ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

二条城の桜と上村淳之展

2013年04月16日 | 一寸そこまで

            「二条城の桜」 木姿が 私好みで良い     (13-4-15)






4月15日(月) 13日の土曜日に、先日間違った、京都高島屋の「上村淳之展」
にいくつもりだったのに、あの地震騒ぎです。一日おいて、月曜日にいきまし
た。

計画した時点では「二条城の桜」は7分咲きでしたが、前日には「満開」にか
わっておりました。JRで行き京都バスを乗り継いで二条城にいきました。外
人さんと修学旅行生が目に付きました。

私は二条城は初めてだと思っていましたが、廊下が「鴬張り」キュキュと鳴る
ので、思い出しました。戦前小さかった私は、ここに来たことがあるのです、
ほかの事は何も覚えていないのですが、「鴬張り=啼く廊下」と言うのは覚え
ていて、でもそれが何処だったかを覚えていなかったのです。

この音を出す廊下は、曲者の所在を知るためのものだと教えられてのも、思
い出しました。

それから、襖絵が「金色」「飾りや襖の取って」も全て「金」です。「昔の日本は
よっぽど金がとれたん? 何処もかしこも金だらけ、趣味悪いな~」と言いま
した。

丁度そこに修学旅行の中学生を案内してきたタクシーの運転手さんが、話す
のが聞こえました。「昔は電球がなかったから、行灯と言うものに芯に油をし
みこませて、火をつけていた。でも倒れると火事になる。だから出来るだけ、
数少ない行灯で明るくしたい。そこで襖を金張りにした。火の光が金に照りか
えりで、部屋が明るくなると言う考えから、襖は金を使っている」

な~るほど、趣味が悪いのではなくて、実用的な理由があったのだ、と私も勉
強させていただきました。















庭にでました。お目当ての「桜」です。一寸時期を逸した感もありましたが、
まだまだ八重咲きは綺麗でした。それと桜の下草として生えている「タンポポ
の黄色」が薄いピンク色の桜に良く合っていました。

櫓跡の石段の下から、数十段あるのを見て、「どうしよう?」と考えていまし
た。その気配を察したのか、下りてきた外人の女性が「ナイス ビュー」とニ
ッコリと語りかけて来ました。「そういわれれば登らんわけにはいかんな~」
と主人。オイコラオイコラと上りましたよ。

    






気が付くと1時を廻っています。お腹も空いています。次の目的地に移動しま
した。四条河原町の高島屋、7階の食堂街へ、もう2時ですから、「サンドイッチ
とコーヒ」で軽く済ませることにしました。



見たかった「上村淳之展」よかったです。絵の中の鳥たちが話すと言う口調で、
絵の説明が添えてありました。こんなことは初めてですから、新鮮で、親切だ
な~と感心しました。

「ならの「松伯美術館」の存在は知っていましたが、京都にも「京都花鳥館」
(淳之とマイセン陶器)と言うパンフレットを見つけて、行きたいところが又
増えました。

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経験って 凄い!

2013年04月15日 | 今日この頃

                「こぶし」   ご近所で        (13-3-30)


「暑さ寒さも彼岸までの言葉は何処に行ったの」と書いたら、テレビが「寒の戻
り」です、と言う。日本語は素晴らしい、その言葉を聞くと、その情景が目で見
肌で感じることが出来ると、今更ながらに、日本語は良いな~と思った。




4月13日(土) 午前5:33頃、大きな地震が来た。18年前に経験して
いるので、「大きいな~!」と思いつつも、冷静だった。

18年前は今日より、10分ほど遅い時間なのですが、1月の真冬だった為に、
外は真っ暗だった。今朝は、窓の外が明るかったので、それだけでも、恐怖心
が薄かった。

しかし突風が吹いているような、外からの音が聞こえてきました。しかし、小
さな地震で無い事はそのことでも感じた。18年前より大きさも時間も小さか
ったそうですが、「普通ではないな~」と言う感じは受けました。

外人の地震学者が「地震の予告は?」と聞くと即座に大きな声で「出来ません
!」と言われた事を思い出しました。日本の地震学者は「南海トラフト沖地震」
を盛んに警告していますが、何時、何処で起こるかの予測は出来ないと言う、
外人地震学者の方が正解だと思います。

