晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

池波正太郎 『戦国幻想曲』

2019-11-13 | 日本人作家 あ
前回の投稿で「これから週一で投稿できたら(努力目標)」
と書いた手前、いきなりサボるというのもどうかと思った
ので、どうにかこうにか間に合いました。

文庫で買ったんですが、表紙の絵は、槍を持った騎馬武者。
ということで、この作品の主人公は「槍の勘兵衛」こと、
渡辺勘兵衛です。

冒頭、勘兵衛の少年時代、父が亡くなるシーンからはじま
ります。死に間際、父は息子に「女には気を付けろ」と言
って息を引き取ります。これがその後の勘兵衛の人生にど
う影響を及ぼすのか。

当時、渡辺家は近江の国、山本城主の阿閉(あべ)淡路守
長之の家来でした。阿閉淡路守は浅井長政の家臣。その後
「姉川の合戦」で浅井・浅倉軍は織田信長に負けたのです
が、阿閉淡路守は直前に信長側に味方したので、なんとか
生き残ります。

ですが、いくら「死んで花実が咲くものか」とはいえ、こ
れはイメージが悪いもので、信長も阿閉淡路守を「たより
にならぬは淡路のような小虫じゃ」と評したとか。

それから5年。北近江を治めているのは羽柴秀吉。一方、
勘兵衛はといいますと、渡辺家の当主となって、家中の
「槍の達人」から激烈な稽古に耐え、達人をして「もう
教えることはない」と言わしめます。

勘兵衛20歳のこの年、長篠の戦で負けた甲斐の武田勝頼
がまだ信長の言うことを聞かないので、とうとう甲州へ
出向いて攻略しようとします。これが勘兵衛の初陣とな
ります。
勘兵衛は、伊那口から攻略する織田信忠(信長の長男)
の配下に入ります。そこで大活躍をし、勘兵衛は信忠に
お褒めの言葉と信忠愛用の短刀をもらいます。そして、
「わしがもとに来ぬか・・・?」と、スカウトされます。
これには勘兵衛、天にも昇る気持ちで「あ、わしはこの
人に一生ついていきたい・・・」と思ったのです。

さて、そうこうしていると、日本史上の一大事である、
「本能寺の変」が起こるのです。

これで織田信長も長男信忠も死に、さてこれからどうな
るのか・・・といったときに明智側につくかどうか迷っ
ている阿閉淡路守に「あ、コイツもうダメだ」と勘兵衛
はとうとう見限ってしまいます。そして家にいたふたり
の妹、(るい)と(もん)を呼び「わしはどこぞに逃げ
るから、おまえたちも逃げよ」と言い残してどこかへと
消えるのです。

それから勘兵衛は、山賊の真似事のようなことをやった
り、一時期は関東の北条家や信州の真田にも仕えたとか。

天下の覇権取りレースのトップが秀吉に本決まりになろ
うかというそのころ、秀吉の家臣、中村一氏につかえる
九(いちじく)庄九郎が、京の街中を歩いていると相撲
をやっていて、それを見ていると粗末な格好の浪人がい
て、庄九郎は「ありゃ、勘兵衛じゃ!」と叫びます。

庄九郎と勘兵衛は旧知の仲で、さっそく家に招くと、な
んと勘兵衛、小さい息子をつれているではありませんか。
さっそく庄九郎は、勘兵衛を中村一氏に紹介します。
武田攻めの際に信忠軍にいて大活躍をした、かの「槍の
勘兵衛」はもはや伝説になっていて、一氏は喜んで勘兵
衛を家来にします。

そんなこんなで秀吉が関東の小田原・北条家をいよいよ
攻めることとなり、なんと勘兵衛、息子の長兵衛を庄九
郎に預けて、さらに「欲しかったらあげる」と言い放ち
ます。息子も息子で「この人はこういう人なんで、別に
構いませんよ」と、ドライというか無感情というか。

この「小田原攻め」でも大活躍した勘兵衛ですが、武田
攻めのときは、信忠が信長に「父上、あれなるが渡辺勘
兵衛でござる」と信長に引き合わせてくれたのですが、
中村一氏が秀吉に呼ばれ、お褒めの言葉をいただいた時
に、大活躍をした勘兵衛の名前も戦功も一言も出さずに
終わります。
家来の活躍は主人のものではあるのですが、当時の戦国
大名の「常識」として、家来の手柄を無視するとは有り
得ないことで、この一件はあっという間に拡がり、秀吉
の耳にも届いてしまい、あせった一氏は勘兵衛を呼んで
秀吉からもらった陣羽織を勘兵衛にあげようとしますが
すでに手遅れ、またも主人を見限りFA宣言。

そうして次の奉公先は増田長盛。ここからは「天下人」
となった秀吉に付き合っていくというか振り回されて
ゆくことに。
しかし秀吉も死んで息子秀頼の代にはゴタゴタがあって、
なんだかんだで徳川家康の天下となってさあ勘兵衛さん
どうするといったところですが・・・

この小説の締めくくり、つまりラスト数行が、なんとも
「味のある」といいますか、お洒落だなあとすら思うの
ですが、あれ、これどこかで見たことあると思って家の
本棚をバーっと調べてみたら、短編小説集「黒幕」に
「勘兵衛奉公記」という作品が掲載されてました。
この短編の初掲載は昭和39年で「戦国幻想曲」は昭和45
年となっております。

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