緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

藍川由美演奏 島崎藤村 作詞、藤江英輔 作曲「惜別の歌」を聴く

2020-03-08 20:51:22 | 歌曲
藍川由美氏の演奏を初めて聴いたのは、今から10年くらい前であろうか。
当時は伊福部昭の20弦、25弦箏、ヴァイオリンやピアノ曲などを探しては聴いていた。
そんなときに藍川由美氏の演奏する伊福部昭の歌曲集のCDを見つけて聴いてみたのである。
この歌曲集の中では、「摩周湖」というアイヌの悲劇を歌った曲の演奏が印象に残っている。





今日、藍川由美氏の演奏を久しぶりに聴いてみようとYoutubeで検索してみたら、かなりの数の投稿があった。
その殆どが日本の歌曲である。
とくに明治、大正、昭和初期の日本歌曲が多い。

Youtubeでいくつか演奏を聴いてみたが、日本的情緒を強く感じさせる素晴らしい歌い方だ。
西洋の歌唱の歌い方に影響されていない、純度の高い歌声である。

今回は、島崎藤村 作詞、藤江英輔 作曲「惜別の歌」の演奏を下に貼り付けておきたい。

惜別の歌(昭和17年)藍川由美 Cover


哀しい歌だ。
しかし心にしみじみと響いてくる。
聴くたびに気持ちが浄化されていくのが分かる。
とてもつらい気持ちを感じたときに聴くべき歌であろう。


<惜別の歌について>
「惜別の歌」は、昭和19年、本学予科生であった藤江英輔氏が軍需工場での勤労動員中、召集令状により戦地に赴く学友へ惜別の情を込め、島崎藤村の詩「高楼」に曲をつけたものである。藤江氏は制作にあたり、「高楼」の8連の詩から1、2、5、7連を抜き、1番の「わがあねよ」を「わがともよ」と変えている。
戦争末期「生きて帰ってこい」と言えない世情の中、秘かに友の無事を願う哀惜のメロディは、工場で口づてに広まり、送別の度に歌われた。戦後、島崎藤村のご遺族からご諒承を得た上で、本学グリークラブ(中央大学文化連盟音楽研究会男声合唱部)の歌声でレコーディング(3番まで収録)された。その後、歌手の小林旭氏が歌い人気を博し、惜別の歌は中央大学から社会へ羽ばたき全国に広まった。現在も卒業式等で歌い継がれる本学にとって大切な学生歌である。
【中央大学ホームページより転載】
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