緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

不知火食べた

2020-03-14 23:51:03 | グルメ
「不知火」という銘柄のみかんを食べてみた。
先日記事にした「デコポン」とは違った味だったが、全く酸っぱくなく、ほどよい甘さの上品なみかんだと感じた。
みてくれは悪いがおいしい。
まさに「中身で勝負」でいく果物だ。


コメント

小栗孝之作曲「噴水(Una Fuente)」を聴く

2020-03-14 22:31:43 | ギター
日本のクラシックギターの黎明期に小栗孝之という作曲家がいた。
彼の名前とそのギター曲を初めて知ったのは、大学3年か4年生の頃だったと思う。
全音ギターピースが絶版になると聞き、邦人作曲家を中心にピースを買い集めていた頃だった。
その時に、「4つの小品」と題する小栗氏の曲に出会ったのである。



・Preludio(プレリュード)
・くちなしの花
・噴水(Una Fuente)
・紡ぎ唄(民謡風の主題による幻想曲」

大学生だった私はこの4曲のうち、1曲目の「Preludio(プレリュード)」を最後まで何度か弾いた。
武井守成や斉藤太計雄の曲のような親しみやすい、分かりやすい曲ではなかった。
「プレリュード」はちょっと暗く不思議な感覚をいだかせる曲だった。
この時代にこのような曲を作る作曲家がいたことが意外に感じられた。



全音ギターピースの裏表紙に、作家でありギタリストでもあった深沢七郎の曲目解説が載っていた。
一部を下記に抜粋する。

「小栗孝之氏は1909年、浜松市鴨江町に生まれた。本名小栗卓(たかし)。1943年太平洋戦争の招集に遭い、1944年レイテ島で戦死した。その生涯はクラシックギター曲の作曲で費やされたと言い表わしてもよいだろう。
東京に住んだと思われる大学時代(1930年頃)、本邦ギター界は先駆者たちの時代でもあった。
その多くはスペイン系クラシック曲の亜流的作品と、一方オリジナルな日本の曲を作らなければならない努力をしなければならなかった。小栗氏もその先駆者たちと同じ努力を費やさなければならなかったのである。そのために彼の書いた数多くの中には時と共に滅びてしまう曲もあるであろう。ここに選んだ4曲は日本に生まれた、日本のギター曲だと私は信じている。彼の曲をひくには、まず彼の作り出した運指法を練習してからひかなければならないだろう。それほど独自な曲を書いたのである。彼の作品は彼自身で発表する前に戦禍が彼の生涯を閉じ、遺された譜面は行李一杯といわれている。ほとんど戦災で失ったが、彼の師である小倉俊氏と私の手許に残ったもの数十曲があるだけである。小栗氏は私にとってギターの師のような存在であった。その作品を写譜するのが当時私には最大の喜びであった。」

今日小栗氏の曲を数十年ぶりに弾いてみようと思いたち、楽譜を探して「プレリュード」を弾いた。
そして彼の曲がYoutubeでないか探したところ、深沢七郎氏自演の「噴水(Una Fuente)」が見つかった。

深沢七郎 - 噴水




日本の旋法的な要素はないが、独特の和声とカンパネラ奏法による演奏困難な曲だ。
この時代にこれほどの曲を書けたということは、とても高い才能の持ち主であったことは間違いない。
深沢氏の演奏に、小栗氏の無念さが表れているような気がする。



コメント (2)

静かな夜に-(3)-夜想曲1曲

2020-03-13 21:35:35 | ピアノ
静かな夜に聴くに最もふさわしい曲がある。
ガブリエル・フォーレ作曲「夜想曲第1番」だ。







フォーレのピアノ曲を初めて聴いたのは、20数年前だったと思う。
秋葉原の今は無き石丸電気のCD売り場であてもなくCDを探していたら、フォーレのピアノ曲「13の舟歌集」が目に止まった。
この時すでにあの名曲「パバーヌ」の作曲者がフォーレであることを知っていたが、フォーレのピアノ曲は聴いたことがなかった。
そこで直感で聴いてみようと思って、このCDを買ったのである。
演奏者はフランスのジャン・フィリップ・コラール(Jean Philippe Collard、1948-)であった。
今考えれば、これが私にとって運命的な出会いだった。

