ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

戦争報道

2015年08月19日 | 気にかかる

 「デュランタ=宝塚」  沢山咲きましたが、房が短いようです 秋には植え替えをしてあげなくては 
 亡き友よ! あなたを思い出す 頂いたお花 毎年咲いていますよ!  (15―8―10)







今日は一日曇り空、時々薄日は差しますが、どんよりとした、一日でした。暑く
ないのは助かりますが…。

今朝の「サンケイ」に曽野綾子さんが
「『戦後70年特集』の疲れ」「単なる回顧は戦争回避に無力」

と言う文章を書いておられました。一部を抜粋しました。

「ようやく戦後70年の記念日が過ぎた。マスコミは連日、スポーツか過去の
戦争の記録を振り返り、私はほとほと疲れた」

「もちろん新聞も週刊誌もテレビも、私の知らない戦争の部分をたくさん教え
てくれました。しかし私は8月15日までに心理的にくたくたになった。早くこ
の期間が終わればいいのに、と思ったのは、人の生き死にに深く心を留め
てみているとほんとうにからだの底から疲れるからです」

「この期間のマスコミに、徹底して欠けていた視点があった。戦争にはかなら
ず敵がいるという現実だ。敵無しの戦いはなく、敵はいつでもどこでもいると
いうことだ…、敵のいない時代も場もない。其の敵にどう対処するかを教えな
い心情的平和など、まず力をもたないのである」 


戦争を知らないで、知りたいと思っている私でさえ、「もういいわ!」と感じまし
た。70年と言う事を意識してでしょうか、例年以上に、これでもかこれでもかと
押し付けてくるように感じました。そのように感じたのは私だけではなかったと
安心もしました。

このように書くことは「怠惰」「卑怯者」かとご自分の事を書いておられます。曽
野さんは終戦時13歳だったそうです。私は10歳でした。この頃の1歳の差は
大きいですし、曽野さんはクリスチャンでしっかりとした宗教心を持っておられ
ます。其の私が、共感する部分があると言う事は、私にとって、心安らぐもの
でした。

「原爆の広島・長崎」「終戦記念日」毎年大々的にしなくても、其の時代に生き
ていた、私たちは決して忘れません。若い人に覚えて欲しいと思うなら、それ
はやはり「教育」の場でしょう。「歴史」として覚えさせる教科書に問題があっ
たのですが、それも近年、改善されてきたように聞いています。

大学入試に外れるとして「近代史・現代史」がおろそかになっていたことが、
其の原因だと思われます。教科書は古代から始まるものですから、近代にた
どり着けないこともあります。思い返せば、私も「現代史」は残ったような気が
します。

一大事件である、大東亜戦争あたりから、学び初めて、近代史を学び、実は日
本はこんな国でしたと古代に戻るという学び方は如何でしょうか?、日本史か
ら独立させた「現代史・近代史」を必須教科にするとか、考えて欲しいと思いま
すが…。 

コメント
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