今年の抱負で自分の演奏録音を記事に取り上げていくことを書いたが、現時点の生演奏を録音する時間をなかなか確保できない。
そこで昔の演奏でもいいから、過去に録音しておいた自演(ごくわずしかないが)がないか探してみたら、今から30年近く前に弾いた演奏が見つかった。
曲目はF.タレガの「アルハンブラの想い出」。
ギター曲で最も有名で愛されている曲だ。
恐らく1991の年末年始か、その後しばらくしてからのものだと思う。
20代後半の頃の演奏だ。
この頃と言えば、あの暗く古い社員寮の部屋で、樽平をガブ飲みしながらチャイコフスキーの「悲愴」を何度も気の済むまで聴きまくっていた時代を抜け出し、2年くらい経った頃であろうか。
結婚して間もない姉夫婦の家、当時、神奈川県の藤沢というところにあったが、ギターを持っていって数日やっかいになったことがあった。
その時、義兄がビデオを撮ってあげるからギターを弾いてみてよ、と言い出し、タレガのラグリマやアルハンブラの想い出、そしてグラナドスのスペイン舞曲第5番(リョーベート編)を弾いたのである。
その時のビデオは結局私がもらうことはなく、姉の家に長い間保管されていたようだ。
今から7、8年くらい前にクリスマスのお祝いに遊びに行った時に、姉にそういえばあの藤沢の家で撮ってくれたビデオ、まだあるかい、と聞いたら、あるある、と言って押し入れ(クローゼット?)の奥から出してくれたのだ。
そのビデオを借りて、ビデオテープをDVDに変換し、さらにMP3に変換したのが下のリンクだ。
「アルハンブラの想い出」1991年頃の録音
音が小さく録音されてしまっているが、ビデオテープの割には劣化していなかった。
今の私が弾くアルハンブラの速度よりも遅い。
1950年代のセゴビアや若い時のジョン・ウィリアムスの録音と同じくらの速度だと思う。
改めて聴いてみると、この速度も悪くないなと感じる。
もっと速度を上げないと旋律(歌)が聴こえてこないという感じ方をずっと持っていたが、全てにおいてそれがベストだとは言えないのかもしれない。
意外にもこの時の方が今よりもずっと丁寧に弾いている。
それを如実に感じるのは、随所に現れるあの3連符のスラーの部分だ。
この部分を正確に弾くことは難しい。
イエペスはこの部分を上手く弾いていない。
完璧に弾けているのがセゴビアだ。
最も理想とすべき演奏だと思う。
ポンセのソナタ・ロマンティカの第4楽章のあの難しいパッセージも手を抜かずにきちんと弾いているのと重なる。
細かいところも妥協しない姿勢を感じる。
鼻がつまっていたのか。口で呼吸する音が混じってしまっている。
この頃はまだまだ精神的に苦しかったということもあるのかもしれない。
この曲に初めて出会ったのが、ギターを始めて間もない頃だった。
ギターを始めた頃は禁じられた遊びしか知らなく、馬鹿の一つ覚えのように弾いていたが、ある時、それは中学1年生が終ろうとしていた頃だったと記憶しているが、授業が終わり、放課後の掃除の時間が終ってしばらくして、廊下を歩いていた私は突然聴こえてきたクラシックギターの音に思わず驚き、歩みを止め、しばしその調べに耳を澄ました。
この時放送で流れていたのが、「アルハンブラの想い出」だった。
この曲があまりにも美しく、衝撃を受けた。
この時のシーンは今でもはっきりと憶えている。
しばらくしてこの曲を弾いているが誰なのかを知りたくなり、放送部員をつかまえ、音楽室まで連れていき、下校の放送で流した「アルハンブラ」の演奏者をつきとめた。
この放送でかけていたレコードは音楽の授業で使う副教材だった。
その副教材のレコードジャケットの裏面を見て演奏者の名前を見つけた。
その演奏者とは、「ジェイ・ベルリナー」だった。
このジェイ・ベルリナーの弾くアルハンブラの演奏にすっかりとりこになってしまった私は、禁じられた遊びに替わって、アルハンブラを馬鹿の一つ覚えみたいにそればっかり弾くようになった。
ギターの基礎も出来ていないのに無謀なことをやったのである。
完全独習だったので、自己流もいいところ。
それでもこの曲を何度も何度も弾いていたあの頃はとても幸福感に満ちていた。