家に帰ってそのCDを聴いてみたが、その時は正直、舟歌第1番しか印象に残らなかった。
そしてその後、この舟歌第1番は時々聴くようになった。
それから2、3年経ったであろうか。今から20年くらい前だったであろうか。
またも石丸電気でCDを物色していたら、たまたまだったかもしれないが、フォーレのピアノ曲集が目についた。
それは舟歌ではなく、13の夜想曲集であった。
あまり期待はしなかったが、ともかく聴いてみようと思ってそのCDを買った。

家に帰って、それは夜であったが、畳の上に寝ころびながらそのCDをかけた。
そのときのシーンは今でも憶えているのであるが、最初の夜想曲第1番を聴いたとき、何か今までに全く感じたことのない不思議な気持ちが湧き起ってくるのを感じた。
そしてこの第1番を数回繰り返し聴いた。
ショパンの夜想曲と全く異なる、今までに感じたことの無い感覚だった。
このCDを聴いたのが丁度年末年始で実家に帰省する前日だったのだが、年末年始にこのCDを持っていって正月休みの殆どをこのCDを聴くのに費やした。
とりわけ、このジャン・フィリップ・コラールの弾く夜想曲第1番は素晴らしかった。
これ以来、このジャン・フィリップ・コラールの弾く夜想曲第1番の演奏は、私がこれまで聴いたピアノ演奏の中で最も好きな演奏の一つになった。
ジャン・フィリップ・コラールの演奏を何度も聴いて、この曲の素晴らしさが分かった時の感動は凄かった。
これが第2の運命的な出会いだったと思う。

その後しばらくして、フランスのピアニスト、ジャン・ドワイアンのフォーレピアノ曲全集のCDを手に入れた。
フォーレのピアノ曲集を録音したピアニストとしては、ジャン・フィリップ・コラールやジャン・ドワイアンの他、ジャン・ユボー、ジェルメーヌ・ティッサン・ヴァランタンなどが知られているが、総合的に見た場合、最も優れているのはジャン・ドワイアンの演奏だ。
ジャン・ドワイアンの演奏は凄いとしか言いようがない。
夜想曲は第1番以外はどれもが素晴らしい演奏で、とくに第6番と第7番の演奏は、恐らくこれ以上の演奏は現れないと感じさせるほどのレベルの高い演奏である。
ジャン・ドワイアンは表舞台に立つことを避けていたように思える。
写真も公開されてない。
地味でおとなしい性格だったのであろう。
しかしフォーレの演奏では他の追従を許さない完成度の高い演奏を残した。

フォーレの夜想曲で優れているのは、第1番、第6番、第7番、第13番である。
とくに第6番はフォーレの夜想曲の頂点とも言うべき作品であり、演奏ではジャン・ドワイアンの演奏が最も優れている。
フォーレは第1番を38歳で作曲してから、死の数年前までの間にこの13の夜想曲を書きあげた。
但し13曲中、第8番はフォーレの別の曲集(小品集)として既に発表されていたものを夜想曲集に追加された経緯があり、夜想曲は本来12曲と見なすべきである。

フォーレの夜想曲を第1番から第13番まで(但し8番は除外)聴いていくと、フォーレがプロの作曲家として身を立ててから死ぬまでの間の半生の縮図そのものを表しているように感じる。
第7番から暗い影を落とす。
第9番から第13番までは弾く人は殆どいない。第13番はホロヴィッツも録音したが第9番から第12番を単独で取り上げる奏者は皆無に近い。
第9番以降、フォーレの精神や、深層心理に深い闇が出来ていたことは間違いない。
暗く、ときに狂気すら感じる箇所もある。
フォーレの息子は父親がその時代にそのような心理状態であったことを否定しているが、私は間違いなくフォーレの心に深い闇があったと感じている。
フォーレは晩年、難聴に悩まされたようだが、私はフォーレの難聴と第9番以降の曲想との関連性は感じない。
心の闇がなければ、実際にそれを体験しなければ、表現することが不可能に感じざるを得ない内容の曲だからだ。
フォーレは最初は、初期の頃はこの夜想曲を表舞台で披露されることを望んだかもしれないが、第7番以降(第8番除く)は広く演奏してもらう野心とは全くかけ離れた目的、それはフォーレが自分自身のために、自らの心から聴こえてくるものを音楽にしたいと意図して書き上げたのではないかと思うのである。

