世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

一人のみ

2006年12月16日 08時18分27秒 | Weblog
一人のみで、一人飲み…な~んちゃって!

我ながらツンドラ気候並の寒い出だしだ…。
昨日は賞与支給日であった。ありがたや~。
反省会と忘年会を兼ねて、一人飲み会を決行。
周囲の雑談を肴に、グラスを傾ける。

この一年を振り返り、ああすれば良かった、こうしていたら良かった、…そんな反省すべき点が次から次へと浮かぶ。
うちの部署は、賞与支給の日に、所属長と面談がある。
「この一年、どうだった?」
そんな問いに、私はきっぱりと答えた。
去年、あんなこと(会社で上司に切れたこと)を引き起こした私に、新たな仕事を与えて面倒を見てくださった吉熊上司に報いるため、精一杯やってきました、と。
いささか陳腐な答えだが、偽りはない。

二日酔いの勢いで書くと、今年、いや、新たな仕事をもらった昨年9月から、私は100%の力を出し続けていた。多少の反省点はあるものの、後悔はしていない。
「結婚は?」
と、いつものお決まり質問にも、今は吉熊上司をフォローすることに集中しているので、恋はしていないと答えた。

今まで、所属長には、自分の自信の無さからそんなことを堂々と言えなかった。
生意気だと思われるのが嫌だったのだ。

私の答えに少し複雑そうな顔をした所属長だったが、「仕事で自分を磨くことに、僕は賛成だよ。がんばれよ」と言ってくれた。
来年へのエネルギーが満タンになった気分だ。

今日も出勤。

冬の朝特有の暗さだが、私の心の中にはあたたかい日差しが降り注いでいる。

がんばるよ、私。

コメント (3)

♪でっきるかな できるかな さてさてホホ~ ~認知行動療法~

2006年12月14日 22時52分46秒 | Weblog
誰だって、何度も確認したり、強いこだわりを持っていたりするものだと思っていた。
しかし、私の行為や考えは、「強迫性障害」だと診断された。

なんだべ?それ。
そんなの知らないよー。

心療内科の医師に思わず
「は?」
と、間抜けな顔を晒してしまったではないか…。

就寝前や外出前、私は何度も確認しないと気が済まない。
☆外出前☆
エアコンのスイッチ、ドライヤーとヘアアイロンのコンセント、煙草の火、あまりないが外出前にアイロンがけをした日には、アイロンのコンセント。コンセントの類は、プラグをいじり、その感触を指に刻んで、抜いたことを深く印象付けている。電気コンロも、使用後に冷えた感触を確かめて、消した事を指に記憶させる。
外出先で「あえ、消したかな?」と不安に陥ったときに、それらの感触を指で思い出して自らを安心させるのである。
やっと施錠して「さあ出発!」しても、今度は施錠したことが信じられずに、途中で引き返すという毎日だ。
出かけるのにいつも10分ぐらいかかる。

☆就寝前☆
靴磨き、ドライヤーのコンセント、煙草の火、戸締まり、明日着ていく服の確認を行う。
私はよくベルトをジャケットの上で締めるスーツが好きなのだが、そのベルトの存在が気になり、夜な夜なクローゼットを漁ってしまうことが多い。
あのスーツにはあのベルトではないと死んでしまうのではないかといったふうに、ある種の強迫に似たものを覚える。
いったんは布団に入るものの、何度も起きて確認しないと気が済まない。
マイスリーを服用しているもんだから、足元はフラフラしているし、けっこう危ない。
恐らく不眠の原因の一端はそこにもあるとのこと。
気付かなかったなあ。

マニキュアに傷があったら、許せないことの他に、世の中では普通だと言われている価値観や物事を強制されたりすすめられると、途端にイライラしてしまう。
顔では同調しているくせに、心の中では「なんで私がそんなことをしなければならないの」と、サイレンがけたたましく鳴り響くのだ。
そんなことを今まで自分らしさだと思っていた。
また確認にしても、みんなそのぐらい普通にやってるんだと思っていた。
しかし、私の行動はエスカレートすると、社会生活に支障が出る病気らしい。


「脅迫性障害(OCD)」を調べてみたら、手洗い癖が主な症状らしいのだが、そんな癖、私にはない。
私の手はたぶん汚い。
雑菌だらけだろう。
そのことを自分で認めても別にストレスは感じない。
ただ、マニキュアの美醜にだけは、尋常でないこだわりがあるだけだ。

