非国民通信

ノーモア・コイズミ

誰が運転しても車は危険だ

2012-04-15 11:23:22 | 社会

祇園暴走、容疑者は事故当時意識障害なしと判断(読売新聞)

 京都市東山区・祇園で軽ワゴン車が歩行者をはねて7人が死亡、11人が負傷した事故で、呉服店の社員・藤崎晋吾容疑者(30)(死亡)が直前にタクシーに追突した後、いったん車をバックさせていたことがわかった。

 藤崎容疑者はてんかんの持病があったが、京都府警は当時、発作による意識障害はなかったと判断。歩行者が交差点を渡っているのを知りながら突っ込んだとみて13日、殺人容疑で自宅や勤務先を捜索した。

 

京都の事故「やり切れない」=栃木小学生6人死亡の遺族(時事通信) - goo ニュース

 京都・祇園で歩行者7人が死亡した事故で、暴走した車を運転していた男は持病のてんかんを申告せず、運転免許を更新していた。てんかんが事故につながったかどうかは不明だが、昨年4月に栃木県鹿沼市で小学生6人が亡くなった事故の運転手もてんかんを申告せず免許を取得しており、児童の遺族らは、やり切れない思いを抱いている。

 遺族らは今月9日、てんかん患者が無申告で事故を起こした場合の厳罰化などを求める署名を国に提出したばかりだった。

 大森卓馬君=当時(11)=の父利夫さん(47)は「病気と向き合っていれば、防げた事故」と話す。不正取得できない運転免許制度を求めた署名は約17万人分。「国にお任せする形になった」という言葉に、一刻も早い対応を願う気持ちがにじむ。

 署名活動には、てんかん患者への差別を助長するとの意見もある。「どうすれば差別ではないと分かってもらえるか」。星野杏弥君=同(10)=の母清美さん(35)は、見直しを求める中で悩んできた。「立場を置き換えて考えないと、変わらない」と訴える。

 「繰り返されるのはやり切れない」。清美さんは、京都の事故を伝えるテレビを、杏弥君の双子の兄に見せることができなかった。突然家族を失った遺族の気持ちが分かる。「どうだったかと求められたときは、私はこうでしたと伝えたい」と話した。 

 

 さて、京都では癲癇の患者とされる男性が交通事故を起こして運転者と歩行者7人が死亡しました。それを背景に色々な記事が出てきたわけで、癲癇患者が無申告で事故を起こした場合の厳罰化などを求める署名を国に提出した人々の声も寄せられています。癲癇であることを理由に罰の尺度を違える、それが差別であることをどうすれば分かってもらえるのでしょうか。立場を置き換えて考えないと、変わらないものなのかも知れません。冒頭の報道でも伝えられているように、事故後の調査で癲癇による意識障害が事故の原因となった可能性は低いことが明らかになっていますけれど、この清美さん(35)は「繰り返されるのはやり切れない」と述べており、今回の事故も癲癇のせいだと決めつけていたことが窺われます。被害者なり遺族なりが感情的になるのは致し方ないところですし同情もしますが、感情的になっている人に周りが調子を合わせるのは考え物です。政府や自治体には、被害者の支援はしても同調はしない、そうした分別を見せてもらいたいと思います。

 

<京都祇園暴走>てんかん発作での重大事故 過去にも相次ぐ(毎日新聞)

 藤崎晋吾容疑者の家族は同容疑者がてんかんの疑いで治療中だったと証言し、事故との関連が取りざたされている。てんかん発作による重大事故は、昨年4月に栃木県鹿沼市で小学生6人がクレーン車にはねられ死亡するケースなど過去にも相次いでいる。規制強化を求める動きがある一方、規制が差別に拍車をかけ持病を隠す悪循環も指摘される。

(中略)

 警察庁によると、運転者の発作・急病による交通事故は11年に254件発生。てんかんによる事故は73件で、うち5件が死亡事故だった。
 


 見出しに「相次ぐ」と掲げられている割には、率直に言って「少ない」という印象を受けます。これもまた「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになる」みたいなものなのかも知れません。警察庁の交通事故統計によれば、11年は4,611人が交通事故で死んでいるのですけれど、交通事故で人が死ぬことなど当たり前すぎるのか滅多なことでは取り上げられないようです。しかし、事故を起こした人が癲癇であれば話は別、と言うことなのでしょうか。癲癇患者は100人に一人、つまり日本全国で言えば100万人くらいいると推計されるそうです。それを踏まえて事故件数を見る限り、癲癇であるからといって格段に事故リスクが高いというわけでもないのはないかと思えてきます。実はありふれた病気でありながら、死亡事故は指で数えられる範囲に収まっているのですから。

 もっとも、11年の4,611人という数値は10年前の8,747人に比べれば半分近くまで減っている、史上最多を記録した1970年の16,765人と比べれば4分の1近い数値です。ことによると凶悪犯罪と同様に、件数が減れば減るほどクローズアップされることが多くなる、凶悪犯罪が減って死刑判決が増えたように、交通事故が減れば減るほど厳罰を求める世論も高まるのでしょうか。治安や交通事情が悪かった時代であれば許されたものが、安全が高まるにつれて排除されるようになるとしたら、何とも奇妙な話です。

 

プリウスはもっとも「非倫理的な車」(税金と保険の情報サイト)

カリフォルニアの州法では、横断歩道近辺に歩行者がいる場合、車は停止しなければならない。

高級車は一般的な車の3倍、この法規を破り、歩行者を無視する傾向が強かった。

中でもプリウスのドライバーは約1/3が停止せず、車種の中では最悪だった。

実験を行ったピフ氏は、「地球に優しい車に乗っていることで、非倫理的な行動をしても許される、という特権階級意識を持つため」と分析している。

 

 この辺は半分ネタとしても、危なっかしい運転をするのは別に癲癇患者だけではないと言うことは理解して欲しいと思います。単純に運転が下手な人、健康状態が良くない人、相手が道を空けるのが当然だと思っている人、超長時間の運転を余儀なくされる人、癲癇「ではない」人による死亡事故は、大きく取り上げられる頻度は高くないかも知れませんが件数は決して少なくありません。自動車を運転する人の大半は、自分の運転技術は平均より上と思っているなんてジョークもあります。危険運転の最たるものとしては飲酒運転が上げられますけれど、「他人の」飲酒運転を危険視する一方で「自分は」酒を飲んだくらいで事故を起こしたりはしない、自分はちゃんと運転できると、そう思い上がっているドライバーも少なくないのではないのではないでしょうか。

 それこそまさに安全神話と呼ばれるべきではないかと思うのですが、原発/放射能「だけ」が危険であるとか、あるいは癲癇患者「だけ」が危険であるかのように錯覚し、それさえ排除できれば安全であるかのごとく、そう信じている人もいるのかも知れません。世間の話題を集めやすい、センセーショナルに取り上げられる「何か」さえいなければ安全なのだと、そう思い込んでるとしたらとんでもない誤りです。癲癇患者が運転しなくても車は危険なのです。そこを事故調査前から癲癇と関連づける、というより癲癇に責任を押しつけるような考え方は、根本から対策を見誤らせるものでしかありませんし、不必要な弊害(差別など)を産むばかりのものでもあります。

 

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