私は30代半ばから40代の終わりにかけて、週末、仕事から開放された金曜日の深夜に、静かな夜のしじまの中で、このジャン・フィリップ・コラールの弾くフォーレの夜想曲第1番、とジャン・ドワインの弾く第6番、ジャン・ドワインの弾く舟歌第1番、そしてセゴビアの弾くポンセ作曲「ソナタ・ロマンティカ」の演奏録音を続けて聴いたものだった。
それは本当に至福のひとときであった。

今日久しぶりにジャン・フィリップ・コラールの弾く夜想曲第1番を聴いた。
Youtubeで探したら、ジャン・フィリップ・コラールの演奏が見つかった。
是非聴いて欲しいと願う。
しかし非常に音が悪い。
CDの音はこんなものでない。
ちゃんと聴くのであればCDを買って聴くべきだ。

静かな夜でしか浮かんでこない感覚、夢や期待、希望、悲しみ、切なさというものがある。
そのような感情を音楽にしたのが夜想曲であり、シンプルな構成でしか真価を発揮できない。

Fauré, Nocturne n. 1 en E flat minor, op. 33 n. 1


ジャン・フィリップ・コラールの「夜想曲第1番」。
これを超える演奏が今後現れることは無いと確信する。
コメント

藍川由美演奏 島崎藤村 作詞、藤江英輔 作曲「惜別の歌」を聴く

2020-03-08 20:51:22 | 歌曲
藍川由美氏の演奏を初めて聴いたのは、今から10年くらい前であろうか。
当時は伊福部昭の20弦、25弦箏、ヴァイオリンやピアノ曲などを探しては聴いていた。
そんなときに藍川由美氏の演奏する伊福部昭の歌曲集のCDを見つけて聴いてみたのである。
この歌曲集の中では、「摩周湖」というアイヌの悲劇を歌った曲の演奏が印象に残っている。





今日、藍川由美氏の演奏を久しぶりに聴いてみようとYoutubeで検索してみたら、かなりの数の投稿があった。
その殆どが日本の歌曲である。
とくに明治、大正、昭和初期の日本歌曲が多い。

Youtubeでいくつか演奏を聴いてみたが、日本的情緒を強く感じさせる素晴らしい歌い方だ。
西洋の歌唱の歌い方に影響されていない、純度の高い歌声である。

今回は、島崎藤村 作詞、藤江英輔 作曲「惜別の歌」の演奏を下に貼り付けておきたい。

惜別の歌(昭和17年)藍川由美 Cover


哀しい歌だ。
しかし心にしみじみと響いてくる。
聴くたびに気持ちが浄化されていくのが分かる。
とてもつらい気持ちを感じたときに聴くべき歌であろう。


<惜別の歌について>
「惜別の歌」は、昭和19年、本学予科生であった藤江英輔氏が軍需工場での勤労動員中、召集令状により戦地に赴く学友へ惜別の情を込め、島崎藤村の詩「高楼」に曲をつけたものである。藤江氏は制作にあたり、「高楼」の8連の詩から1、2、5、7連を抜き、1番の「わがあねよ」を「わがともよ」と変えている。
戦争末期「生きて帰ってこい」と言えない世情の中、秘かに友の無事を願う哀惜のメロディは、工場で口づてに広まり、送別の度に歌われた。戦後、島崎藤村のご遺族からご諒承を得た上で、本学グリークラブ(中央大学文化連盟音楽研究会男声合唱部)の歌声でレコーディング(3番まで収録)された。その後、歌手の小林旭氏が歌い人気を博し、惜別の歌は中央大学から社会へ羽ばたき全国に広まった。現在も卒業式等で歌い継がれる本学にとって大切な学生歌である。
【中央大学ホームページより転載】
コメント

ギター録音(2)「アルハンブラの想い出」

2020-03-07 22:23:51 | ギター
今年の抱負で自分の演奏録音を記事に取り上げていくことを書いたが、現時点の生演奏を録音する時間をなかなか確保できない。
そこで昔の演奏でもいいから、過去に録音しておいた自演(ごくわずしかないが)がないか探してみたら、今から30年近く前に弾いた演奏が見つかった。
曲目はF.タレガの「アルハンブラの想い出」。
ギター曲で最も有名で愛されている曲だ。



