世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

8月31日の小学生みたい

2011年08月31日 22時28分43秒 | Weblog
8月31日というとドラマ「東京ラブストーリー」を思い出すのは私だけだろうか。
第1話の最初の方のシーン。
スポーツ用品メーカーのハートスポーツに中途入社する為、愛媛から羽田空港にやってきた永尾完治(カンチ)。
彼を迎えに来たのは事業部の赤名リカ。
挨拶もそこそこに、リカはカンチに「倉庫行って商品の詰め込みしないといけないの。つきあって」と、いきなり命令する。

カンチは倉庫から商品を車に載せる作業が終了したあと、海岸の堤防の上で待っていたリカに声をかける。
奥には東京湾。
建設中のレインボーブリッジ。

カンチ「あの…終わりました」

リカ 「ありがとう。行こうか」

カンチ「…はい」

リカ 「どうした~?元気ないな~?声に。8月31日の小学生みたい。なんか東京にやなことでもあるの?」

カンチ「いや。やなことっていうか、ちょっと不安なのかな…」

リカ 「どうして?」

カンチ「そりゃやっぱ不安ですよ。愛媛からひとり出て来て東京で何するか分かんないし…」

リカ 「そんなの、何あるか分かんないから元気出るんじゃない!大丈夫。笑って笑って!」

カンチ「…」

リカ 「今この時の為に今までの色んな事があったんだってそんなふうに思えるように。だからバッチ付けて」

カンチ「バッチ?」

リカ 「その日その日の思い出をぴっかぴかのバッチにして胸に貼って歩いて行くの。ね!」

カンチ「…」

リカ 「元気ぃ?」

カンチ「あっもう一学期の終業式の小学生みたい」

リカ 「うん!行こっ!」


ここで「東京ラブストーリー」というタイトルが表示されてオープニング。

主題歌である小田和正の「ラブストーリーは突然に」が流れる。
この曲のシングルCDは270万枚も売れる大ヒットとなり、この年のオリコンチャート1位を獲得している。

あのドラマがなかったら東京に来ていなかったかもしれない。それぐらい自分の中では特別なドラマだ。
赤名リカが仕事や恋に溌剌と生きる姿が中学1年生の私には眩しく見えた。
「いつかはあんなふうになりたい」
でも実際にはリカとカンチを割って入る関口さとみキャラによく認定される私。
残念な客観と主観のギャップである…。

先述のシーンだが、赤名リカはもうこの瞬間に恋に落ちていると思う。
「8月31日の小学生みたい」というリカの比喩にカンチが「一学期の終業式の小学生みたい」と返している。
私もそうなのだが、こういう会話って嬉しいし、単純に楽しい。
リカはカンチのエッジの効いたこの会話にフォーリンラヴしちゃったと見える。

田舎の中学生だった私はそういう会話ができる大人に憧れた。
勉強もせず、録画した東ラブの赤名リカの台詞を一時停止してはメモっていた幼き日の自分。
あの労力を勉強に費やしていたら偏差値をあと5ぐらいは上昇させられていたかもしれぬ。
大人になり、それらの台詞は実践の場で発する機会もなく、脳内に埃を被ったまま保存されている。
人生のそのものが「8月31日の小学生みたい」になっちゃっている。
バッチも錆びちゃってる…。

誰かしませんか?
東京ラブストーリーごっこ。
あの「○○○しよ!」は無しの方向で。



2009年夏。
愛媛旅行で巡った東ラブロケ地。
☆カンチの実家


☆最終回、リカとカンチが歩いた寺




☆カンチがリカを探して入ったお店


☆リカがカンチに葉書を出したポスト


☆梅津寺駅









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「少年時代」

2011年08月31日 21時52分42秒 | Weblog
ベタだが、映画「少年時代」のラストが好き。

上野行きの汽車に乗った進二を見送るため、武が一目散に走ってくるあのシーン。

汽笛→進二「大原くん!」のあと「少年時代」の曲が始まる前に少しだけ無音になる。
そこがイイ。
子供でもない大人でもない、そんな少年という時代があの一瞬に凝縮されている気がする。


井上陽水 少年時代


進二を演じた子は私と同じ歳。
定期購読していたチャレンジ(学研だったかも)に、彼のインタビューが載っていた。
本作品の富山へのロケで修学旅行に行けなかったとか言っていたような気がする。


久しくあの作品を観ていない。
今度観てみようかな。


夢花火の八月は今日でおしまい。
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Hate tell a lie

2011年08月31日 20時39分30秒 | Weblog
「その気になればイイ人なんていくらでもできますよ。大丈夫ですよ」
と慰めてくれるのはありがたいが、その気になってもイイ人はいらないと思う私には五月蠅く感じられる。

いらない商品を
「いつかはあなたにも買えるから大丈夫」
と言われているのと同じ。

スキンヘッドの人が
「髪、カラーリングしてみなよ。明るく見えるよ」
と言われるのに似ている。

私の思い描く「イイ人」の基準は特殊なので、そこら辺には流通していない。
眼鏡、7:3分け、子供嫌い、結婚願望が皆無という特別なスペックを持っていない殿方には全く惹かれないんである。
なので冒頭のようなことを言われても、
「あなたには分からない。ええ、分かってたまるもんですか」
という感想しか持てない。
その場は笑みを浮かべているけど。

たまに「イイ人」が出現する。
砂漠で宝石を見つけられるような確率で。
キタコレ!と心がざわめく。
同志発見。
しかし、土壇場で「最近自分の子供の顔が見てみたいと思うんだよね」とかのたまう。

襲いかかる絶望。悲しみ。
あなたもあっち側の人だったのね…。
泣く泣く芽生えた感情を摘み取る。

彼らの種族保存本能を頭では理解できる。
だけど裏切られた感が自分の中でねっとりと残るのも事実。
自分が勝手なのは重々承知なのだけれども。

ここで相手に同調するのも一つの策だ。
しかし自分に嘘を吐いてまで得るものに果たして意味はあるのだろうか。
後で苦労するのは目に見えている。
騙すだなんて相手にも失礼だ。
だいたい、嫌いなものを途中から好きになれることなんてめったにない。
嫌いなものは死ぬまで嫌いだ。
私の子供嫌いはそれほど根深いのである。

そんな悩める子羊、いや小熊のバイブルは
「ひとりでも生きられる」(瀬戸内 寂聴)


愛について深くとりあげられているが「恋愛指南書」とは全く違う。
人生の手引書を読みながら初秋を迎えよう。

そして一曲。
華原朋美 - Hate tell a lie

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