薬物療法もあるそうだが、まずは、認知行動療法をしてみようということで、確認しないようにすることを医師に指令された。

「家が火事になってしまうではないか」

当然、そんな不安が沸き上がり、先生に相談する。

「まずは、やってみましょう」と明るく言われたので、やってみるが。

緊張するなあ。
いろんなことに。

とっても不安だ。

♪でっきるかな できるかな さてさて…トホホ~



コメント (5)

駄目デー

2006年12月13日 23時41分13秒 | Weblog
吉熊上司に「どうしたの?」と驚かれるほどの駄目デーだった。
有り得ないことをして動揺→パニクる→失敗ということが連鎖的にあった。

心配事などは特にないんだが、「また何をしでかすんだろう…自分」といった心配が、失敗を招く、そんな日であった。

完璧に私の不注意だ。
慣れとは本当に怖いものである。
慣れていることこそ、きちんと丁寧に真剣に取り組まなければならない。
そのことが分かったから、良しとしよう。

大好きなカレーうどんも食べたし、今夜は早く寝よう。

コメント (4)

金魚が教えてくれたこと

2006年12月12日 23時56分08秒 | Weblog
今年を一言で表したら「命」だそうだ。
思い返せば、今年は命に因んだことがたくさんあった。
生きる上で、一番ベーシックなものなのに、つい忘れがちな「命」。

私が命というものについて、本気で考えたのは小学1年生のときだ。
我が家の庭には池があり、月に一度、水を取り替える作業が行われていた。
まず、池の中にいる金魚をバケツに入れる。
そのあと、父がホイサッサと池の水を庭にぶちまけ、母が池の内側の苔をガリガリと削り取る。
そのあいだ、私たち子供は池の周囲にできた水溜まりで遊んでいた。

親の目を盗んで、バケツの前に座る。
バケツの中では、普段は手の届かない金魚たちが、おとなしく佇んでいた。
飴色に輝く鱗は、幼心にはあまりも魅惑的で、私は両手を水面に近付けた。
「とってもいけないことをしている」
そのときの興奮は、いまだに覚えている。

指と指の間を密着させ、小さな器を作り、金魚に近付ける。
異変に気付いた金魚は、静かな水中でざわめき始めた。

いけない、こんなことをしては。
でも触りたい、その鱗を…!

その中の一匹が、ようやく私の掌に収まった。
鱗を間近で見る。
見入る。
こんなに近くで見るのは初めてだ。
きれい。

幼い指で出来た器からは、すぐに水が滴り落ちて、やがて金魚は掌の中でピチピチと跳ね始めた。

ひんやりとした柔らかい物が、指の神経を撫でる感触が気持良くて、そして不思議で、バケツの中に金魚を戻したくはなかった。

やがて、勢いが失せて、口をぱくぱくさせていた金魚は、動かなくなった。

どうしよう。

私は困った。
こんなことが親にばれたら怒られる。
途方に暮れているとき、背後から母が近付いてくるのに気付いた。

母は、水を張った池に動かなくなった金魚を入れた。
それは、腹を上にして、あっけなく水底へと落ちていった。

透明な水の中で、動かない金魚。

あれ?おかしいな。動きなよ!

動揺した私は、何度も金魚を掬っては池に入れ、そして念じたが、金魚は動くことはなかった。

「わかった?死ぬっていうことは、こういうことなんだよ」

母は、静かに言った。

私はそのとき、泣いた。
怒った母の怖さよりも、死への怖さ、そして私がいたずらに引き起こしてしまった死に、ただ泣いた。

そして、そのとき初めて命の儚さを知った。

あの私の手によって殺められた金魚は、女児に命というものを教えてくれた。

あれからも、私は、庭の蟻をヒトラーのように制圧したり、
血を吸う蚊を圧死させたり、
そして食事という行為を通して、毎日、沢山の命を潰している。

私も、生きるために、色々なことで命を削っている。
私だけではない。
みんなそうだ。
生きるということは、そもそもが矛盾である。

しかし、そのなかで「何か」を残すことはできないだろうか。

…私の掌で死んでいった金魚のように、何かを残すことができたら、私は幸せだ。
コメント (5)

登山口、到着。

2006年12月11日 23時54分00秒 | Weblog
クリスマスの販売応援先が確定、発表された。
例年は割と遠くて、でも宿泊を伴わないという最悪パターンが続いていたものの、今年はかなり近い店とのことで、些か拍子抜けをした。