ジェイ・ベルリナーのアルハンブラの録音は、社会人になって秋葉原の石丸電気でレコードで見つけて買った。
この時10年ぶりに聴いたが、中学1年生で出会ったときの感動が蘇った。
ベルリナーの演奏は決して丁寧とは言えないが、アルハンブラの「歌」が聴こえてくる数少ない演奏の一つだ。
私はこのベルリナーの演奏が一番好きだ。
そこで昔の演奏でもいいから、過去に録音しておいた自演(ごくわずしかないが)がないか探してみたら、今から30年近く前に弾いた演奏が見つかった。
曲目はF.タレガの「アルハンブラの想い出」。
ギター曲で最も有名で愛されている曲だ。
恐らく1991の年末年始か、その後しばらくしてからのものだと思う。
20代後半の頃の演奏だ。
この頃と言えば、あの暗く古い社員寮の部屋で、樽平をガブ飲みしながらチャイコフスキーの「悲愴」を何度も気の済むまで聴きまくっていた時代を抜け出し、2年くらい経った頃であろうか。
結婚して間もない姉夫婦の家、当時、神奈川県の藤沢というところにあったが、ギターを持っていって数日やっかいになったことがあった。
その時、義兄がビデオを撮ってあげるからギターを弾いてみてよ、と言い出し、タレガのラグリマやアルハンブラの想い出、そしてグラナドスのスペイン舞曲第5番(リョーベート編)を弾いたのである。
その時のビデオは結局私がもらうことはなく、姉の家に長い間保管されていたようだ。
今から7、8年くらい前にクリスマスのお祝いに遊びに行った時に、姉にそういえばあの藤沢の家で撮ってくれたビデオ、まだあるかい、と聞いたら、あるある、と言って押し入れ(クローゼット?)の奥から出してくれたのだ。
そのビデオを借りて、ビデオテープをDVDに変換し、さらにMP3に変換したのが下のリンクだ。
「アルハンブラの想い出」1991年頃の録音
音が小さく録音されてしまっているが、ビデオテープの割には劣化していなかった。
今の私が弾くアルハンブラの速度よりも遅い。
1950年代のセゴビアや若い時のジョン・ウィリアムスの録音と同じくらの速度だと思う。
改めて聴いてみると、この速度も悪くないなと感じる。
もっと速度を上げないと旋律(歌)が聴こえてこないという感じ方をずっと持っていたが、全てにおいてそれがベストだとは言えないのかもしれない。
意外にもこの時の方が今よりもずっと丁寧に弾いている。
それを如実に感じるのは、随所に現れるあの3連符のスラーの部分だ。
この部分を正確に弾くことは難しい。
イエペスはこの部分を上手く弾いていない。
完璧に弾けているのがセゴビアだ。
最も理想とすべき演奏だと思う。
ポンセのソナタ・ロマンティカの第4楽章のあの難しいパッセージも手を抜かずにきちんと弾いているのと重なる。
細かいところも妥協しない姿勢を感じる。
鼻がつまっていたのか。口で呼吸する音が混じってしまっている。
この頃はまだまだ精神的に苦しかったということもあるのかもしれない。
この曲に初めて出会ったのが、ギターを始めて間もない頃だった。
ギターを始めた頃は禁じられた遊びしか知らなく、馬鹿の一つ覚えのように弾いていたが、ある時、それは中学1年生が終ろうとしていた頃だったと記憶しているが、授業が終わり、放課後の掃除の時間が終ってしばらくして、廊下を歩いていた私は突然聴こえてきたクラシックギターの音に思わず驚き、歩みを止め、しばしその調べに耳を澄ました。
この時放送で流れていたのが、「アルハンブラの想い出」だった。
この曲があまりにも美しく、衝撃を受けた。
この時のシーンは今でもはっきりと憶えている。
しばらくしてこの曲を弾いているが誰なのかを知りたくなり、放送部員をつかまえ、音楽室まで連れていき、下校の放送で流した「アルハンブラ」の演奏者をつきとめた。
この放送でかけていたレコードは音楽の授業で使う副教材だった。
その副教材のレコードジャケットの裏面を見て演奏者の名前を見つけた。
その演奏者とは、「ジェイ・ベルリナー」だった。
このジェイ・ベルリナーの弾くアルハンブラの演奏にすっかりとりこになってしまった私は、禁じられた遊びに替わって、アルハンブラを馬鹿の一つ覚えみたいにそればっかり弾くようになった。
