と大笑いしましたが、そう言ってくださるのはとても嬉しかったです。

通りに面した場所で草履を編むのになんの抵抗もありません。西宮家の奥まで入るつもりのないお客様にも、おそらく告知される効果はあるでしょう。けれども、奥まで入ったからこその「出会い」が、実は面白いとも思っているんです。すべては「ご縁」ですから、西宮家で草履を編む生活が続くうちは今の位置を動こうとは思いませんね。「珍しいもの」があまり目立ってもマズいでしょ。

5月12日のブログでご紹介した横浜市のご夫婦のご主人から、今日お手紙が届きました。旅の思い出を綴る中で嬉しかったのは、『マスコミで紹介する角館と自分の目で見る角館は、やはり差があるようです。歩いて散策すると、なんとも言えない良さがありました。そこで吹いた尺八は、思い出しても良かったです』。
こちらのご主人が尺八を演奏する話は先のブログにも書いていますが、実は武家屋敷通りでも尺八を吹いて、『ほかのお客様のご迷惑になりますから…』とやめさせられたんだそうです。翌日二度目のご訪問で教えられたのですが、ご夫婦はそれさえも笑いに変えてしまうんですね。

さすがに武家屋敷通りで尺八は私も少々無理があったと思いますが、こうしたタイプの「変わり者」が私は大好きなんですよ。「珍しいもの」や「変わり者」は、少しばかり目立たない努力をするくらいがちょうど良いのかもしれません。
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一丁目一番地。

2014年05月27日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ25cm土踏まず付き[五阡円]
奇をてらわない田舎らしい素朴な配色です。角館を旅の目的地とする方に、ギラギラ光るネオン街を期待する人などいないでしょう。そういう意味ではむしろ角館草履らしい配色かもしれません。「今日の草履」は埼玉県からお越しのおばさまが、ご主人へのお土産にとお持ち帰りくださいました。

「一丁目一番地」という言葉をときどき聞きます。主に政治家の言葉で、「最優先課題」や「目玉政策」といった意味で使われるでしょうか。比較的新しい言葉と思って少し調べてみたら、政界や中央省庁ではかなり昔から使われているんだそうです。そもそもは当選回数の少ない若手議員が座る演壇に近い国会席を指し、「おろそかにできない物事のスタート地点」を言ったものでした。

私の実演席でも「一丁目一番地」の言葉をときどき使っています。それは足の健康に対する「五本指ソックス」のことなんですね。『足の健康を考えるなら、五本指ソックスが一丁目一番地ですよっ』といった具合でしょうか。室内草履に関心の高い人は、かなりの割合で五本指ソックスを利用しています。家庭レベルではなにほど珍しいことではなくなりましたが、職場レベルで利用しているお話を今年の桜まつりで初めて聞きました。それは「動物園」なんですね。

どちらからいらしたおばさまだったか失念してしまったのですが、動物園で事務職をされているそうです。『うちの飼育係は、全員五本指ソックスを履くことに決められているんです』とおばさま。草履であれ長靴であれ、指が五本離れていることが動きの「機敏性」や「安全性」につながるのでしょう。こちらのおばさまもこの日から角館草履のご愛用者となりました。

「今日の草履」をお持ち帰りのご家族は、女性三代の三人旅です。角館草履をずいぶん気に入ってくださり、三十分ほども実演席に滞在されましたか。ひとしきりおしゃべりが終わると真ん中の年代のおばさまが、『それにしても、この町の人っていろんなお話をしてくれますね。駅からここまでくる間もいろんなお話を聞きましたよ』。
おもてなしの「一丁目一番地」はお声掛けと思っています。多くの旅人は地元民と触れ合うことで思い出作りをしますから、ご希望であれば時間の許す限りお話しするのは大事なことじゃないでしょうか。
身内びいきと言われるかもしれませんが、この点についての角館は、「一丁目一番地」をすでに通り過ぎたものと思っています。
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草履実演と観光案内。

2014年05月24日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ26cm土踏まず付き[五阡二百円]
茶色のベースによく似合う辛子色を組み合わせてみました。若い頃は茶色にシブさを感じていましたが、年齢を重ねるとむしろお洒落なのがよく分かります。「今日の草履」もお若い男性に似合わないとは思えませんね。
20日の「今日の草履」を久しぶりの26cm在庫とご紹介したものの、翌日埼玉県からお越しのおじさまがお持ち帰りでした。替わって「今日の草履」が26cm唯一の在庫です。

