非国民通信

ノーモア・コイズミ

「人並み」とは

2016-07-10 21:21:34 | 雇用・経済

「仕事は人並みで十分」の新入社員、過去最高に(読売新聞)

 新入社員を対象にした公益財団法人「日本生産性本部」などのアンケート調査で、そう回答した人が58・3%と過去最高だったことがわかった。「人並み以上に働きたい」という回答(34・2%)との差は調査が始まった1969年度以来最大だった。同本部は「就職活動が『売り手市場』のなか、比較的容易に就職でき、競争心が高まっていない面がある」としている。

 就職率が低迷した時期には、「人並み以上」の回答が高くなる傾向にあったが、就職率が好転した近年の状況を反映した形となった。

 また、会社で目標とするポストの設問では、「社長」が10・8%と過去最低になった一方で、部長や課長などの中間管理職が計36%と10年前より13ポイント増えており、相次ぐ企業不祥事を背景に、重い責任を負うトップを回避する傾向もみられた。

 

 さて本日のネタはこちら、曰く「過去最高」との触れ込みですが、なんだか毎年似たような報道を見ている気がしてしまうのはどうしてでしょうね。とりあえず「仕事は人並みで十分」と回答した人が過去最高で、「人並み以上に働きたい」という回答との差もまた調査開始以来最大なのだそうです。この辺の数値は就職率に左右されるようで、不況であれば「人並み以上」の回答が高くなる傾向があり、「人並みで十分」の回答が増えたのは就職率の好転を反映したものだとか。

 まぁ、経済的な豊かさと精神的な豊かさは比例すると言いますか、経済的に貧しければ「人並み以上」に働かないと生活が立ちゆかなくなる人だって増えるわけです。逆に経済的に豊かな社会であれば「人並み」に働けば「十分」な対価が得られると言えます。現代において経済の衰退以上に人間の自由を束縛するものはないのでしょう。景気が低迷して就職難の時代ともなれば、生きていくためには好むと好まざると「人並み以上」の働きを競わされる、それを強いられるようになってしまうのですから。

 なお会社で目標とするポストについては「社長」が10・8%と過去最低、部長や課長などの中間管理職は計36%で10年前より13ポイント増えたのだそうです。報道では「重い責任を負うトップを回避する傾向」と伝えられていますけれど、現実はどうなのでしょう。会社が傾けば末端の非正規は解雇という最も重い責を負わされますが、個人事業主に毛が生えた程度の零細の社長ならいざ知らず大企業の経営者ともなれば、会社を潰しかけてもヨソの会社に好待遇で迎え入れられたりするものです。日頃を振り返っても、より辛い立場に置かれがちなのは中間管理職の方ですよね?

 それはさておき、「人並み」とは具体的にどういう水準なのでしょうか。「人並みで十分」との回答にノータリンは「競争心が高まっていない」と論評していますけれど、今時の新入社員が考える「人並み」とは実際のところ、どれぐらいのレベルなのでしょう? たとえば婚活女子が口にする「人並みの年収」とは、最頻値や中央値どころか算術平均を大きく上回る、一握りのエリート層だけに到達可能な年収であったりするわけです。一口に「人並み」と言っても実は相当に「高望み」をしていることもあると言えます。

 現に新卒で正社員として就職できる人だって今や当たり前ではない、部長はおろか課長になれるのだって当たり前であるどころか少数派になっているのが現実です。「人並みで十分」と回答した新入社員が思い描いている「人並み」とは、少なくとも日本で働いている人の平均を下回るようなものでは決してないような気がします。せいぜいが「光の当たる部分」だけを基準にした「人並み」であり、それを実現できるのが日本で働く人の過半を形成することは決してない――それぐらいの高い水準なのではないでしょうかね。

コメント
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