ギターの基礎も出来ていないのに無謀なことをやったのである。
完全独習だったので、自己流もいいところ。
それでもこの曲を何度も何度も弾いていたあの頃はとても幸福感に満ちていた。
ジェイ・ベルリナーのアルハンブラの録音は、社会人になって秋葉原の石丸電気でレコードで見つけて買った。
この時10年ぶりに聴いたが、中学1年生で出会ったときの感動が蘇った。
ベルリナーの演奏は決して丁寧とは言えないが、アルハンブラの「歌」が聴こえてくる数少ない演奏の一つだ。
私はこのベルリナーの演奏が一番好きだ。
中学生の時には弾いておられたのですね。
ギター上手な人は皆さん若いころに始められて
素晴らしいです。
定年退職を前に残りの人生をどう過ごすかと考えて
いた頃、仕事で出掛けたフィレンツエの街中で路上
演奏を聴いてこの曲を弾けるようになりたいと退職後
にギターを始めましたが、いまだに四連音練習さえも
指が動かない高齢初心者のままですが、それでも
いつかはと夢を追って継続しています。
アルハンブラの想い出はギター弾きにとって、かけがえのない曲ですね。
演奏の良し悪しに関係無く、この曲を弾く喜びを感じることがまず何よりも大切なことだと感じております。
このところギター以外に、日本の篠笛をやってみたいな、と考えておりますが、実現できるかどうか...。
Tommyさんのブログをときどき読ませていただいております。
コメントもしたいと思っているのですが、人に話しかけるのが苦手なのと同様、なかなか出来ません。
でもいつか(近いうちに?)、させていただこうかなと思っております。
また記事をお読みいただけると嬉しく思います。
4月独特の灰色の空、雲の隙間から微かに柔らかな光が差し込んでいる。灰色の空には、一切の暗さなどない。それどころか道端からは春の喜びと新しい季節の到来を告げる息吹さえ感じる。高校1年生の春の時であった。
北海道の田舎町・・・とはいっても、かつては、○○の町として11万人もの人々が住んでいた。山間の川にそって細長く続く街並みは、それなりに風情があった。
一番奥の山間にある住宅街から戻るように市街地に向かって歩いて来ると、20件ほどの商店が並んだ最初の市街地に突き当たる。その街並みの中間ほどに、赤く塗られた重厚なドア、窓ガラスは教会のステンドグラスのようになっている。そして、いかにも重そうな銅製の取っ手が「高校生などの来るところではないよ」というように、若い客を拒むような大人の雰囲気を漂わせた喫茶店があった。
「赤い屋(あかいや)」・・・。中学生の時分からクラシック音楽に惹かれ、16歳の高校生になったあたりから4,5軒先にある、レコード屋にかなりの頻度で立ち寄るようになった。その途中、横目でその喫茶店をちらちらと眺め、「いつかは入ってみたい」との衝動に駆られていた。
喫茶店のドアの前をためらいがちに何度となく行き来した。「今日こそは・・・」ある日、勇気を奮って重厚なドアに手を掛け、強く扉を引いた。予想以上に扉は軽く開き、薄暗い店内が見えた。えんじ色の制服を着た若い女性が二人、学生服姿の客に違和感があったのか、硬い表情、そして無表情に「いらっしゃいませ」と言いながら、座る席を指し示してくれた。
緊張した表情で、珈琲を注文し、田舎者が必ず行う行動に則り、お決まりの店の中をきょろきょろと見回してみた。その時、柔らかい女性の体を連想する魅力的な楽器、ギターがカウンターの横の壁に吊るされているのを見つけた。「どきっ」という、言いようのない感情がこみ上げてくるのが分かった。
ある日、店で珈琲を飲んでいると、店にはめったに顔を出さないらしい、当店の主らしき中年の男性がレコード袋を小脇に抱えて店に入ってきた。「このレコードかけてくれない。今日、新しく美津野楽器に入荷していたので買ってきたんだ」と言って、店の女の子に渡した。女の子は、ケースからそのレコードを取り出し、慎重にターンテーブルに置きゆっくりと針を下ろした。