日々の実演は角館草履の素性を知っていただくのが最大の目的とはいえ、お客様との話題は多岐にわたります。と言いますか、お客様からのご質問が様々なんですね。『お蕎麦の美味しいお店はありませんか?』『近くで名所はありますか?』『駅までどれくらいかかりますか?』などなど、まず観光案内所と同じですね。

町の情報のほかに、「不思議」と感じたこともよく訊かれます。『この町の名前は“かくのだて”なの“かくだて”なの?』は幾度となく訊かれました。「なぜ?」と思ったことをすぐに知りたい人はことのほか多く、座ってその場から動かない私などは格好の「訊きやすい人」なのでしょう。そしてそれでいいと思います。

桜まつりで賑やかな日でした。能代市からお越しの男性が私に訊くのは、『武家屋敷通りの道幅って、昔からあんなに広いの?』。
角館を創ったのは佐竹義宣の弟で蘆名義勝という人物です。蘆名家はかつて会津80万石を治める大家でしたが、米沢を治めていた伊達家との合戦に敗れ、実家である常陸の佐竹家に逃げ延びます。その後徳川の時代となり佐竹家は秋田へ国替え、蘆名家も佐竹家に付いて来ました。そして佐竹家から角館の町割りを託されるわけです。

武家屋敷通りの道幅は、当時の江戸のメインストリートとほぼ同じと云われています。蘆名家がかつての会津時代を思い起こし、いつかまた陽の当たる大名として名を興したいとする願いが、この道幅に表れているのではないか。これが現在角館で云われている史実なんですね。そして町割り時点での道幅は、現在そのまま遺されています。

能代市の男性にもこれをご説明しました。男性は『なるほど、そういうわけですかっ』と納得の笑顔です。私は、むしろ感謝したいのはこちらのほうですとお応えしました。それだけ角館の街並みを関心高く見てくださったこと、そして道幅を「なぜ?」と感じてくださったこと。角館に生きる一人としてとても嬉しく思ったものです。

その数日後、新潟県からお越しのおばさまがお立ち寄りでした。やはり町の歴史が話題になり、角館を創った人の話から武家屋敷通りの道幅をお教えしたわけです。するとおばさまは、『武家屋敷通りから来たばかりだけど、その話を聞いてもう一度行ってくるわっ』。
草履の話題はそこそこに出発しましたよ。

本末転倒と言えばその通りながら、草履より角館を知っていただくのもときにはいいと思っています。
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ワラ草履とノスタルジー。

2014年05月23日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ23cm土踏まず付き[四阡六百円]
明るいピンク&黄色の相性バッチリの配色です。お電話のご注文でよく言われるのが、『任せますけど明るい色がいいわね』。そんなときこんな配色をお送りすると、見た瞬間きっと笑顔になると思うんです。『あたしには派手じゃない!?』と言いながらも、満面の笑みが見えるような気がしますよ。

実演席でよく言われるのが、『今はそういう台があるのね。あたしのおばあさんが編んでいたときは、足の指に引っ掛けてたわよ』。今日も言われました。
朝ドラ「花子とアン」には、ワラ草履を編むシーンがたびたび出てきます。よく見ると分かるのですが、草履を編む台というのが昔もちゃんとありました。当時の時代考証をなにほど研究しているわけではありませんが、おそらく数をたくさん編む家には台があったのだと思います。それはつまり、内職として金銭を得るために作っていた家ですね。

かつての日本が「万民総ワラ草履」だったことは言うまでもありません。ただ家族が履くためだけに作る家では、さほどの数が必要なかったでしょう。であれば足の指に引っ掛けて…も理解できます。他方ワラ草履を売って金銭を得ていた家は、とにかく暇さえあればワラ草履作りに励んでいたと思われます。だとしたら足の指なんかで務まるわけがありません。

2月16日のブログでわらび劇場の「リキノスケ、走る!」のあらすじに触れていますが、貧農の内職にワラ草履あるいはワラジ作りが当たり前にありました。たくさんの数を編まなければならない貧しい農家ほど草履を編む台があったと考えると、草履を足の指に引っ掛けて編んでいた家は比較的食べることに困らなかった家かも知れませんね。

ときにご自身がかつてワラ草履作りに励んでいたというご高齢者とお会いします。やはり多くは「足指に引っ掛けて」とおっしゃいますね。金銭を得るための内職とは違いますから、ツラい思い出というより「懐かしさ」を話してくれますよ。ちょうど七年前の2007年5月17日のブログでは、ワラ草履に寄せる悲喜こもごもを綴っています。内職であろうが自分で履くためであろうが、ワラ草履にはどこか悲しげで暖かくて懐かしい日本がありますね。まさに「ノルタルジー」でしょう。