いよいよ、師走の中間地点が見えてきた。
クリスマスから年末にかけて、こんもりと盛り上がっている山。
今は、やっと登山口に到着、といったところだろうか。

年末年始を安らかな気持ちで向かえたいという希望と、
自分は無事にご来光を拝めるのだろうかといった不安が、
この時期、いつも胸を交差する。

元販売員とはいえ、慣れない店舗の仕事をするのは大変だ。
6年間のブランクはけっこう大きい。
応援先で、「あのヒトは、仕事ができないから本社に行った」とだけは、絶対に言われたくない。

いつからか沸き起こった小さなプライドを守るために、やれるだけやろうと思う。

販売応援で、何より嬉しいのは、買い物を終えた後の満足そうなお客さまの笑顔だ。
特に、私が薦めた商品を買ってもらえた時は、嬉しい。
考えようによっては、そういう「奇跡」を味わえる良い機会だ。

良いことばかりではないが、悪いことばかりでないことも知っているので、なんとか頑張れそうだ。
コメント (4)

ガチャピンではないらしい。

2006年12月10日 23時56分35秒 | Weblog
最寄りの駅近くにガチャピンがいた。

ガチャピンは、多くの人に取り囲まれて写メで撮影されていた。
恥ずかしそうにうつ向くガチャピンを、ゲームセンターのお姉さんは
「ほら!ガッチャピン!恥ずかしがらないで前を見なさい!!」と、S女ばりに叱咤激励していた。
ガチャピンではなく、S女炸裂気味な彼女の方に興味深々で、暫くその様子を傍観してしまった。

せっかくなので、ガチャピンと一緒に写メで写真撮影をしてもらうことにした。
S女さんに携帯電話を渡す。

「ほら、ガッチャピン!写真撮るからね!」

S女さんにシャッターを押してもらい、ガチャピンと握手。
そしてガチャピンの名刺を貰った。
名刺には
「今日もあなたの街をパトロール!! 科学忍者隊リーダー ガッチャピン1号」と記載してあった。
どうやら、「ガチャピン」ではなく「ガッチャピン」らしい。
(あとで調べたら、タツノコプロとフジテレビKIDSのコラボレーションキャラクターということが判明)

ガッチャピンの手は仄かにあたたかかった。
こんな頼れる科学忍者隊がいるこの街は、これからも安泰だろう。
コメント (3)

冬の日差し

2006年12月10日 23時47分23秒 | Weblog
プチ大掃除を終え、布団を干した。
まったりと湯船に浸かる昼下がり。
こうしていると、一週間分の疲れが溶けて出ていくような気がする。

風呂から出て、髪から滑り落ちる滴をタオルで拭きながら、レース越しの外を眺める。
ベランダには燦々と太陽が降り注ぎ、布団が白く光っていた。

「お風呂から出て、外が明るいと、なんか良いですよね」

ずっと前、今の後輩姫君が来る前、私の隣にいたコの発言を懐かしく思う。

冬の日差しは鈍いくせに部屋の奥まで侵入してきて、私の濡れた足元まで光らせた。
真夏の太陽のような彼女は、半年しか私の隣にいなかった。

彼女が辞めるとき、親身になってあげられなかった私。
結局、上べだけの私。
自分さえ良ければ…の私。
退職届を出しに来た彼女に、何も言葉をかけることができなかった臆病な私。

もう、一生会えなくなるんなら、どうしてもっと優しくしてあげられなかったんだろう。

いつだって、そう。
後悔は、ずっと後にやってくる。

そのときは「あれでよかった」って意地張って思う。
偽善的な自分を演じたくないばっかりに。
でも、明るさの中で落下して床にシミを付けていく滴同様、真実は無残にも私に色々な思いを残す。

だから人は、もう戻れない過去に後悔の烙印を押して、その後の人生で、後悔しないように学習していくのだろう。

冬の光が、そう言った気がした。

コメント (2)

『NANA』と『7.4』ぐらいな私

2006年12月10日 23時39分24秒 | Weblog
ずっと観たかった「NANA」。
しかし、その観たい欲求もいつしか忘れていて、今日になって初めて観てみた。
たしか漫画は2巻あたりまで読んだはず。
しかし、ストーリーは忘却の彼方へ…。
1テンポどころか、相当遅れてから自分の中でブームが沸き起こるのはいつものこと…。

