緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

静かな夜に-(3)-夜想曲1曲

2020-03-13 21:35:35 | ピアノ
静かな夜に聴くに最もふさわしい曲がある。
ガブリエル・フォーレ作曲「夜想曲第1番」だ。







フォーレのピアノ曲を初めて聴いたのは、20数年前だったと思う。
秋葉原の今は無き石丸電気のCD売り場であてもなくCDを探していたら、フォーレのピアノ曲「13の舟歌集」が目に止まった。
この時すでにあの名曲「パバーヌ」の作曲者がフォーレであることを知っていたが、フォーレのピアノ曲は聴いたことがなかった。
そこで直感で聴いてみようと思って、このCDを買ったのである。
演奏者はフランスのジャン・フィリップ・コラール(Jean Philippe Collard、1948-)であった。
今考えれば、これが私にとって運命的な出会いだった。

家に帰ってそのCDを聴いてみたが、その時は正直、舟歌第1番しか印象に残らなかった。
そしてその後、この舟歌第1番は時々聴くようになった。
それから2、3年経ったであろうか。今から20年くらい前だったであろうか。
またも石丸電気でCDを物色していたら、たまたまだったかもしれないが、フォーレのピアノ曲集が目についた。
それは舟歌ではなく、13の夜想曲集であった。
あまり期待はしなかったが、ともかく聴いてみようと思ってそのCDを買った。

家に帰って、それは夜であったが、畳の上に寝ころびながらそのCDをかけた。
そのときのシーンは今でも憶えているのであるが、最初の夜想曲第1番を聴いたとき、何か今までに全く感じたことのない不思議な気持ちが湧き起ってくるのを感じた。
そしてこの第1番を数回繰り返し聴いた。
ショパンの夜想曲と全く異なる、今までに感じたことの無い感覚だった。
このCDを聴いたのが丁度年末年始で実家に帰省する前日だったのだが、年末年始にこのCDを持っていって正月休みの殆どをこのCDを聴くのに費やした。
とりわけ、このジャン・フィリップ・コラールの弾く夜想曲第1番は素晴らしかった。
これ以来、このジャン・フィリップ・コラールの弾く夜想曲第1番の演奏は、私がこれまで聴いたピアノ演奏の中で最も好きな演奏の一つになった。
ジャン・フィリップ・コラールの演奏を何度も聴いて、この曲の素晴らしさが分かった時の感動は凄かった。
これが第2の運命的な出会いだったと思う。

その後しばらくして、フランスのピアニスト、ジャン・ドワイアンのフォーレピアノ曲全集のCDを手に入れた。
フォーレのピアノ曲集を録音したピアニストとしては、ジャン・フィリップ・コラールやジャン・ドワイアンの他、ジャン・ユボー、ジェルメーヌ・ティッサン・ヴァランタンなどが知られているが、総合的に見た場合、最も優れているのはジャン・ドワイアンの演奏だ。
ジャン・ドワイアンの演奏は凄いとしか言いようがない。
夜想曲は第1番以外はどれもが素晴らしい演奏で、とくに第6番と第7番の演奏は、恐らくこれ以上の演奏は現れないと感じさせるほどのレベルの高い演奏である。
ジャン・ドワイアンは表舞台に立つことを避けていたように思える。
写真も公開されてない。
地味でおとなしい性格だったのであろう。
しかしフォーレの演奏では他の追従を許さない完成度の高い演奏を残した。

フォーレの夜想曲で優れているのは、第1番、第6番、第7番、第13番である。
とくに第6番はフォーレの夜想曲の頂点とも言うべき作品であり、演奏ではジャン・ドワイアンの演奏が最も優れている。
フォーレは第1番を38歳で作曲してから、死の数年前までの間にこの13の夜想曲を書きあげた。
但し13曲中、第8番はフォーレの別の曲集(小品集)として既に発表されていたものを夜想曲集に追加された経緯があり、夜想曲は本来12曲と見なすべきである。

フォーレの夜想曲を第1番から第13番まで(但し8番は除外)聴いていくと、フォーレがプロの作曲家として身を立ててから死ぬまでの間の半生の縮図そのものを表しているように感じる。
第7番から暗い影を落とす。
第9番から第13番までは弾く人は殆どいない。第13番はホロヴィッツも録音したが第9番から第12番を単独で取り上げる奏者は皆無に近い。
第9番以降、フォーレの精神や、深層心理に深い闇が出来ていたことは間違いない。
暗く、ときに狂気すら感じる箇所もある。
フォーレの息子は父親がその時代にそのような心理状態であったことを否定しているが、私は間違いなくフォーレの心に深い闇があったと感じている。
フォーレは晩年、難聴に悩まされたようだが、私はフォーレの難聴と第9番以降の曲想との関連性は感じない。
心の闇がなければ、実際にそれを体験しなければ、表現することが不可能に感じざるを得ない内容の曲だからだ。
フォーレは最初は、初期の頃はこの夜想曲を表舞台で披露されることを望んだかもしれないが、第7番以降(第8番除く)は広く演奏してもらう野心とは全くかけ離れた目的、それはフォーレが自分自身のために、自らの心から聴こえてくるものを音楽にしたいと意図して書き上げたのではないかと思うのである。

私は30代半ばから40代の終わりにかけて、週末、仕事から開放された金曜日の深夜に、静かな夜のしじまの中で、このジャン・フィリップ・コラールの弾くフォーレの夜想曲第1番、とジャン・ドワインの弾く第6番、ジャン・ドワインの弾く舟歌第1番、そしてセゴビアの弾くポンセ作曲「ソナタ・ロマンティカ」の演奏録音を続けて聴いたものだった。
それは本当に至福のひとときであった。

今日久しぶりにジャン・フィリップ・コラールの弾く夜想曲第1番を聴いた。
Youtubeで探したら、ジャン・フィリップ・コラールの演奏が見つかった。
是非聴いて欲しいと願う。
しかし非常に音が悪い。
CDの音はこんなものでない。
ちゃんと聴くのであればCDを買って聴くべきだ。

静かな夜でしか浮かんでこない感覚、夢や期待、希望、悲しみ、切なさというものがある。
そのような感情を音楽にしたのが夜想曲であり、シンプルな構成でしか真価を発揮できない。

Fauré, Nocturne n. 1 en E flat minor, op. 33 n. 1


ジャン・フィリップ・コラールの「夜想曲第1番」。
これを超える演奏が今後現れることは無いと確信する。
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