昨夜わが家に一通のFAXが届きました。手書きのご注文用紙です。



推察するにご高齢のおばさまではないでしょうか。「角舘市」も「西の宮家」も違っていれば、「わらぞうり1足24cm」には軽く吹き出してしまいました。けれども一生懸命に書いてくださった心が見えるような気がします。かつてワラ草履を編んだ経験のあるおばあちゃんじゃないかなと、勝手に想像してしまいましたよ。明日の便で、人気ナンバーワンの定番配色①を送って差し上げることにします。
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主人公になれ。

2014年05月20日 | 家族の話




今日の草履は、彩シリーズ26cm土踏まず付き[五阡二百円]
紺と茶の同柄色違いです。お互い濃い色同士の組み合わせは、重さと言いますか貫禄を感じますね。桜まつりが終了した時点で26cm草履は在庫が皆無でした。一足だけですが久しぶりの在庫です。

朝ドラ「花子とアン」の視聴率が好調のようです。「あまちゃん」から「ごちそうさん」そしてこの度と、右肩上がりで伸びていると報道されていました。私が朝ドラにハマったのも「あまちゃん」からですから、全国の視聴者モニターと私の感覚が一致したようです。それにしても朝ドラって面白いですね。

先週土曜日の放送は、主人公はなの卒業式でした。ブラックバーン校長の通訳を務めたのがはなです。校長の祝辞はいささか感動しましたよ。
『あなたたちが将来、この学校にいた頃が幸せだったと思ったら、私の教育は間違っていたと言わざるを得ない。なぜなら、人生の最上はいつも未来にあるのだから』。

これまで娘たちの卒業式に何度も参列しましたが、これほど簡潔に心を打つ言葉を聞いたことがありません。言葉違いでそんな意味の挨拶があったとは思います。でもこれだけ新鮮に心へ届くのは、やはりその簡潔さと的確さではないでしょうか。
という話を西宮家のスタッフにしたら、『それが脚本家でしょ。学校にはシナリオライターがいないもの』。まったくその通りであります。

わが家の次女と三女も社会人となり一か月半が経ちました。介護施設で働く三女は、親の心配をヨソになかなかよく頑張っています。それでも未だ若干19歳、これからいくつもの試練が待っているでしょう。
看護師デビューした次女は、すでに試練と闘っています。業務そのものの過酷さは頭に描けても、想定外は案外人間関係にあるものです。

すべてが右肩上がりの人生はないでしょう。けれども今日より明日のほうがちょっとだけでも良くなると信じなければ、人は生きていけません。ブラックバーン校長の言う通りやがて将来、やっぱり過去より現在そして未来が良いと思えるように今を乗り越えてほしい。オヤジが娘たちに願うのはこの一点に尽きます。

私の小学生時代、担任の先生がよく言っていた言葉が「主人公になれ」でした。わが人生の主人公はもちろん自分ですが、脚本を書くのも自分です。
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遠くで想う角館。

2014年05月18日 | 実演日記




今日の草履は、茨城県笠間市にお住いの男性からの、お電話によるオーダー草履です。ご家族分5足のご注文で、うちの24cmは「茶系」がご希望でした。どんな配色が届くかのご期待に、見事お応えできるでしょうか。明日の便で出発いたします。

一昨日のこと、自宅でパソコン作業をしていると固定電話が鳴りました。表示された電話番号は「098」から始まっています。ずいぶん遠くからのお電話と思い出てみると、『あのぅ、角館の草履屋さんでよかったですか?』。電話のお声から察するに、中高年のおばさまと思いました。『はい、そうです~』とお応えすると、『石垣島から電話しています~』。なるほど遠い電話番号を理解したと同時に、「石垣島」ですぐに思い出しました。

お休みに入る前日、12日の午後のことです。そろそろ片づけに入ろうかという頃、お隣り大仙市のおばさまがお立ち寄りでした。展示してある草履を見つけるとふと思い出したように、『あっ、この草履送ってあげたら喜ぶんでねぇべが!?』。
続けておばさまがおっしゃるのは、『あたしの娘が石垣島に嫁いでいて、そこのお義母さんがいっつも家の中で草履履いでるもの』。
少ない在庫から定番配色⑧をお買い上げでした。

やはりお電話の主は石垣島のお義母さん。ご実家のお母さんがおっしゃる通り、かなりの草履好きなんだそうです。草履が届いた日からご家族で角館草履談義が花を咲かせ、どうしても作り手から草履の“素性”を聞きたいと思ったんですね。実演席でお客様に話すのと同じ濃度でご説明をしました。
素性をご理解くださったお義母さんは、『何年か前に旅行した角館を思い出して、大切に履かせていただきますねっ』。なんとも嬉しいお言葉でありました。

