ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

お疲れ様! 魁皇関!

2011年07月20日 | 今日この頃
     
  ↑ 琵琶の木に止っている↓ 手前のセミが羽を震わせてないているのがわかりますか?


今年初めてセミの声を聞きました。主人は日曜日に聞いたそうですが、私は
初めてでした。セミは5年間土の中ですごしますから、6年目に地中に出てき
たことになります。鋭い歯で樹液を吸って生きるんですって。でもね、地上に出
てからは5日間の命だと言いますから…。


魁皇関が引退ですってね。この2・3日テレビを見ていませんでしたから、千代
の富士の記録を抜いて、負けて、負けて、やっと1勝を積み重ねた時が、私の
見た最後の土俵だった気がします。

魁皇は桃太郎が大人になったみたいな人って思っていました。「気は優しくて力
持ち」ってね。

勝ったときは「勝ってしまって、悪かったね~」って目をしてね、負けたら負けたで
「う~ん何処悪かった?」って目をして気弱に人の良さを映しているような…。

勝負師なんだから、気が弱いだけではないと思うんですけど、初土俵は若乃花・
貴乃花兄弟、曙と同期だから、やはり悔しさはあったと思う、でもね、3人より現
役を長く続けた事も、おまけに史上1位の最多1047勝を勝ち取ったと言うのは、
凄いことだと思いますよ。

横綱は次々出ると思いますが、この記録を塗り替える人はなかなかでないのでは
ないでしょうか。

横綱と言えば、魁皇が引退すると横綱は勿論、大関にも日本人力士が居なくなっ
たんですよね。情けないと言うか、寂しいというか複雑な気持ちです。

魁皇のコメント「やっと終わったな、長かったなと思う。振り返れば、色んな人に
支えられ応援してもらった。そういう人たちがいたから、ここまでやってこれた。
23年の相撲人生は長い。簡単には振り返れないが、すべての人に感謝したい。
言葉に出来ないほど、感謝でいっぱい。魁皇としての人生は最高でした」こう言
い切れるのもたゆまぬ努力、勤勉さを貫いた23年間だったからでしょうね。

年寄り「浅香山」を襲名、友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たるそ
うです。放駒理事長が「第二の魁皇を育てて欲しい」って話されたの、これって最
高の褒め言葉だと思いますよ。

今場所の千秋楽が39歳の誕生日だそうです。当分はジャージー姿の場内係の
魁皇を見るしかないのですね、そしてその次は紋付袴の審判員姿、テレビの解説
は背広かな? Yシャツかな? 髷を落とすとどんな顔かしらね~?

これからは親方として、勤勉、実直さを持って、良い関取を育ててください。
本当にお疲れ様でした。




コメント
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