世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

ようこそ! クマ。

2006年12月03日 23時30分51秒 | Weblog
母から土産物のクマをもらった。
ぺルーにクマはいなくて、ニューヨークの空港で購入されたクマ。

ドキドキの初対面。

かわいい!
なかなか温厚なクマらしく、すっかり吉熊と馴染んでいた。よかった。

母に「ぺルーで、自分探せた?」と訊いてみた。

答えは否。

しかし、新たな発見をすることができたらしい。
ペルーの夕焼け。
水平線に平行する軌跡を描きながら、徐々に暮れていく夕日が印象的だったとのこと。
途中、雲に隠れつつも、再び現れながら地面に吸い込まれていく夕日を見ながら、母はそれを自分の魂に重ねながら見た。
何かしらの困難が起きても、また立ち直りながら生きていく、その繰り返しの果てに人は死んでゆくんだ…そんなことを話していた。
何て答えていいか分からなかった私は「ふーん」とそっけなく返答した。

私はその夕日を見たことがない。
例え同じ光景を見ても、夕日を人生の軌跡や終焉に重ねて見るんだろうか。
いや、そんな思いを持って夕日を見ないだろう。
いまだに臍の緒で繋がっているのではないだろうか、と思うぐらい仲が良い我々母子。
しかし、夕日に対しての母と私の意識の差が、生きてきた長さ、もとい、死に対しての思いの重さの差から生じていることを感じた。

母は確実に何かを得たようだ。

次はエジプトに行きたいらしい。
エジプト産のクマをリクエストしてみた。

帰省

2006年12月03日 23時26分28秒 | Weblog
12/2
実家に帰省。

妹と妹の友達(マイミクであるりんごや殿)も我が実家に来ていて、賑やかな夕御飯になった。
りんごや殿は妹の大学時代の友達で数回面識があるのだが、かなりしっかりしたコだ。

両親は早々と寝てしまった。

りんごや殿がお風呂に入っている間、私と妹は二階の私の部屋でお喋りをしていた。
誰かが廊下を歩く音がしたものの、さほど気にせずに話込んでいた。

すると風呂上がりのりんごや殿が狼狽した面持ちで二階に上がってきた。
話を聞くと、どうやらさっきの気配は弟が帰ってきた音だったらしい。
弟は、市内で独り暮らしをしているのだが、最近うちの近所に出来た新店に手伝いに出ているため、自分の家に帰らずに実家に泊まることが多い。

風呂上がりに障子を開けたら茶の間で大男が寝転んでいるのだから、さぞかしビックリしたことだろうよ…りんごや殿。
弟も普通に寝転んでいたら、面識の無い女性が突然現れたのだから驚いただろう。

その気まずい雰囲気を見てみたかった。

これに懲りずに、また来てくださいな、りんごや殿。

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楽しけりゃオッケーじゃん♪

2006年12月01日 23時57分16秒 | Weblog
夕方、電話の受話器から耳を離した途端、片方のイヤリングが外れた。

耳に穴を貫通させる勇気がない私は、ピアスではなく、イヤリング愛好家だ。
宝飾品業界で働く女子としては珍しいのではなかろうか。

今日は母がぺルーから帰国する日だ。
落ちたイヤリングに不吉なものを感じたが、無事に帰宅できたらしい。

母が旅に出てからも、結局、ぺルーがどこにあるのかを私は調べなかった。
たぶん、自分の中であまり興味の薄いものなんだと思う、ペルーという国は。

残業後、ドトールでお茶兼夕御飯を摂取していると、母から電話がきた。

「いやー、遠かったわ」

そんな第一声から続くぺルー話。
しかも驚くべきことに、母はぺルーの位置をよく知らずに行ったらしい。
「よく分からないけど、楽しけりゃオッケーじゃん♪」という彼女の生き方を見た気がする…。
それに似た話で、昔、華原朋美がセカンドシングル「I BELIEVE」の意味を知らずに歌っていたことを思い出した。

さて、土産はというと南米にクマは販売されていなかったとのこと。
しかし、ニューヨークで飛行機を乗り継ぐ際に、クマを発見したので購入してきてくれたらしい。

新しいクマは一体どんなんなんだろう。
…母国語が英語なのかな?
…部屋に土足で入る習慣を持つのかな?
アメリカンジョークとか披露してくれるのかな?

私も吉熊も、新しいクマに会えることを楽しみにしている。




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