18年前も、それ以前に、時々小さな地震が起きてはいましたが、淡路阪神大
震災のような、大きな地震が来るとは、予告した学者はいませんでしたし、当
時は関東に来ると言う予告だったと思います。

東北の地震だって、予告はなかったのではないですか?あまり恐怖心を煽らな
いで頂きたい。どんなに、逃げる時の用意をした所で、何の役にも立たないこ
とは、18年前の経験で、知っています。

今回も、地震学者と気象台の話は微妙に違いますね、私は気象台の方を信じた
いと思います。「用心しろ」とはいいますが、それ以上心の負担になるような
ことはいわない気象台を信じたいと思います。

相当のゆれだったのは、我家の「ガス」が出ない状態でした。ガスの元栓が揺
れで作動して止っているのかも知れないと、計量器のところにいってみました。
針は止まって動いていません。「え~っと、どうして動かすんだったかな?」
と暫く考えました。「ガスは爆発するからな~」と躊躇したのです。

キャップが1箇所緩んでいました。そこしか開けられるところはないように思
いましたから、キャップを外してみました。あったボタンを思い切って押して
みました、メーターが動いたので、コンロに戻って、点火してみました。ガス
が来ていました。一安心です。

18年前は水が止まって大変でしたが、親しい工務店の方がいて、すぐに直し
てくれたのですが、その方も亡くなり、今度何かあると、何処に言ったらいい
のか分かりません。そんなことがないようにと祈る気持ちです。

経験って凄いものだと思いました。18年前にした経験は常日頃は忘れつつあ
るのですが、今日のようなことがあると、経験として思い出すのです。人間の
頭って凄いな~と思いました。

何はともあれ、何事もなくて、ホッとしています。後は強い余震がこないよう
にと祈ります。

    
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年取ったんだな~

2013年04月12日 | 今日この頃

     「ラッパ水仙」  今年初めて咲きました  来年はモットさいてほしいわ   (13-3-21)




寒かったですね。風が冷たかったです。「暑さ寒さも彼岸まで」この諺は何処に
行ったのでしょう。

唱歌の学校だったのですが、先週は皆で「花見」に行きました、それが今日で
なくて良かったです、こんな寒さで夙川べりで「花見」は出来なかったでしょう
ね。先週でラッキーでした。

のり子先生のお話では、息子さんは、今年、高校生になられたそうです。小学
生のころは時々、お教室に顔を見せていたのですが、そうですね、私たちが入
学したときは1歳か2歳だったのです、そのお子が高校生ですって。道理で私
たちも年を取ったものです。

学校の玄関にたどり着いただけで、そこに居合わせたクラスメートが、「あ~
しんど、ここまで来るだけで疲れるね~」って、毎回毎回同じ事を呟いており
ます。さもありなん。赤ちゃんが高校生になるまで通ってるんですものね。長
続きしているな~、この粘りはたいしたものですよ。と自画自賛。

一時期出にくくなっていた声が出るようになって、嬉しい。その代わり話す声が、
おじさんのような低音になって来ました。「歌う声帯」と「話す声帯」の振動する
場所がは違うのでしょうか?

私は出ない間は、蚊のなくような声で歌っていました。先生が「ソプラノもっと
声を出して!」と言われても、我関せずです。 

声は出さないと出なくなると言うようですが、それは若いうちのことで、70才
前後にもなりますと、声帯が休みたいと言う時は休ませてやるべきです。私は
そうして、無理に出そうとしなかったから、声が戻ってきたと確信しています。
この分では、もう少し、コーラス続けられそうかな?

今日も帰りに、ごとうさんの「無農薬野菜」を頂きました。
ありがたいことです。





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旅色々

2013年04月11日 | 思い出話

      「白木蓮」 今年は花の数が少なかった   尼崎・武庫之荘    (13-3-16)   




アイロンかけの季節が巡って来ました。これからは、洗濯をするたびに、アイロ
ンが必要になります。アイロンかけの苦手な私には、あまり嬉しいことではあ
りません。


春になって、もそもそと穴から這い出す生き物のように、日ごろと違った、景
色を見てみたいな~っと我ねぐらから出てみたくなるのが旅でしょうか。

旅には色んな形がありますが、家族旅行、親子旅行、孫ずれ旅行、夫婦旅行、
友達との旅行等々。

いう人によれば、「友達旅行が、一番気楽で、楽しいよ!」ってことですが、
私は日帰りでは行きますが、友人と宿に泊まったことがないのですよね。だか
らどんなに楽しいかは分からないのです。その他の旅行の形は経験していま
すから、それぞれに楽しいと思っています。