お休み中に仙台市を訪れたひとつの理由は、ある人のお見舞いです。このブログにも何度か登場している、南相馬市から一時避難で角館に暮らしたKさん夫妻のご主人なんですね。角館滞在中にある病が見つかり、昨年六月角館を引き上げ仙台市で本格的な治療が始まっていました。
角館滞在中は頻繁に実演席を訪れ、角館草履のご愛用者でもあります。さらに仙台での入院中、わが家の次女が看護実習でKさんの担当になったりと、その縁はなかなか浅くないものがありました。

そのKさんからまだ寒かったころに電話があり、『退院はしたんだけど、副作用の影響で遠出は無理なんだよねぇ。角館の人たちに会いたいけど、しばらくはダメだなぁ』。そこで私が答えたのは、『無理しないほうがいい。GWが過ぎたら俺がそっちへ行くから』。
同じことを考えた人がほかにもいたようで、角館のホテル支配人と飲食店のオーナーが私より先に訪れていました。みなさんKさんとのご縁が大きいと感じていたのでしょう。

角館が故郷の人は言うに及ばず、そうでない人でもこうして角館を想ってくれる人たちがいます。特に私たち観光業に生きる者は、決して忘れてはならないと思うわけです。
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呑気な仕事。

2014年05月16日 | 地域の話
ずいぶんと寒い今日の角館です。ときおり激しい雨音をたてながら、強い風に雷も加わっています。一瞬ですが電気が消えましたよ。明日は最高気温が13℃と予想されています。ほんとにもう一度桜が咲くんじゃないかという気候ですね。
長期予報で昨夏のような暑い夏にならない話を聞きました。涼しい夏は経済にあまり良いことではないにしても、実演席の環境を想えば体は楽かもしれません。

12日のブログでご紹介した横浜市のご主人が私に訊くのは、『人に使われているよりいいでしょ?』。ご自身も自営業者だからこそのご質問でしょう。まずサラリーマンからは聞かれない言葉です。
これはかねてより私を知る方々からも幾度となく訊かれました。『今の仕事はなんただ?』といった感じですね。私の場合、15年間のサラリーマン生活、独立してからの8年間、そして草履職人となってからの9年間と、社会人生活も三つに分けられます。それぞれ一長一短は言うまでもないとして、今が一番楽しいのは間違いありません。

かつてサラリーマン時代は、営業一本で県内外を渡り歩きました。通常のルートセールスでは一日200キロもの距離を走り、北海道一周コースともなれば二週間ほど家を空けましたか。百貨店の物産展に出れば、やはり一週間は家に戻りません。多様な出張が重なったときには、休みが一日か二日なんていう月もありました。今のご時世であれば、多少なりとも問題になりそうな勤務状況でしたね。

その当時、世の中の「公務員」という人たちを羨ましく思ったものです。羨ましいというより、「呑気な仕事」と嘲笑していたかもしれません。週休二日制を官庁が率先して始めたとき、最もそういう気分にさせられたものです。今想えば公務員と一口に言っても様々ありますし、相当なエネルギーを費やしている職員も当時からいたはずです。若気の至りと言いますか、私の認識が足りなかったのでしょう。

今年のGWで、カミさん方の親類と久しぶりに飲みました。農水省から組織再編で防衛省に移った彼から聞かされるのは、かつて公務員を嘲笑していた自分が恥ずかしいくらいの過酷さでしたよ。昔はいざ知らず、少なくとも現在の国家公務員はお世辞にも羨ましがられる世界じゃないですね。事実途中リタイヤの同僚が複数いるそうです。

四日間のお休みで、カミさんと仙台の次女を訪ねました。四月から始まった新米ナースは、その現場の過酷さに自炊も満足ではなかったです。朝7時30分に自宅マンションを出て、帰宅は夜7時か8時。休みの日にどうにか洗濯をしているくらいでした。公務員ではないにしても、一定の収入を得るためのエネルギーは今昔で多少の差があるのかもしれません。

現在の私の生活は朝8時50分に自宅を出て、午後5時10分には帰宅しています。昔の公務員より規則正しいですよ。さすがに週休二日制は望めないにしても、こうしてときに休息をとることもできます。娘たちや世間からは、「呑気な仕事」と思われているかもしれませんね。
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商工会会員之章。

2014年05月13日 | 地域の話


まだ真冬の頃、地元紙に画像の記事が掲載されました。「仙北市商工会会員之章」を、初めて角館の伝統工芸樺細工仕様で製作するというものです。それからしばらく忘れていたのですが、年度末も押し詰まったある日、商工会職員が私の元へ届けてくれました。樺細工の「飴色」に金の名入れがよく似合うのは昔から定評ですが、確かに気品があってなかなか良いと思います。その日から実演席の私の後ろに飾られることになりました。