今更ながら説明すると、二人の二十歳の女の子の話だ。
恋愛至上主義の小松奈々(ハチ)と、クールな大崎ナナ。
二人は運命の出会いによって同居を始める。

色々考えさせられた。
それぞれの価値観の中で「自分にとっての大切なもの」を守ったり、考えたり。
プライドとの葛藤を繰り広げたり。
「若い人」と一括りされがちな彼女たちだが、でも、みんなそれぞれ一生懸命に生きている。「若い人」をにわかに卒業しつつ自分も、「頑張らないと」と思える作品だった。

続編を予感させるような終り方で、調べてみたら『NANA2』が昨日から公開されているもよう。
知らなかったよ。
すっげーよ、私。
これって運命!?
運命とか信じないタチの、…ハチとは間逆な自分だけど。
かといって、大崎ナナみたいに辛口な人生も遠慮したい…中途半端な、…7.4ぐらいな私である。



コメント (2)

異業種交流

2006年12月09日 08時28分41秒 | Weblog
12/8
退社後、下北沢へ飲み会に行った。
忘年会を兼ねた異業種交流といったところだろうか。

つい話が弾み、終電間近まで飲んでしまった。

ただいま通勤途中。

いよいよ歳末商戦モード突入だ。
毎年のこととはいえ、この非日常的な高揚感はなんだろう…。

さて。
がんばるか。


★☆追伸☆★
コメント書いてくれたみなさん!必ず返事を書きますので、暫しお待ちくださいなまし。
コメント (3)

14歳の母

2006年12月07日 23時54分21秒 | Weblog
昨夜、初めて「14歳の母」なるドラマを観た。
FNS歌謡祭のCMが流れている間、チャンネルを浮気していた。
そしたら、「女王の教室」に出ていた和美ちゃん役の人が、今、まさに出産しているシーンが目に飛込んできたんである。

賛否両論を巻き起こしているドラマのようだが、冒頭に述べたように、観るのは初めてだ。
14歳の女の子が妊娠という衝撃的な事実ばかり取り沙汰されているが、このドラマの主旨はもっと他にもあるんでは…と、観ながら思った。
もし、今の私に妊娠が発覚しても、彼女と同じぐらい動揺し、途方に暮れるだろう。

仕事は?
金銭は?
親や上司はどう思うんだろう。
子供嫌い…。

などなど。

産む、産まないにしろ、色々悩んでしまうに違いない。
性行為が、その果てに命を宿すかもしれないという可能性を秘めていることも、このドラマの主張の一つだと感じた。

私の様な変に神経質気味の人は、こういう番組を観ると、妊娠を過剰に恐れるあまり、「とにかく殿方と交わらないようにしませう」というスローガンを心の中で高々と掲げる。
性行為の前の段階、つまり、恋愛初期でも心の中で「今の生活を崩壊させたいの?今の仕事はどうするの?」と、「女王の教室」のマヤみたいな声が囁く。

また、私は自分の性格が時々分からなくなるときがある。
自分は切れたら何をするか分からない、切れる自分を押さえられない。
昨年、会社で派手に切れてしまった私は、自分に絶望した。
こんな私が子供を産んだとて、子供を折檻してしまうに違いない。

いくら、「生物学的に欠陥があるんじゃないか」とか、「自分の子供は可愛いよ」とか囁かれようが、やはり自分にとっては、それは他人の意見にすぎない。
他人が良いと言ったから、自分も良いと感じられるのでは…と無邪気に信じられないのである。
私は、これからも妊娠やそれ以前の段階に起こる様々なことを激しく拒み続けるのだろう。
己の中にある価値観を信じ、その全ての責任を負うことは、容易でないことは分かっている。
しかし、これは私の宿命なのである。
仕方がない。

だから、私はあのドラマを観ても他人事としか思えず、何とも感じないんである。

コメント (4)

2006年 95点。

2006年12月06日 23時56分31秒 | Weblog
気付いたら12月に入っていた。
今年もあと残りわずかだ。

2006年
今年は95点。

本当に良い年だった。
28年間生きてきて、一番に良い年だった。

夏恒例行事の尾道旅行にも無事行けたし、
秋に開催された同窓会では高校時代の友達に再会できた。
大病もしなかったし、クマも増えた。

本当に良い年だった。

ちゃんちゃん。


で、終りにするのはナンなんで、もう少し続けよう。

95点の総評としては、昨年の夏、決裂してしまった吉熊上司との国交がほぼ回復できたことが大きい。
代償は大きく、いまだにあの時のことを思い出すと動悸が激しくなるが、今となっては良い経験になった。
思えば、あの日以前の私は吉熊上司におんぶにだっこ状態だった。
上司というより、お兄ちゃんであった。
でも、仕事をする上で、あの状態を継続することは不可能だったんだと思う。
暫く仕事をもらえず苦しかったが、自分で仕事を作り出すことや上司の偉大さを考えるキッカケができた。