まず、家族旅行、子供が小さいとき、主に夏休みに、あちこちいきましたね。
是は自分の楽しみと言うよりは、「子供の社会見学」のようなものでしたね。
親の私も若かったですから、強行軍でも平気でしたが、一度だけ、お盆だっ
たので広島から大阪まで、ぎゅうぎゅう詰めの新幹線に立ちっぱなしのこと
がありました。体を方向転換も出来ないのですよ。

幼稚園ぐらいの子が「オシッコ行きたい!」と言ったのですが、身動きが取れ
ません、大人たちが、子供を持ち上げて、トイレまでリレーしたのが忘れられ
ません。男の子も状態を察していたのか、一人で済ませて、又親元まで、リレ
ーで運ばれたのでしょうね。その後のことは忘れました。旅に出ると色んな経
験をしますね。

親子旅行は、毎年8月の原爆の日に広島の慰霊祭についていっています。後
は「広島のお好み焼き」の昼食を食べて、3館ある美術館の何処かに行って、
帰宅します。

孫が小学生から中学までの間、二人旅をしました。小学生の低学年は、毎年
「ディズニーランドとシー」でした。東北の4大祭りと、雪の信州だけは、主人
も一緒で3人旅でした。中学になると海外にもいきましたね。この旅を気持ち
良くよく許可してくれた息子たちに、今は感謝しています。今は大きくなって、
会うことも少なくなりましたが、心の中に思い出が一杯あるので、時々思い出
して、楽しんでいます。

私のメインは、やっぱり「夫婦旅」でしょうね。思い返せば、マイカーで日本中
を廻ったと言っても過言ではないと思いますし、その回数は100回を優に超
えていると思います。「友達との旅」を知らない私にとっては、やっぱり、一番
心置きない旅が「夫婦旅」だと思いますよ。

そんなに楽しいなら、「友達との旅」も一度は経験してみたいですね。






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永遠のゼロ

2013年04月10日 | 読みました

  「ヒマラヤ雪ノ下」  今年は株が大きくなり 沢山咲きました     (13-3-25)




今日は珍しく、昼から、図書館に行きました。と言いますのが、リクエストしてあ
る本が、私の番になりますと、朝の8時にメールが入ります。先週末にパソコ
ンで覗いてみると、私への本が「取り置き輸送中」になっていましたが、5日
経ってもメールが入らないので、図書館に電話しました。そしたら、「今日手
配する分に入っていました」と言う事で、メールは入らなかったのですが、昼
から受け取り行ったわけです。

     永遠のゼロ     百田 尚樹

この作家のものを読むのは2度目です。前作も凄い力で、私の心をひきつけた
作家です。この人が、テレビの人気番組の脚本家? とは知らない頃のことで
す。

この「ゼロ」と言うのが「ゼロ戦」と言う戦闘機をさしているとはしりませんでした。

「ゼロ戦」は靖国神社にお参りした「遊就館」で見たことがあります。模型では
なく実物だと聞いたと思います。それが下の写真です。


     実物2.3機分を集めて出来ているそうです。 もう一度じっくり見てみたいです。


私はこの「ゼロ戦」を見たとき、日本はこんなチャチナ飛行機しかなかったから
負けたのだと思っていましたが、現実は違っていました。アメリカの「グラマン」
が出来るまでは「世界一の戦闘機=ゼロ戦」だったそうです。アメリカも「ゼロ
戦」を恐れていたそうです。

「ゼロ戦」だけではありません、もう一度、三宅久之さんが涙ながらに紹介さ
れた「花嫁人形」も見てみたい。

鹿児島の知覧、特攻隊員の基地に行ったときも、特攻隊員のおびただしい、
結果的には「遺書」も見ました。その特攻隊が目指したのは「沖縄」です。沖
縄の皆さん、本土は、沖縄を見殺しにはしていませんよ、若い命を、「生きて
帰れない」と分かっていたのに、笑顔で沖縄に向かって旅立っていったのです。
沖縄戦はアメリカにグラマンと言う戦闘機が出来た後でしたから、「ゼロ戦」
は沖縄まで届かなかったかも知れませんが、「沖縄を救いたい!」と命を懸け
て向かっていったのは事実なんです。

