goo blog サービス終了のお知らせ 

世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

考えごと

2014年11月18日 | Weblog
俳優の高倉健が今月10日に亡くなっていたというニュースを知ったのはお昼休み。
スマホの画面に出るニュース速報で知った。ショックすぎて信じられなかった。
彼が出ている映画で私が観たものは「南極物語」「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」「海へ 〜See you〜」で、なかでも「遙かなる山の呼び声」は3回ぐらい観た。

どの角度、どのシーンでも、高倉健は高倉健だと感じさせられる。
そして圧倒的に美しくてかっこいい。
最後に観たのは、2年前のNHKのドキュメンタリーで観た姿だ。
自身の口から語られる役者という仕事に対するストイックさ、ロケ地で地元の人と触れ合うときに見せる笑顔がとても印象的だった。

高倉健の死去自体もすごく悲しいのだが、同時に、この歳になり、テレビの中の死や知っている人の死に接すると、己の中で死に対する疑問が湧き出て来る。
死ぬって何なんだろうって。
特に今年は死に対して物凄く考える一年だった。

年初に観た映画「かぐや姫の物語」の終盤のシーンがよほどインパクトが大きかったものと思われる。
かぐや姫が、育ててくれたおじいさんやおばあさんに話している最中に、空気が読めない月の使者によって記憶を消される羽衣を着せられるというシーンで、死は「○○をやっている最中だからちょっと待った」という融通性を持たない絶対的な力があるのだなと痛感させられた。
あともう一つは、この夏に亡くなった伯父のこと。
小さい頃から私を可愛がってくれた人ともう一生話すことも対面することもないという悲しさ、そして不思議さ。
この二つの出来事があり、死は私の思考の片隅にいつも存在していた。
「どうせいつかは死ぬんだし。いくら努力してもどうせ全ては無になるんだ」
という投げやりな気持ちと、
「人生一回きり。今死んだら後悔するだろ?頑張ろう」
という相反する気持ちが代わる代わる押し寄せてくる、そんなめまぐるしい一年だった。

冒頭、信じられないと書いたが、正しくは信じたくなかったのだと思う。
ずっと生きていて欲しいという願いが高倉健の死を受け入れることを拒否していたのかもしれない。

近々、また彼が出ている作品を観たいなと思う。

そして今日知ったのだが、高倉健はB型の水瓶座。
私と同じである。
中学時代の担任もそうだった。きゃりーぱみゅぱみゅも。
・・・けっこう個性的だよな。


コメント (2)