また、仕事ができる後輩達に対しての焦りや嫉妬もなくなった。
もう、そんなの、どうでもいい。
そう、私のこの一年の流行語大賞は「どうでもいいですよ」だ(微妙に古い?)
私は疲れてしまったのかもしれない。
色々な悩みを持つことに。
しかし、最近ようやく悟れるようになった。

どうでもいいことは、どうでもいいんだ、と(そのまんまじゃん…)。

この一年で、何回心の中でそう呟いたことだろう。
いわば、心の省エネというところだ。
それの応用版として、他人に期待しないという思想も芽生えた。
「してもらおう」という卑しい気持ちが心の根底にあるから、してもらえない時に腹が立つのであり、元々、「してもらえない」という構えで他人に接していれば、さほど落胆せずに済む。
その甲斐あって、私はこの一年、特に後半は安らかに過ごせた。
今まで無駄にしてきたエネルギーを仕事に回すことができたと思う。
今年、吉熊上司にいただいた年賀状に「仕事に集中しよう」と記載してあった。
おそらく、焦る私の心を彼は知っていたのだろう。

そう言えば、昨年は大納会に行った。
その際、東京証券取引所で購入した開運ストラップが2006年を明るい年にしてくれたんだと思う。(今年の大納会は出勤日なので行けない。残念だ。去年ゲットできなかった東証蕎麦のリベンジが果たせない…ううっ)

5点の失点は…まだ納得できないこと、許せない自分が原因。

あと一ヶ月弱で埋め合わせよう。
めざせ、100点満点!

コメント (6)

ユンケルンバでガンバルンバ

2006年12月05日 23時02分56秒 | Weblog
じつは、地味に風邪を引いていたりする。

稲川淳二の怖い話をうっかり聞いてしまったときのように、微妙に背中がぞくぞくしている。
喉も痛むし、鼻もむずむずしている。

そんな時は、これが一番だと他部署の先輩が言っていた。
「ユンケル黄帝液」

昨夜、さっそく飲んだ。
甘いんだか苦いんだか判断つきかねている間に、ユンケル黄帝液は私の食道を通過していった。
じつに不思議な味だと、いつも思う。
貼ってあるラベルの品質表示を読んでみた。
さりげなく「マムシの皮」とか記載されていて、「読まなければ良かった…」と後悔。

普段の栄養補助薬は、ナンパオ(2錠/日)だ。
それに比べるとユンケルはかなり高価な物である。
しかし、風邪の症状を緩和し、風邪そのものを撃退するためには、最善を尽したい気持ちが芽生え、いつも迷わずにユンケルを購入してしまう。
風邪の日は、とことん自分を甘やかし、風邪を直すことを最優先課題にしているのである。

洗濯物を放置しても、夜中にヨーグルトを食べても、うしろめたい気持ちなどサラサラない。

なんて素敵なんだろう、風邪。
ビバ風邪!
どうせなら、風邪を楽しまないと損だ。


☆風邪の日のエトセトラ☆

・ユンケル黄帝液
寝る前のユンケル黄帝液は、効果抜群。
昨夜は殆ど眠れなかった。
暗闇に「絶倫」とか「ユンケルンバでガンバルンバ」といった文字が浮かんでは消えていった。これからは朝に飲むことにしよう…。

・巻き髪
風邪でぞくぞくする時は巻き髪が一番。
首筋に髪が密集し、保温効果抜群。
ちなみに私はホットカーラーを巻いたまま寝てしまうツワモノ。
カーラーを外すだけなので、朝の支度が楽チンなんである。

・ヨーグルト
風邪引いた時はヨーグルトをよく食べるようにしている。
特にフルーツが混入されているヨーグルトは、ビタミンが豊富なので、よく食べることにしている。

・ストナ
私が好きな風邪薬。
これを飲むと、鼻水が一滴も垂れてこない。

さぁて、今宵もさっさと布団に入ることにしよう。
おやすみなさいませ。


コメント (6)

鮮やかに色づいてく 生まれ変わる

2006年12月04日 23時52分57秒 | Weblog
月曜日、そして前月の経費の絞め日で、朝からSF級の時間を体感した。
出勤時、ある程度、今日の忙しさを予感していた。
「あれしよう、そのあとはこれやって…」と、ブツブツ唱えながら歩く。
冬の寒さがいよいよ本格的になってきた。
朝の凛とした空気に急かされるように、歩く。

