ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

私たちに戦争を教えてください

2015年08月17日 | テレビから

        「アイビー・ゼラニューム」   今年は花数がすくなかったです   (15―8―1)




少しづつ、暑さが、緩んできたように感じます。もう一頑張りです。


「私たちに戦争を教えてください」4時間と言う長いものですた。ビデオにとって、
少しずつ、見ました。本当に私は戦争について、何も知らないな~と感じました。

それより驚いたのが、初めに街頭で20歳前後の男女に「8月15日は何の日か
知っていますか?」と言う問いに、答えられたのは一人だけだったのにはショッ
クを受けました。


特攻について
千玄室さんが特攻隊員で、命令を受ける前に終戦になったということは知って
いました。今、92歳でお元気でおられます。

特攻仲間に、お茶を立てて飲ませたところ、一人が「千なぁ~、俺な~生きて帰
ってきたらな、お前んとこの茶室で茶のましてくれよ」の声が70年たった今で
も、耳に残っています。彼は飛んでいったまま帰りませんでした。

特攻隊に選ばれたのですから、死は覚悟です。皆で、故郷のほうを向いて、ポ
ロポロ涙を流しながら「お母さ~ん」って叫びましたよ。お父さんには申し訳な
いけれど、お母さんに抱きしめられて、頭を撫でてもらいたかったのです。

「私が死ぬまで私の戦争は終わりません」と千さんは言われます。


戦時中といえども、恋心が芽生えることもある。特攻に出るときは、前の日に知
らされるそうです。最後の電話をかけるのですが、何もいえない、このあとは、
会うことも、声も聞けないことがわかっています、お互い言葉が見つからない無
言なんですが、受話器を置くこともできない。彼女の方から電話は切ったそうで
すが、未だに心にかかっている。


99歳の男性。
人は「相手を撃ち落とした時気持ちがいいでしょうね!」と言うが、「ちっとも気持
ちよくはないですよ。人の命を殺めることに自分の人生をつぎ込んだ。戦場で出
会った人が、外国人だったら、誰でもいい、早く相手を殺めなければ、自分がや
られる。相手の人と出会ってら、その人と一緒に生きることはもう駄目、それが
戦争なんです。


ペリリュー島
天皇皇后陛下が、慰霊の旅に出られたテレビはみましたが、小さいけれど、日本
軍にとって、重要な島であったとは知りませんでした。

御嘉賞(ごかしょう)=天皇からの褒め言葉、激励の言葉。1度でも光栄なことで
あるのに、この島の働きは昭和天皇から11回(陸軍史上始まって以来)もの御嘉
賞の電報を頂いたそうで、『絶対に死守しなければならない』と思っていたそうで
す。 現在は無人島だそうです。


女性の市電の運転手
8月6日広島に原爆が落とされました。其の3日後に市電が動き始めたそうです。
運転したのは女性です。戦争に男性をとられて、運転手が不足した。広島電鉄
家政学校は運転士や車掌を養成する学校。運転は楽しかったという。「なぜ運
転をしようと思ったのか?」「困っている人がいるから、助けたかった」焼け跡を
走る電車は、市民を勇気づけた。其の電車は、70年たった今でも、現役で動い
ている。

戦争は、人の命を奪うだけではなく、命そのものの重さまでも変えてしまう。
コメント
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