沖縄では、普通の人が巻き込まれて死亡したと言われますが、それは本土と
て同じです。庶民は肉親を失い、家を空襲で焼かれ、それでも必至で生きたの
です。沖縄は、戦後「補償」を受けているようですが、内地の親世代は「罹災証
明」と言う紙切れだけで、後は、何の補償もなく、自分で生きねばならなかっ
たのです。

この本は「沖縄の人」に読んでもらいたいと思いました。しかし沖縄の2大
新聞が「沖縄は悲劇の島」と決め付けていますから、この本は店頭に並んで
いないかも知れませんね。沖縄だけが被害を受けたとしか、書かない新聞で
すから。

大東亜戦争について、何もしらなかった私だと気が付きました。心に残った言
葉を書き抜きます。

・ 皇紀2600年の末尾のゼロを付けて「ゼロ戦」正式名称は三菱零式艦
  上戦闘機

・ 真珠湾攻撃の宣戦布告はしたのですが、受け取ったアメリカの大使館員が
  宣戦布告の暗号をタイプするのに手間取り、アメリカ国務長官に手交する
  のが遅れた。だから、実際は不意打ちではない。

・ 一人前の搭乗員を育てるのは2年掛かるのですが、学生は1年足らずで終
  えました。体当たりするだけの搭乗員です。マスターした人から、特攻隊員
  になって、命を落としました。搭乗員は部品並の扱いだった。

・ ニューギニア、レイテ、インパールでは兵隊は戦って死んだのではなく、
  飢えて死んでいったのです。

・ ミッドウエイで日本の空母が4隻沈没させられたことは徹底して緘口令が
  布かれたため、国民は蚊帳の外に置かれた。

・ ゼロ戦は1発の弾で命を失う、防弾板がないから、上層部は兵隊の命は
  消耗品と見ているとしか思えない。アメリカのグラマンは命を大切にと言
  うつくりで防弾板がしっかりしているので、7.7ミリ機銃だと百発打ち込ま
  れてもけろりとしている。

・ 「桜花(おうか)」=人間が操縦するロケット爆弾。飛行機ではない、自力
  で飛び立つことも、着陸することも、旋回も出来ず、ただまっすぐ滑空する
  ことしか出来ない、上空から敵艦に向かって飛んでいくだけの人間ロケット
  です。現在、打ち上げ地は「桜花公園」となって、「桜花」も置いてあるそう
  です。

・ 海軍は特攻兵器「回天」は人間魚雷。現代の魚雷はコンプーターが付いて
  いて、敵艦が逃げても追尾して命中するように出来ている。「回天」はコン
  ピューターの役目を人間にさせたのです。

・ あの有名な「大和」は3000余人の乗組員たちは。沖縄のために殉死した
  のだ。彼らは軍司令部と連合艦隊司令部のために殺されたが、彼ら自身
  は国のため、沖縄のために命を捧げた。

若い命を捧げた彼らの魂が帰っている「靖国神社」への参拝を、他国に遠慮し
てしないのはおかしい。この本を読みながら、私はず~っと思っていました。

私の親戚にも、特攻隊員で散っていた人がいます。私より10歳ぐらい年上で
したから、「ケンチャン兄ちゃん」と呼んでいました。とても読書家で、家人に怒
られるので、納戸に隠れて読んでいました。兄ちゃんは「舞鶴の海軍」に入隊
しました。一度だけ舞鶴に会いに行ったことがあります。それなのに、何故?
特攻隊に?」とづ~っと不思議でしたが、この本を読んでやっと謎が解けまし
た。海軍から、優秀な人は空軍に志願して、特攻隊に入ったのです。そして、
部品のように扱われて、戦いの空に散っていったのです。

この本を読み終えてた数日後、下記の投書が載っていましたので、載せておき
ます。





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龍村平蔵 時を織る

2013年04月09日 | 一寸そこまで
    

    

今日は又大失敗! 京都の高島屋と大阪の高島屋を間違えて、大阪に行っ
てしまいました。「上村淳之」の絵を楽しみにして行ったのに、大阪の高島屋
では、上のパンフの「織物の龍村」の初代平蔵さんから、数えて創業120年
記念の展覧会をやっていました。

