なた豆 (尼崎スポーツセンター・ウッディ 09-9-25)
今年は5つしか出来なかったそうです でも3~40cmはあると思います
今日は唱歌の学校の日でした。天気予報では「昼過ぎが一番強い雨でしょう」の
言葉どうり、電車を下りて歩き始めた途端に大雨です。パンツは膝下までずぶぬ
れ、上着も右肩から袖口にかけてずぶぬれ、えらい目に遭いました。教室に居
る間は上着は脱いでいましたが、帰りには着なくてはなりません。手を通した時
に、ぞ~ットするほど冷たくて、これは早く家に帰って、熱いお風呂に飛び込まな
ければと急いで帰りました。
スポーツセンター・ウッディに「なた豆」がなっていました。お世話をしている方に
聞きました。「これどうして食べるのですか?」「中の豆を干して粉にして、色々使
うらしいよ。なたまめ茶ってあるでしょう…」それ以上はご存じないようでしたので、
帰って調べてみましたら色々と興味のある話が出ておりました。
なた豆は成長すると30~40cmにもなります。江戸時代は若い鞘の時に味噌汁
の具にしたり奈良漬けにしたりして食べたようでう。今でもタッパケ漬けとして食
べられているようです。
昔は「福神漬」には必ず入っていたそうですが、今は少なくなて居るそうです。希
少価値だからでしょうか?
それから「お茶」。驚いたのは「歯磨き粉」になっていた事です。歯茎の病気に良
く効くそうです。
薩摩藩で育てられた「なた豆」がミネラル豊富なのはその土壌にあるようで、2万
年前の桜島の噴火で(火山灰の地層)シラス大地(吉田地区)だからで、又その下
の地層は20万年前の吉田貝層だから「薩摩大根」のように「なた豆」も大きく育
ったのだろうといわれています。
気が付きませんでしたが、去年のNHKの大河ドラマ「篤姫」にも出てきたそうです。
肝付尚五郎が始めて江戸の旅立つ時、なた豆を贈られるというシーンがあったそ
うです。「なた豆」はどんどん先に伸びて、伸びた上の方から実をつけ始め、だん
だん根元の茎に戻って来て実をつけるので、「旅人の無事帰着を祈る」と言う意味
だそうです。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際の「蕎麦」を食べたという話は有名ですが「なた豆」
も食べたという新史料が2002年に発見されたそうです。討ち入りの前日、堀部安
兵衛の義父堀部弥兵衛の妻が自宅から持参したなた豆を切ったものを一同で食べ
たと書かれていたそうです。
薩摩の独特な食材を何故、赤穂藩が知っていたのか、薩摩藩と赤穂藩はとても深い
関係にあったそうです。薩摩藩家老の種子島久基と赤穂藩家老の大石内蔵助は山
鹿流兵学を修めた同門です。参勤交代の際、種子島は大石宅を頻繁におとずれて
食膳の接待を受けていた。そこで薩摩の食材が持ち込まれたのでしょう。
今度は外国のお話です。「なた豆」の英名は「ジャック・ビーン」といいます。一晩で雲
までぐんぐん伸びる「ジャックと豆の木」の「豆の木」のモデルだろうと言われています。
(1190回)
綿が取れましたといいますか?咲きましたといいますか?
綿の葉も紅葉するのですね
今年は5つしか出来なかったそうです でも3~40cmはあると思います
今日は唱歌の学校の日でした。天気予報では「昼過ぎが一番強い雨でしょう」の
言葉どうり、電車を下りて歩き始めた途端に大雨です。パンツは膝下までずぶぬ
れ、上着も右肩から袖口にかけてずぶぬれ、えらい目に遭いました。教室に居
る間は上着は脱いでいましたが、帰りには着なくてはなりません。手を通した時
に、ぞ~ットするほど冷たくて、これは早く家に帰って、熱いお風呂に飛び込まな
ければと急いで帰りました。
スポーツセンター・ウッディに「なた豆」がなっていました。お世話をしている方に
聞きました。「これどうして食べるのですか?」「中の豆を干して粉にして、色々使
うらしいよ。なたまめ茶ってあるでしょう…」それ以上はご存じないようでしたので、
帰って調べてみましたら色々と興味のある話が出ておりました。
なた豆は成長すると30~40cmにもなります。江戸時代は若い鞘の時に味噌汁
の具にしたり奈良漬けにしたりして食べたようでう。今でもタッパケ漬けとして食
べられているようです。
昔は「福神漬」には必ず入っていたそうですが、今は少なくなて居るそうです。希
少価値だからでしょうか?
それから「お茶」。驚いたのは「歯磨き粉」になっていた事です。歯茎の病気に良
く効くそうです。
薩摩藩で育てられた「なた豆」がミネラル豊富なのはその土壌にあるようで、2万
年前の桜島の噴火で(火山灰の地層)シラス大地(吉田地区)だからで、又その下
の地層は20万年前の吉田貝層だから「薩摩大根」のように「なた豆」も大きく育
ったのだろうといわれています。
気が付きませんでしたが、去年のNHKの大河ドラマ「篤姫」にも出てきたそうです。
肝付尚五郎が始めて江戸の旅立つ時、なた豆を贈られるというシーンがあったそ
うです。「なた豆」はどんどん先に伸びて、伸びた上の方から実をつけ始め、だん
だん根元の茎に戻って来て実をつけるので、「旅人の無事帰着を祈る」と言う意味
だそうです。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際の「蕎麦」を食べたという話は有名ですが「なた豆」
も食べたという新史料が2002年に発見されたそうです。討ち入りの前日、堀部安
兵衛の義父堀部弥兵衛の妻が自宅から持参したなた豆を切ったものを一同で食べ
たと書かれていたそうです。
薩摩の独特な食材を何故、赤穂藩が知っていたのか、薩摩藩と赤穂藩はとても深い
関係にあったそうです。薩摩藩家老の種子島久基と赤穂藩家老の大石内蔵助は山
鹿流兵学を修めた同門です。参勤交代の際、種子島は大石宅を頻繁におとずれて
食膳の接待を受けていた。そこで薩摩の食材が持ち込まれたのでしょう。
今度は外国のお話です。「なた豆」の英名は「ジャック・ビーン」といいます。一晩で雲
までぐんぐん伸びる「ジャックと豆の木」の「豆の木」のモデルだろうと言われています。
(1190回)
綿が取れましたといいますか?咲きましたといいますか?
綿の葉も紅葉するのですね