角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

親類の葬儀。

2008年02月18日 | 家族の話


今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
昨日と同じベースに、合わせを緑にしました。若干年齢層が若くなった感じでしょうか、男性用としてもお洒落な配色と思います。

三日前の2月15日は、いくつものニュースが飛び込んだ日でした。世の中嬉しいニュースがいっぱいある中で、いつもいつもそうとばかりは参りません。その日のニュースは三つ、すべてが「嬉しくないもの」でした。そのひとつが親類からの訃報、本来ならば喜寿を祝うはずの77歳、母方の叔父が亡くなりました。

温厚を絵に描いたような人柄で、まず怒った姿を見たことがない叔父でした。そうした人柄が今日の天気にも表れていたような気がします。朝から青空が広がった一日でした。
戒名は「温山厚賢居士」、まさに人柄そのものです。

今日が葬儀で、「入棺」から「おとき」まで一連の供養に出席して来ました。おふくろの兄弟姉妹は9人いて、年齢差は長兄と末子でかなり離れています。昔はフツーの家族環境ですね。その叔父や叔母たちもだいぶ年齢を重ねていますから、何年かに一度は連れ合いも含めて他界します。「無常」の世の中、ごく自然な在り方でしょう。

このところの十年くらいは、叔父や叔母の加齢のために従兄弟がこうした冠婚葬祭へ出席するようになりました。中にはもう何年も会っていない顔ぶれもあります。そのたびに互いの近況報告、子どもの話、叔父や叔母の体調の話、子ども時代の話題で盛り上がります。今日もまさにそんな賑やかな葬儀と相成りました。

最近しみじみ思うんです、親類の葬儀は長い疎遠を防ぐために必要なんじゃないかと。故人を偲びながらも、過去に他界した親類の話が必ず出てきます。ときにこうした人たちが話題に上るのは、サイコーの供養であるという話を聞きました。
故人の年齢やいきさつでさまざまですが、一連の供養の中に「笑い」があります。これは決して故人に対して失礼とは思えないんですね。

さきほど葬儀宅から戻る際も、従兄弟たちと『また五年くらいのうちに誰か死ぬべぇ』と笑って来ました。もちろんその機会を心待ちにしているのではありません。ただ故人に対して、悼む心と共にそういう機会を設けてくれたお礼も言いたいんですね。
ご冥福をお祈りすると共に、久しぶりの親類に逢わせてくれて『ありがとう』。

コメント
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