仕事の計画を立てる楽しさを教えてくれたのは、吉熊上司だ。
サボればサボっただけ後で自分が苦しむこと、
やる気を惜しまなかった分だけ甘い蜜を吸えることなど、
彼の部下になって様々な体験をしてきた。

いつでも私の拙い考えを汲んで、否定したり、また活かしてくれたり、…そういうことができるのは、まさに彼の懐の広さが成せる技なんだろう。
それに応えようと、最近、私はようやく自分なりの考えを口にできるようになった。

仕事をしていると、本当に嫌なこと、腹が立つことが多い。
電話の受話器を投げたことなんて多々ある。

達成感ややりがい、吉熊上司からのお褒めの言葉は、そんな殺伐とした砂漠に潜むオアシスのようだ。
私はただ、オアシスを探すためだけに、砂漠を彷徨っている。

「Oasis」(Do As Infinity)という曲がある。

吉熊上司に恋心を抱いたことはない。
しかし、仕事上で、彼のかけがえのないパートナーになりたいと願い始めた2003年頃、よくこの歌を聴いていた。

「重ね合う声も指も 満ち溢れる夢も
 今はただ この瞬間
 見つめさせて
 
 凍える世界だってまぶしいくらいのキラメキが
 今の二人をきっと照らしてくれるはずよ
 
 透き通った心が今
 私を包むから
 鮮やかに色づいてく
 生まれ変わる」


明日からも頑張ろう。





コメント (5)

漫画に出てくるチーズを食べながら

2006年12月03日 23時43分47秒 | Weblog
風呂上がりにワイン。…たまらんのう。

弱いくせに、最近、よくお酒を飲む。
酒と煙草を溺愛する父の遺伝子が、確実に私の遺伝子に組み込まれていることを、思う。

世界の食品が揃う…という宣伝文句のスーパーが実家の近くにある。
その名も三升屋。
紀伊国屋スーパー並の珍しい食品が揃うんである。
帰省の際にはよくここに寄り、外国産のお菓子やらを購入し、悦に入る私である。

そこで見たチーズが美味しそうだったので、購入した。
よく漫画などで見るチーズは、三角形で穴がポコポコあいている。
今日購入したチーズはまさに私の思い描いていた「漫画に出てくるチーズ」そのものの形状だったので、とっても惹かれた。

実家から帰り、風呂に入った後、一服。
ハナ殿の結婚式の引き出物のワインと一緒に口にする。

チーズにワイン…フフッ。
ちびまる子ちゃんに出てくる花輪君みたいな笑みを浮かべてしまう。

それにしても、風呂上りのアルコールは、どうしてこうも酔いが早く回るのだろうか。
…酔っ払いそうだぜ。

しかし、それはワインのせいばかりではなさそうだ。
…どうやら私は自分というものにも酔える人種なのかもしれない。


独り暮らし@実家

2006年12月03日 23時35分28秒 | Weblog
12/3
ねぼすけの私が起きたとき、既に家には人の気配がなかった。
両親と芋子とりんごや殿は日光にドライブに出たらしい。

のんびりとお茶を飲んだり、「ザ・ノンフィクション」を観たりしていた。
独り暮らし@実家って感じ。

幼稚園生のときに引っ越してきてから22歳になるまで、およそ17年あまりをこの家で過ごした。
この家は、自分の肌にすっかり馴染んだものだった筈なのに、帰省する度にどうしてもヒトサマの家だという意識が私の中で広がる。
特に一人でいるときに、まじまじと実家というものを眺めるとその思いは強まる。

夕方、洗濯物を取り込もうとベランダに出た。
実家を離れる前、洗濯物を込むことは、私に担わされたルーティンワークだった。

ついさっきまで柔らかな光線を地上に撒き散らしていた空が、今は赤く燃えている。
つるべ落としとは、よく言ったもんである。

洗濯物を取り込むことなど忘れ、幻想的な夕暮れに見入っていた。
思えば、この景色はかつて、日常の中の当たり前の取るに足りないものだった。
しかし、今の私にとっては珍しいものに違いなく、その証として、こうして写真に納めたりするのだ。

時は流れる。
ゆっくりと。
でも、確実に。

その流れに乗りながら、東京で自分を少しずつ成長させ、帰省の際の土産にできたら…と思う。

次回の帰省は年末から正月にかけてだ。
歳末商戦を乗り切って、またこの地に降り立とう。
コメント (2)