せっかくここまで来たのだからと言う事で中に入りました。「龍村の織物」が
「ゴブラン織り」から来ているとはしりませんでした。

東京・新歌舞伎座の緞帳は「龍村」作だそうですね。右に『桜」左に「紅葉」素
晴らしい緞帳です。今日の昼の部に天皇皇后両陛下が新歌舞伎座にこられ
たそうですね。身を乗り出されるようにして、楽しまれたそうです。

我家にある「龍村のテーブルセンター」の原型と言うか、元になた絵柄もあり
ました。ただ数が多くて、疲れました。でも「怪我の功名」と言うか、良いものを
見せていただきました。


     「今井」のきつねうどん   おいしいよ!   ↓ 豆ご飯は私の豆ご飯のほうがおいしい


お昼に、何十年振りかで、「今井のうどん」を食べに行きました。

昔、心斎橋に来ると、食べに寄っていた場所です。今は「さぬきうどん」が全盛
のようですが、私はここ今井の関西風のうどんが好きなんです。「さぬきうどん」
のようにコシコシ、プリプリしたものよりは、子供の頃から食べている関西のヌ
ルッとした感じのおうどんが大好きなんです。ここ「今井」のうどんは、まさに
それです。

若い頃には「季節ご飯の付いた、天ぷらうどん」をぺろりと食べていたのです
が、今は駄目です。「きつねうどん」と「季節の豆ご飯 小」を追加して、(必要な
かった)二人で主人が1/3、私が2/3食べました。何時もは体の事を考えて「お汁」
は飲まないようにしているのですが、今日は飲みました、美味しかったな~!

今日の心斎橋は平日なのに、大勢の人出でした。韓国の客様・若い女の子のグ
ループ4.50人の団体も居ましたよ。日本をどんな国と感じているのでしょうね。

間違いの出発点でしたが、何とか「今井のうどん」のお陰で、後悔のない一日
になりました。目出度しめでたし。
                                (2070回)




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大阪・フェスティバル・タワー

2013年04月08日 | 一寸そこまで






3月29日(金)に最近完成した「フェスティバル・タワー」を見に行こうかと言う話
が纏まり、折角行くのだから、そこでお食事をしましょうという算段でした。
もうあれから、10日も経ってしまいました。

3枚目の写真、「赤い絨毯の階段」はフェスティバル・ホールへの道だそうで
すよ。世界中からこられる、芸術家の演奏を聴きに行く気持ちを、いやがうえ
にも高揚させずにはおかないだろう、心にくい演出ですね。又この階段を使っ
ての無料演奏会があるようです。


                  ↑  いり口を入った所     ↓  客席


37階「ひらまつ」東京からの出店だそうで、中々の人気で、予約が取れにくいそ
うですが、幸い取っていただきました。私たちは3番目のお客様。空いてるうちに
と、写真を撮りました。ゾクゾクとこられて、満席でした。

話では、気軽にOLがランチに来るという話でしたが、行ってみて信じられませ
んでしたが、周りを見回すと、それらしきOLさんを見かけました。話はほんと
うなんだな~、所帯持ちのお父さんは昼ごはん500円とか言う倹しさですが、
OL生活10年以上とも成れば、たまにはこんな優雅なランチもできるんだな~
と思いました。私たちのOL時代とは雲泥の差です。

2人ずれは、そんな感じの年齢層です。案外若い人の多いのにもビックリです。
私たちの年代になりますと、3~4人が定番のようです。私たちも4人でした。
私たちのように高齢になりますと、何時体調を崩すかもしれないし、ドタキャン
しなければならないことも考えて、二人だけの外出はやめようと申し合わせて
あります。4人いれば、不幸にも一人がドタキャンしても、後の人に迷惑をかけ
ないだろうと言うことです。


               ↑   前菜            ↓  パン2種



   赤ピーマンのムースと海老のタルタル   兵庫産ホタルイカと生ハムとメロンノソルベ

   ↑  プロヴァンス野菜  和歌山産モンゴイカ  ↓  天然真鯛のブランチャーポワレ 彩り春野菜

       ↓  季節フルーツのメリメロ(横から)     ↓   上から


お料理は勿論美味しかったですよ。「フランス、イタリヤ料理の店」なんですけど、
この盛り付けを見ていますと、日本料理の色が濃いな~と思いました。外地で
のお料理も、こんなに繊細でチマチマと盛り付けしていなかったと思います。こ
のセンスは日本料理の盛り付けの応用だと思いました。


