日本のクラシックギターの黎明期に小栗孝之という作曲家がいた。
彼の名前とそのギター曲を初めて知ったのは、大学3年か4年生の頃だったと思う。
全音ギターピースが絶版になると聞き、邦人作曲家を中心にピースを買い集めていた頃だった。
その時に、「4つの小品」と題する小栗氏の曲に出会ったのである。
・Preludio(プレリュード)
・くちなしの花
・噴水(Una Fuente)
・紡ぎ唄(民謡風の主題による幻想曲」
大学生だった私はこの4曲のうち、1曲目の「Preludio(プレリュード)」を最後まで何度か弾いた。
武井守成や斉藤太計雄の曲のような親しみやすい、分かりやすい曲ではなかった。
「プレリュード」はちょっと暗く不思議な感覚をいだかせる曲だった。
この時代にこのような曲を作る作曲家がいたことが意外に感じられた。
全音ギターピースの裏表紙に、作家でありギタリストでもあった深沢七郎の曲目解説が載っていた。
一部を下記に抜粋する。
「小栗孝之氏は1909年、浜松市鴨江町に生まれた。本名小栗卓(たかし)。1943年太平洋戦争の招集に遭い、1944年レイテ島で戦死した。その生涯はクラシックギター曲の作曲で費やされたと言い表わしてもよいだろう。
東京に住んだと思われる大学時代(1930年頃)、本邦ギター界は先駆者たちの時代でもあった。
その多くはスペイン系クラシック曲の亜流的作品と、一方オリジナルな日本の曲を作らなければならない努力をしなければならなかった。小栗氏もその先駆者たちと同じ努力を費やさなければならなかったのである。そのために彼の書いた数多くの中には時と共に滅びてしまう曲もあるであろう。ここに選んだ4曲は日本に生まれた、日本のギター曲だと私は信じている。彼の曲をひくには、まず彼の作り出した運指法を練習してからひかなければならないだろう。それほど独自な曲を書いたのである。彼の作品は彼自身で発表する前に戦禍が彼の生涯を閉じ、遺された譜面は行李一杯といわれている。ほとんど戦災で失ったが、彼の師である小倉俊氏と私の手許に残ったもの数十曲があるだけである。小栗氏は私にとってギターの師のような存在であった。その作品を写譜するのが当時私には最大の喜びであった。」
今日小栗氏の曲を数十年ぶりに弾いてみようと思いたち、楽譜を探して「プレリュード」を弾いた。
そして彼の曲がYoutubeでないか探したところ、深沢七郎氏自演の「噴水(Una Fuente)」が見つかった。
深沢七郎 - 噴水
日本の旋法的な要素はないが、独特の和声とカンパネラ奏法による演奏困難な曲だ。
この時代にこれほどの曲を書けたということは、とても高い才能の持ち主であったことは間違いない。
深沢氏の演奏に、小栗氏の無念さが表れているような気がする。