今日の草履は、彩シリーズLグループ25cm土踏まず付き〔4500円〕
昨日と同じ井桁プリントをベースに、合わせは青です。やはり明るい青は若々しさを感じさせますね。綺麗な配色と思います。
福島県は、「中通り」「浜通り」「会津」の三つに大きく分けられるようです。中通りと会津はほかに担当者がいて、私は浜通りを回りながら、国道6号線を茨城県へ入るコースを担当していました。
いわき市にあるお茶屋さんのご主人がとても元気で、一人でもお客さんがいるといつまででも喋っているような人でした。「類は友を…」なんでしょうか、お客さんで見えるおばさまたちもとっても元気の良い人ばかりでしたね。
午後二時頃でしたか、私に『昼メシは済んだのがい?』と訊くので、正直にまだですと答えました。するとご主人、『オレもこれがらメシにすっから、良かったら一緒に食う?』と言って連れて行かれたのがご自宅だったんです。浜通りで有名らしいラーメンを作ってくれて、美味しくいただいたことがありました。飲食店ではなくご自宅へ案内されたことが、妙に嬉しかったことを憶えています。
私が会社を辞めてしばらくした後、こちらのお店が廃業したと聞かされました。もうお逢いすることはないと思いますが、せめてお元気で過ごされていることを願います。
福島県には「相馬焼き」という陶器の伝統工芸があります。樺細工を卸すお得意先ではなかったのですが、相馬焼きのおじさんとは東北物産展で一緒になりました。
物産展で一緒になる人たちとは、週に一度か二度みんなで夕食を食べるんです。当時相馬焼きのおじさんは60歳代と思いました。私とはずいぶん年齢差があるのに、妙に仲良しになったんですね。二人で日本酒を飲みました。
そこでなぜか太平洋戦争の話になり、おじさんが特攻隊の志願兵だったことを知りました。私のオヤジは海軍へ志願しましたが、17歳で終戦を迎え無事に角館へ戻ったことを聞いていました。オヤジは軍歌が大好きで、ホロ酔い加減になるといつも歌いだすのは軍歌でした。そんなオヤジの誕生日に、軍歌のLPレコード二枚組みをプレゼントしたことがあります。
相馬焼きのおじさんは、ホロ酔い加減で当時の話を語ってくれました。「特攻隊」、それはお国のために敵艦へ突入する帰りの燃料を持たない飛行、明日は俺か…を想う日々を重ねたそうです。
特攻指令を受けた同志は前夜に一人部屋を与えられ、そこで僅かなご馳走と酒が振舞われたと言います。翌朝笑顔で飛び立つ特攻兵、その部屋を片付ける仕事を任されたおじさんは、しぼれるくらい涙で濡れた枕を何度も見たそうです。そしてそれを話すおじさんの目にも涙がありましたね。
福島県の方とは、西宮家でもよくお会いします。特にご年配の男性とおしゃべりすると、そのときのおじさんを思い出すんです。あれから20年、今もお元気で晩酌していることを願いますね。