晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

乙川優三郎 『生きる』

2012-01-13 | 日本人作家 あ
何年前か忘れてしまいましたが、乙川優三郎の「冬の標」という
作品を読んで、下級武士の家に生まれた娘が水墨画を書いて生きて
いこう、とかいう内容だったと記憶していますが、とにかく淡々と
(多少の恋愛話もあったでしょうか)話は進んでいって、これと
いって盛り上がりも無いのですが、それでも読後には「ああ、良い
作品を読んだなあ」と。

直木賞受賞作の表題作のほかに2編が収められていて、いずれも時代
小説。『生きる』は、江戸時代、どこかは特定で書かれていませんが
そんなに大きくはない藩の藩主である飛騨守が病に伏せ、その藩主に
重用されて出世した石田又右衛門が、家老に呼ばれるところからはじ
まります。
もうひとり、又右衛門と同じく小姓から出世した小野寺という家臣も
同席していて、家老の待つ部屋に入ると、藩主の命はもうあと少しで、
そこで藩主の後を追って切腹することを禁じることはできないか、と
相談をもちかけられるのです。

しかし、武士たるもの、主君に忠義を見せて、そしてその数の多寡で
生前の主君がいかに慕われていたかというバロメーターになるような
世界で、これを禁じたとしても出てくるのは止められず、しかし若い
有能な家臣が次々に死なれては藩の存続も危うくなり、かといって
経験も知識もある重役が死なれても次の世代の育成が止まってしまい
ます。
そこで家老は、藩主に“特に目をかけてもらった”又右衛門と小野寺
が切腹をしなければ、一連の後追いに歯止めがかけられるだろうとい
うことで、ふたりに「切腹はしません」と覚書を書かせます。

それから数日後、江戸屋敷で藩主飛騨守が死去という知らせが届き、
遺体が城に運ばれてくる数日内にはやくも切腹者が出ます。娘の嫁いだ
主人(つまり又右衛門の義息子)も切腹し、藩内では、なぜ石田と小野寺
は切腹しないのかという声が出てきて、やがてそれは彼らを卑怯者呼ばわ
りに変わります。

しかし又右衛門は家老との約束があり、冷たい視線にさらされながらも
自分の仕事をまっとうしようとするのですが、未亡人となった娘は心の
病になってしまい、妻は病気で寝込み、そしてとうとう、ひとり息子が・・・

この時代からちょっと後に、幕府から正式に「後追いの切腹禁止令」が
出るのですが、不忠義者のレッテルを貼られ、あげく、その約束をした
家老までも、又右衛門にそっぽを向くのです。
自分はなんのために生きながらえているのか、又右衛門は苦しみます。

辛い話ですが、ラストに光明を見出せて、かろうじて救われます。

「安穏河原」は、同じく下級武士が出てくるのですが、こちらは上司
と対立し、妻と娘を連れて江戸へ出て、暮らしが苦しくなり、妻は病気
に、最終的に娘を身売りに出します。
それを父親である素平は、女郎屋に娘の様子を見てきてほしいと、織之助
という男に頼み・・・

そして「早梅記」は、これまた下級武士の話で、金もコネもない喜蔵は
自力で出世しようと縁談の話も断ってきますが、女中に雇った足軽の娘
に恋してしまい、結婚も考えますが足軽の娘が妻では出世ができないと
いうことで、喜蔵は30になって良い話が来て、結婚します。
その足軽の娘を近くに住まわせようと考えましたが、しかし娘は断り、
それまでの給金ももらわず実家に帰ります。
それから年月は過ぎ、喜蔵も隠居生活に入り、日課の散歩と趣味の釣り
をしようと、普段は行かない道を歩いていると、見覚えのある女性が・・・

この2作とも、武士の、というか、男の、というか、薄汚ない部分が
描かれています。やれ武士道だ、若者よサムライになれ、などといった
安直な「武士賛美」の声に、いやいや実際そんなカッコよくはないよ、と
いうアンチテーゼだとしたら、読了後のイヤーな気持ちは消えて、面白い
です。

コメント
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