デザート  (女性は皆さん5種類取られますと言うので 私たちも遠慮なく5種類頂きました)


デザートの紅茶のカップを見てください。握り手がありません、だから、日本
茶を頂くように飲むわけです。日本茶のように、茶托くではなく、紅茶のよう
にソーサーの上に載ってきます。こんなのは始めての経験です。


タワーの中には色んなお店が入っていました。私たちは「文房具の店」に入っ
てみました。新しい文房具が一杯、「へ~!」「ほ~!」と言いながら、新しい
文具を眺めました。大阪駅まで、往復歩きました。よく食べて、よく体を動した、
楽しい1日でした。











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夙川の花見

2013年04月05日 | 一寸そこまで

                 阪神電車の南の夙川の「桜」     (13-4-5)


唱歌の学校の「花見」に行きました。阪神香枦園で下車、南に下った所です。
南に下ると、海なのですが、そこまで行ったことが在りません。このグループ
で、2.3回、ここに花見に来ましたが、一旦、座席に座ると、花の下を散歩
すると言うことはないグループです。

「花吹雪」とまでは行きませんが、はらはらと舞い落ちる花びらは、風情があり
ました。明日の嵐で、おしまいでしょうか…。

唱歌の学校の生徒ですから、一応食事の後に唱歌を歌ったのですが、やっぱ
り一寸恥ずかしかったです。

平日にもかかわらず、人出はありましたね。お弁当を食べている人も、案外多
かったです。

私はやっぱり阪急夙川の桜が好きですね。川に下りれますし、場所によっては
水面に映る桜が撮れますからね。ここは学校から近いと言う便利性から、ここ
に決まっているのだと思います。

過去に、色んな所に親睦会のお食事に行ったお話が出ました。本当に色んな
所に連れて行っていただきました。ここ1年ぐらい、遠のいています。

又行こうと言う話が出ましたが、25名ぐらいと(今日は11名でした)人数が多
いし、会費が3000円ぐらいと言う事で、中々ない様です。

「高いお金を出しても1品ぐらい増えるだけで、同じや」と言う意見には驚きま
した。

料理の金高と言うのは、やっぱり、鮮度や、料理人の腕、創作力、器、お料理
の出てくるタイミング、全てが違うのです。私はそういうことがとても大切だと思
うし、まず、目で食べる楽しみも欲しいと思うのです。でもそいう事を感じないと
したら、いたずらに高いと感じるだけかもしれませんね。

色んな人がいるから、色んなお店があるのですよね。お話が一番のご馳走の
人と言うことでしょうか。それはそれで楽しみたいと思っています。


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川柳で~す

2013年04月04日 | 雑誌から

           「さんしゅゆ」     尼崎・大井戸公園     (13-3-15)


春を感じさせる一日でした。草むしりのほかは、本を夢中に読んで過ごしました。

明日は、久しぶりの唱歌の学校です。授業前に、皆で「花見」に行って、それ
から、歩いて20分ほどの学校に行くことになっています。今夜の19時の気
象情報で「雨」なら中止と言うお約束でしたが、幸いにも上々のお天気のよう
です。昨日車窓から見た「桜」はとても綺麗でしたから、楽しみにしています。


   年輪が 旅のエリアを 狭くする

過って、何でもなくした、ニュージーランド1ヶ月自動車旅行、北海道1周ドライ
ブ旅行、鹿児島へのドライブ旅行、四国遍路の1300kの歩き等々、今考えただ
けでも、気力のいる旅行、良くぞあの時行って良かったものだと、時々思います。
今は考えるだけで「出来へん!」と思います。

今は、新幹線3時間の東京でも大旅行のような気がします。中々腰が上がり
ません。しかしやっぱり、無理のない程度に、生きている間は、旅もして、気
持ちをリフレッシュするべきだとは思っています。

   平凡と いう幸せを すぐ忘れ

何事もなく、一日が過ぎていくことの幸せを終忘れがちです。しかし、周りの
人の病気、入院等の話を聞くと、日ごろ忘れているか、あたりまえと思ってい
る健康寿命のありがたさを思い出したりします。