恐らく1991の年末年始か、その後しばらくしてからのものだと思う。
20代後半の頃の演奏だ。
この頃と言えば、あの暗く古い社員寮の部屋で、樽平をガブ飲みしながらチャイコフスキーの「悲愴」を何度も気の済むまで聴きまくっていた時代を抜け出し、2年くらい経った頃であろうか。
結婚して間もない姉夫婦の家、当時、神奈川県の藤沢というところにあったが、ギターを持っていって数日やっかいになったことがあった。
その時、義兄がビデオを撮ってあげるからギターを弾いてみてよ、と言い出し、タレガのラグリマやアルハンブラの想い出、そしてグラナドスのスペイン舞曲第5番(リョーベート編)を弾いたのである。
その時のビデオは結局私がもらうことはなく、姉の家に長い間保管されていたようだ。
今から7、8年くらい前にクリスマスのお祝いに遊びに行った時に、姉にそういえばあの藤沢の家で撮ってくれたビデオ、まだあるかい、と聞いたら、あるある、と言って押し入れ(クローゼット?)の奥から出してくれたのだ。
そのビデオを借りて、ビデオテープをDVDに変換し、さらにMP3に変換したのが下のリンクだ。

「アルハンブラの想い出」1991年頃の録音


音が小さく録音されてしまっているが、ビデオテープの割には劣化していなかった。
今の私が弾くアルハンブラの速度よりも遅い。
1950年代のセゴビアや若い時のジョン・ウィリアムスの録音と同じくらの速度だと思う。
改めて聴いてみると、この速度も悪くないなと感じる。
もっと速度を上げないと旋律(歌)が聴こえてこないという感じ方をずっと持っていたが、全てにおいてそれがベストだとは言えないのかもしれない。

意外にもこの時の方が今よりもずっと丁寧に弾いている。
それを如実に感じるのは、随所に現れるあの3連符のスラーの部分だ。



この部分を正確に弾くことは難しい。
イエペスはこの部分を上手く弾いていない。
完璧に弾けているのがセゴビアだ。
最も理想とすべき演奏だと思う。
ポンセのソナタ・ロマンティカの第4楽章のあの難しいパッセージも手を抜かずにきちんと弾いているのと重なる。
細かいところも妥協しない姿勢を感じる。

鼻がつまっていたのか。口で呼吸する音が混じってしまっている。
この頃はまだまだ精神的に苦しかったということもあるのかもしれない。

この曲に初めて出会ったのが、ギターを始めて間もない頃だった。
ギターを始めた頃は禁じられた遊びしか知らなく、馬鹿の一つ覚えのように弾いていたが、ある時、それは中学1年生が終ろうとしていた頃だったと記憶しているが、授業が終わり、放課後の掃除の時間が終ってしばらくして、廊下を歩いていた私は突然聴こえてきたクラシックギターの音に思わず驚き、歩みを止め、しばしその調べに耳を澄ました。
この時放送で流れていたのが、「アルハンブラの想い出」だった。
この曲があまりにも美しく、衝撃を受けた。
この時のシーンは今でもはっきりと憶えている。

しばらくしてこの曲を弾いているが誰なのかを知りたくなり、放送部員をつかまえ、音楽室まで連れていき、下校の放送で流した「アルハンブラ」の演奏者をつきとめた。
この放送でかけていたレコードは音楽の授業で使う副教材だった。
その副教材のレコードジャケットの裏面を見て演奏者の名前を見つけた。
その演奏者とは、「ジェイ・ベルリナー」だった。

このジェイ・ベルリナーの弾くアルハンブラの演奏にすっかりとりこになってしまった私は、禁じられた遊びに替わって、アルハンブラを馬鹿の一つ覚えみたいにそればっかり弾くようになった。
ギターの基礎も出来ていないのに無謀なことをやったのである。
完全独習だったので、自己流もいいところ。
それでもこの曲を何度も何度も弾いていたあの頃はとても幸福感に満ちていた。

ジェイ・ベルリナーのアルハンブラの録音は、社会人になって秋葉原の石丸電気でレコードで見つけて買った。
この時10年ぶりに聴いたが、中学1年生で出会ったときの感動が蘇った。
ベルリナーの演奏は決して丁寧とは言えないが、アルハンブラの「歌」が聴こえてくる数少ない演奏の一つだ。
私はこのベルリナーの演奏が一番好きだ。
コメント (4)