世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

七五三

2014年11月04日 21時29分59秒 | Weblog
支払いの締め業務で忙しいところ、社長から出張の交通の件で依頼を受けて超忙しかった。
そういうときに限って請求書と納品書の金額が合わない・・・。
なんとか仕上げて吉熊上司に印鑑を貰いたかったのだが、プロジェクトで忙しい彼は自席に戻らず。
社長関連の件は秘書検定1級合格者として腕を振るうときと思わんばかりに張り切った。
その間、店舗への制服の手配やら稟議書の受付をしていたら、あっという間に日が暮れた。
机の上は積雪後の山のような様相を呈し、窓なぞ開ける人がいようものならば、ブリザードのように書類が舞うという。今日は本当にヤバい一日だった。

帰りの電車でスマホをチェック。
マイミクさんのお嬢さんが七五三のお祝いを実家でなさるとのこと。
おめでたい。
私の七五三の三歳のお祝いは殆ど覚えていない。千歳飴をしゃぶっていて「なんて美味いんだろう」と思ったのだけは覚えている。


母の顔は今の私の顔とそっくり。



七歳にもなると両親が奮発して購入したビデオテープ(ベータ)のおかげか、辛うじて記憶は原型のままをとどめている。
七五三の前に着物屋さん数軒に行き着物を買ってもらった。
「どんな色が好き?」と言われ、迷わず「紫!」と答えたことなどからはっきりと覚えている。またそのとき小学館から出ていた「小学一年生」の付録、「オヨねこぶーにゃん」の紙製のバッグを持参していたことも記憶している。

前日は祖母の行きつけの美容室で髪の基礎固めをした。当時、私は何が何でも髪を切らせないという厄介な子で「切らないよね?ね?切らないよね?」と超しつこく母に聞いていた。私の髪は腰まであり、量も半端ない上、天然パーマなのだが上手に結ってもらった。

当日は着付けと結い髪の完成を終えた後、父が撮影するビデオカメラの前で妹と弟で硬直。「動いてもいいんだよ」と言われても、なにやら不思議で動けなかった。写真を撮影するときは動くなと言われていたので、動いてはいけないような気がした。
近所の同じ登校班の子たちに晴れ着を見せるとお姉さん格のノンちゃんが「かわいい」と誉めてくれたことが嬉しかった。老犬トン子も祝ってくれた。

てかさ。5歳の妹までなぜか着物を着てるんだけど!5歳の妹は母が七五三で着た着物をちゃっかり着させられており、「なんで?ずるい!」と私は憤慨した。七五三の着物着用という私の特権が薄れるじゃないか、と。
妹や弟へのそんな恒常的な心理が作用しているのか、いじわるそうな顔をしている私。

実際、あの頃から子供嫌い(声とかうるさくて嫌だった)で、下校後は妹や弟をいじめていた。自分も子供だったのに。この日も千歳飴を彼らから取り上げていじめていた。


その後は着付けを終えた母とビデオカメラ父と妹と弟で、父の友達のお姐さんが経営する写真館で撮影をし、雀宮神社へ参り、親戚宅への挨拶をした。二荒山神社で鳩にポッポコーンを与えながら蹴り飛ばすというシーンも謎なままビデオに残っている。

ビデオを見ると、母方の両親とマスキンで食事をする頃になると着慣れぬ着物に疲れている私が確認できる。
帰宅後、着物を脱ぐのが惜しくて客間で散々父にビデオを撮ってくれと撮らせた。

あれから30年。
自分はもう誰かのために七五三を祝うことも、ましてや祝われることもないのだろうと思う。
妹や弟をいじめていた私の影はもうない。大人になったのである。
だから死ぬまでにもう一度、あの千歳飴を全力で舐めたいと切望することは、大人気ないことだろうか。