私が実演席でいつも使っている草履台、これも樺細工仕様です。『さすが角館ねぇ、草履を編む台まで高級じゃない!?』のような言葉が日常に聞かれ、『これも話のタネですよっ』の私の返答にお客様も笑顔を見せてくれます。それがそうとばかりではないお客様との会話が、今年の桜満開の日にありました。草履職人生活九年で初めての出来事です。

栃木県からお越しのおじさまは、ツアーのお食事が終わっての残り時間で米蔵を訪れたように憶えています。草履実演を関心高くご覧でしたが、やがて樺細工仕様の草履台に目が移ると、『栃木県ってヤマザクラが植わっている山林が多いんだけど、昔その皮を勝手に剥いでいくのがいたんだ。その木が死んじゃうのでとっても困ったんだよねぇ』。

他人の山へ許可なく入り込み、ヤマザクラの皮を剥いで盗む、いわゆる「盗伐」の話です。ここ三十年ほどの間で樺細工業界に身を置いた者であれば、まずこの事件は記憶にあるはずです。地元紙や隣県岩手の新聞にも取り上げられ、おそらく栃木県や茨城県でも同様の報道がされたと思います。それほど社会問題となったものでした。

角館の樺細工産業は、昭和の終わりから平成の始めにかけてが最盛期です。それでも最大で産地全体の年商が二十億円強ですから、産業としてはさほど大きなものではありません。一方で栃木県や茨城県には、建築の仕上げ材としてヤマザクラの皮を使う産業がありました。和室の天井や床の間によく見られる装飾ですね。こちらの産業規模は角館の六倍とも八倍とも云われます。

盗伐の“犯人”がどこの産地の人間か、あるいはどこの産地へ売りさばいていたのか、今そこに触れる気はありません。角館でも当時、個々の職人さんの元へそんな原皮が持ち込まれたという噂話がありました。いずれにしてもずいぶん昔の話です。このご時世にそんな所業が許されるはずがありませんから、角館の樺細工についても安心していただきたいものです。

こちらのおじさまもこの話題はそこで終わり、許す時間を草履実演見学に費やされました。『この草履は昔から角館にあったわけ?』と訊かれたので、九年前に私が発表したものだとお答えしました。お帰りの際は、『頑張ってくださいなっ』のお言葉もいただいています。

伝統工芸樺細工と角館草履の歴史を比較するとなれば、赤子と仙人ほども違うでしょう。それはそれとして、角館で産する手工芸品のひとつに名前だけでも並べていただける日を夢見て、日々精進を続けることといたしましょう。
樺細工仕様の「商工会会員之章」はこのたびが初めてですが、かねてからの「章」はあったわけです。でも私がいただいたのはこの樺細工仕様が初めてでした。平成八年に会員となって18年、ようやく会員として認められた想いであります。
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明日から四日間お休みです。

2014年05月12日 | 実演日記
角館最大の集客行事である桜まつりとゴールデンウィークが終わり、明日から16日までの四日間を手の休息日といたします。超繁忙期が終わったといえ、これからが暑さも加わる長丁場です。手の疲労を回復させて、少し在庫も回復させないといけませんね。

昨日のこと、横浜市から七十代前半と思しきご夫婦旅がお立ち寄りでした。奥様が角館草履と草履職人に高い関心をお寄せくださり、『世の中にはいろんな商いがあるのね~』。三足しかなかった22cmから定番配色③をお選びくださいました。
ご主人は尺八が趣味とのことで、西宮家に隣接する外町交流広場中庭で二曲ほど披露していましたよ。老人ホームの慰問をライフワークにしているそうで、涙を流して聞き入るお年寄りもいると話してくれました。

そのご夫婦が今日またお訪ねくださり、今度はご主人がご自分用をオーダーくださいました。『いや~、うちの家内があなたを気に入っちゃってさ~、もう一度顔を見てから帰ろうって言うんだよ~』とご主人。一昨日のブログにも書いた通り、私にとってこの上ない褒め言葉であります。

ご主人が私に言うのは、『私も自営してるけど、ほんと、体だけは気をつけなよ。いつまででも働けるのが自営だけど、体壊したら誰も保障しれくれないんだからね』。
昨日初めて会ったばかりの私に、本気で心配してくれているのが嬉しかったですよ。ご主人の自営というのが保険会社というのもちょっとウケましたけどね。


では17日から再開いたします。
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