晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

藤原伊織 『雪が降る』

2009-09-06 | 日本人作家 は
これまでに読んだ藤原伊織作品はどれもけっこうなハードボイルド
作品でして、主人公がどこか人生に張りがないというか、つまらな
い日常を送っているところに突然大仕事が舞い込む、といった感じ
の物語でしたが、今回読んだ『雪が降る』は、表題作含む計6作の
短編なんですけど、どれもほんわかと心温まるような作品です。
まあ、ハードボイルド的な作品もあるにはあるのですが、話の主軸
をタフな主人公から世間の人の繋がりや優しさにしています。

『雪が降る』は、仕事はいいかげんではないものの、上昇志向はな
くなり、よれた背広でもお構いなしという大手企業の課長職の志村
が、ある日「雪が降る」というタイトルのメールを開いてみると、そこ
には《母を殺したのはあなたですね》という内容。
送り主は、会社の同期で、現在は上司である高橋の息子。
そして、志村は高橋の息子と連絡を取り、ふたりで会うことに。

まだ志村も高橋も若い頃、一人の女性をめぐり争うことがありました。
それが高橋の妻。しかし彼女は交通事故で亡くなっており、息子は
母が生前、志村と再会していたことを知り、しかも亡くなったのは志
村との再会のすぐ後であった・・・

じつにロマンチックな話で、しかしただロマンチックで終わらせたくな
かったのでしょう、ちょっとしたどんでん返しを加えています。
こういう遊び心が話にどこか余裕を感じさせ、読むほうも肩肘はらず
に楽な気持ちで物語に入り込めるのです。

ある程度の人生経験を経てからのほうがこの本は楽しめますね。
だからといって若いヤツは読むな、というわけではないんですけど。
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恩田陸 『Q & A』

2009-09-03 | 日本人作家 あ
恩田陸の「夜のピクニック」を読んで、とても面白かったのですが、
それ以降、他の作品を読む機会はありませんでした(それはもう
たんなるこちらの都合ですが)。別に避けていたわけでもないんで
すけど。
そういったわけで『Q&A』を読んだのですが、この作品ははじめか
ら終わりまですべて質問と応答形式になっており、この一対一で
のやりとりは一組だけではなく、さまざまな組み合わせがあり、聞
き手あるいは答える側のどちらかの身分が説明されていない場合
もあったりして謎につつまれたまま別のQ&Aがはじまり、具体的
に描かないぶん、ミステリー度合が増してゆき、煙の中を手探りで
這い歩き、視界のきかない彼方に答えはあるのか、見つけることは
できるのか、真実をすべて知ることは必ず正しいのか、そんな気分
になりました。

東京の郊外にある大型ショッピングセンターで、火災が発生したと
の通報があり、しかし建物からは煙が出ている様子はなく、そのう
ち有毒ガスが撒かれたとの情報も入り、錯綜します。
結果、火災も有毒ガスもなく、しかしこの情報にパニックに陥った店
内にいた客たちは一斉に逃げ、下の階にいた客は上へ、上の階に
いた客は下へエスカレーター付近でごった返し、六十数名の死者を
出したのですが、その全員が人の波による圧死あるいは転落死。
複数の階で不審な人物の目撃情報が多数あったのですが、その不
審者が建物に火をつけたわけでもなく、ガスを撒いたわけでもありま
せん。

この事件の渦中にいて生き残った人物、報道関係者、被害者家族、
傍観者、その他いろいろな人物がこの事件についての思いを述べて
いきます。
犯人のいない事件。原因のわからない大勢の死者を出した事件。
被害者の苦しみ、当事者ではない人たちの心情、これらが淡々と
語られていくことで読者は感情移入しにくくなり、あくまで「傍観者」
という立場でこの話を知ることになります。しかし全貌は分かりません。

こういった形式は別段目新しいものでもないのでしょうが、この作品
ではたして著者は何を伝えたかったのか、そしてなぜこの形式を選
んで書かれたのかと考えると、これは近年のメディアと視聴者との
関係性に近いのではないか、という感じがしました。
送る側と受け取る側の意識の乖離とでもいいましょうか、それは日常
でたまたま隣りあわせた他人に対する意識でもあり、その意識の希薄
さがスマートであるという風潮に対する警鐘なのか。
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夏目漱石 『こころ』

2009-09-02 | 日本人作家 な
つい先日「吾輩は猫である」を読み、やっぱり夏目漱石は
おもしろいなあと今更ながら感心し、ついで「こころ」を読ん
でみたのですが、10代までに読んでおきたかったと、ちょ
っとした後悔をおぼえました。

ある学生が鎌倉へ遊びに行いったときに、学生はどこか謎
めいた男と出会い、妙に興味を抱き、「先生」と呼び、その
「先生」のことについて知りたくなるのです。
特にこれといって仕事もせず、本を読むばかり、家には奥さ
んと下女(今風にいうとメイド)と暮らし、後ろ暗い過去を持っ
ていそうな、人生にあまり前向きでないような感じすらします。
その背景をどうしても知りたくなった学生は問うのですが、期
待する回答は得られず、そのうち学生は親が倒れて帰省しま
す。
郷里で父親の看病をしていたとき、先生から手紙が届きます。
その手紙の内容は、なぜ退廃的ともいえるような暮らしになっ
てしまったのか、その原因が長く書き綴られていて・・・

物語の後半は、先生の学生時代、友人Kという、あえて本名を
伏せているのですが、このKとの友情やがて亀裂が描かれます。

これが現代の男同士の友情に男女の恋愛が絡んで云々だと、
「こころ」にあるようなヘビーでストイックな心情はちょっと理解し
づらい部分もあったりするのですが、ましてやKの出した答えな
んて、たとえそこには様々な要因、時代背景があることを解釈
したところで「そりゃないよ」と思うのが当然なんでしょう。

しかし、その過程の苦悶、葛藤などはいつの時代でもあるもので、
これは不変なんだなあと感じることもまたできます。

物語が不条理な結末で終わると、どうにも納得できないままモヤ
モヤしたものが心に残ってしまうのですが、美しい文体がそれを
補って余りあるほどに印象深くさせる、100年を経てなお読み継
がれてゆくに値する作品だと敬服。
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