スピーカーからは、球を転がすような透明な美しい旋律線と、コントラバスのような低音の伴奏らしき音が聴こえてきた。そしてメロディの間をゆったりと伴奏が縫うように進み、その音はまるで美しい虹のようであった。「なにこれ~」今まで聞いたことのない美しさに思わずプレーヤーのところまで飛んで行きレコードのジャケットを見せてもらった。
ジャケットには、女性の横顔のイラストと共に「禁じられた遊び~アルハンブラの思い出・松田二朗」と書かれていた。「クラシックギター」という存在、「アルハンブラの思い出」というトレモロの名曲、「松田二朗」という芸術家を知った時である。このレコードは純粋な16歳の高校生の心をあっという間に捉えた。
「学生さん、もう一枚○○楽器にあったよ」という店主の声に、我に返った私は、珈琲を飲み干し楽器店に飛んで行った。その時から数十年。美しい女性を感じさせてくれる、美しい楽器「クラシックギター」を抱きかかえ、フランシスコ・タルレガの名曲「アルハンブラの想い出」を拙いテクニックでたどたどしく弾くたびに、純粋な16歳の心が蘇る。また、この名曲を聴くたびに、「一編の美しい詩」を感じさせてくれる。
― 私は、人類が発明した数ある楽器の中で最も美しいのは、ギターであると思う。 ―アンドレス・セゴビア(Andres Segovia 1893年-1987年)
※今回の緑陽さんの演奏する美しいアルハンブラの想い出を聴いて、以前書いた私の拙いエッセーがあるのを思い出しました。投稿しますのでご覧いただけると幸せです。
未だ、私はこの曲を弾くことはできません。(笑い)
fadoさんの多感だった思春期の頃の衝撃的なギターとの出会い、自分がギターと出会った頃の記憶と重ね合わせながら読ませていただきました。
やはりfadoさんにとってギターとの出会いは表向き偶然のように見えても、何か運命的に導かれるものがあったのではないでしょうか。
ギターと出会うずっと前から、もともとギターに対する感受性を潜在的に持っておられた、そして出会うべくして出会った、そんな気がいたします。
もともと潜在的にそのような感覚を持っていなければ、喫茶店でたまたま耳にしたクラシックギターの音に反応することはなかったのではないでしょうか。
そしてその感受性を引き出してくれたのが松田晃演さんの演奏だったのですね。
私の場合もたった1枚の家にあった古いレコード、幼い頃に両親が粗末なステレオで聴いていた、あの傷だらけのレコード、私がギターを始める中学1年生まで長い間封印されていたレコードをたまたま聴くことがなかったならば、クラシックギターをやっていなかったかもしれません。
それは本当に偶然のことでありましたが、何か運命的な引き合わせのようなものが働いたとも思えるのです。
もし私が、今の時代に中学1年生だったとしたら、間違いなくクラシックギターに関心を示さなかったと思います。
そのくらい現在のギタリストの音や演奏に惹き付けるものに欠けているからです。
fadoさんが書いてくれたセゴビアの言葉、あらためめて凄いことだと感じています。
私は2年ほど前からマンドリン合奏を再開し、多くの演奏録音を聴き、また実際に合奏に加わり演奏した経験から、たしかにマンドリンの音は美しいが、ギターの音ほど繊細で、やわらかく、人の気持ちに潜在的に働きかける力を持った楽器は他に無いと思える箇所に何度か出くわしました。
聴こえるか聴こえる分からないくらいの小さな音だけど、ここでギターの音がもし無かったならば、この曲は炭酸の抜けたビールのようにつまらない曲に聴こえただろうな、と感じるのです。
そのくらいギターの音って素晴らしいです。
今回の記事にあげたアルハンブラの自演録音は今から30年前の録音ですが、今までの人生で最も苦しかった時期を少し抜けた頃のものでした。
今よりもはるかに苦しく、生きていくことも大変な時期でしたが、この録音を聴いてギターが自分を救ってくれたんだな、と今では思えるのです。
fadoさんの運命的な出会いの「アルハンブラ」と「松田晃演さんの演奏」、人の生み出すものが、こんなに人に力を与えてくるれものであることに、改めて気づかせてくれるし、もっと他の人びとにもそのエネルギーを分かち合いたい、という気持ちが湧き起ってきます。
今回もfadoさんから力をもらいました。
本当に感謝しております。