   物忘れ 友と比べて 安堵する

同世代の人との話のよさは、同じように老いゆく体力や物忘れが、おきてくる
ことです。話しながら、確認できて「皆同じなんだわ」と一安心して、ストレスの
解消ができることですね。
  

   うっかりか 惚けか不安が よぎる老い

これは一人でいる時の状態です。今まで習慣のようになっていて、考えなくと
も、していたことの手順を忘れたり、つい先ほどまで、確かに覚えていたこと
が、思い出せなかったりしたときに、ハッとするのです。今の状態は「うっか
り忘れたのか? それとも、惚け初めなのか?」と終考えてしまうのが、悲し
いかな、今の私世代です。

   安心を 買って病院 から帰る

私は、これはおかしいと思ったら、すぐお医者さんに行きます。何処かが痛い
時は、特にそうです。そして、診断していただいたら、後は自分で気を付けて
直します。整形外科に行って、電気を掛けたり、温めたりに通うことはありま
せん。通っている人に聞きますと、「直らないのよ、でも治療しているときだ
けは気持ちが良いのよ」と言われます。骨に異常がない限り「筋肉痛」と診断
されれば、「安心」だけをもらって帰って、後は自分で行動します。そういう
気持ちの句だと思います。





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電車の中で

2013年04月03日 | 気にかかる

 投げ入れの 「さくら」 こんな種類の桜は初めて見ました きれい!   神戸・サンチカ  (13-4-3)






クラス会で、三宮に行ってきました。女性は入院者や病人が多くて、珠ちゃんと
私と二人でした。

行きの電車の中の出来事です。芦屋から急行に乗り換えて、窓際の席が空い
ているのを見つけました。若者3人が座っていたので(足が長くて、隙間が少な
い)、入りにくかったので「すみません」と入ろうとしますと、通路側のアベックの
男性が、サット立ち上がって、自分が移動して、私に席を譲ってくれました。女性
のほうも、ここにと言うように、席を指し示してくれました。前の男の子は知らん
顔でした。彼が奥に座りなおせばもっと簡単だったのにと思いました。

暫くして、その男の子が、男性に「WHERE ARE YOU FROM?]と聞きました。「台
湾」と言う答えがかえって来ました。そこで、私ははたと気が付きました。台湾で
は、今も年上の人に礼をお尽くすと言うことが自然に行われているのだと言う
ことに…。日本人の男の子にはその気持ちがありません。

全ての日本人の若者がそうだと言うのではありませんが、学問が出来ると言う
感じの子に限ってこんなことが多いように思います。年寄りに優しいい心使い
を見せるのは、大概は、風貌的には、困った子と言う感じの子です。

これは私だけがそう思うのではなく、友人と話し合った時にも、彼女たちもそ
んな経験をして「人は見かけによらないね~」と話したことがありました。

勉強は優秀でも、思いやりは習っていないのです。ただこの子いい点は、勇敢
?にも、日本語を話していない彼らに話しかけたことです。英語は言葉ですか
ら、使わないと意味ないかもね。

「台湾ですか、台湾のどこから?」「台北です」「僕は一度だけ台湾に行きまし
た」「何方と?一人?家族と?」「学校からいきました」「台湾はどうでしたか?」
「よかったです、食べ物がおいしかったです」「あなた、何歳?」「18歳です、
学生です」等々たどたどしく会話は続きました。分からない言葉があると、何度
も何度も、ゆっくり彼女は話してくれます。

彼は六甲道で降りました。学生ですと言っていたから、神戸大学かな?と思い
ました。しかし、現役の大学生だとしたら、英語は受験のための教科だったの
だろうな~、言葉としては習わなかった、日本の英語教育の成果を目の当たり
にした感じでした。

私も三宮で、席を移動してくれた行為に対して「ありがとうございました」と
礼を言って下車しました。

今日の集まりは5人でした。何時もは約束が次々と忙しい「千葉からの友人」
が私たちの前後の約束がキャンセルになったとかで、ゆっくりと、腰をすえて
3時間ほどお話をしました。

聞き上手な千葉の友人に、まんまとあとの4人はまな板の上に据えられ料理さ
れた感じです。次回は今日欠席だった人にまな板の上に上がっていただきまし
ょう。楽しい時間は瞬く間に過ぎてゆきました。

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