非国民通信

ノーモア・コイズミ

自民党政治家よりもすごい人

2007-01-23 23:18:17 | ニュース

与党で戦いぶりに評価の声 「米シュワ知事みたいに」(共同通信)

 与党内で22日、宮崎県知事選で当選したそのまんま東氏の戦いぶりを評価する声が相次いだ。保守分裂による「漁夫の利」以上に、そのまんま東氏の候補者としての「魅力」が勝因との受け止め方が広がっており、与党としても素直にかぶとを脱がざるを得ないようだ。

自民党の谷津義男選挙対策総局長は記者団に「お笑いのような選挙をやったわけではない。他の候補者よりも宮崎県のことを考え、一番県民を引き付ける演説をした。自民党推薦候補の方が数段劣る。タレント候補ではない。ただ者ではないと思った」と手放しで称賛。公明党の太田昭宏代表も全国県代表協議会で「宮崎県知事選は、そのまんま東候補が一番真剣で、一番懸命に訴えていた。その姿が県民に受け入れられたのだろう」と強調した。

 野党候補が自公連立の分厚い壁のまでに次々と敗れていく中、自民党候補に圧倒的大差をつけて宮崎県知事に当選したそのまんま東さんに関する論評です。勝者を讃える意味合いでしょうか、戦前とは打って変わって東氏への讃辞が激増しています。今では東氏が芸能界を離れた後でかなり真剣に学んできたことも語られるようになり、単なるタレント候補ではないという評価に変わりつつあります。投票前はそんなに高い評価ではなかった気もするのですが、当選後は随分と各所の期待を集めているようです。

 肯定的に見れば、無党派の力で自民党を凌駕したこと、何かを変えてくれる可能性を秘めていると、そう見ることもできます。しかし今になって東氏の当選に賛辞を送っている人々が、選挙前に東氏を応援している姿を見た記憶がないのが気になります。今になってこれだけ東氏を賞賛できるのなら、なぜ選挙期間中に東氏をもっと支持できなかったのか? 意地悪な見方ではありますが・・・

 私は東氏の談合に肯定的なところを高く評価しているのですが、それはさておきやはりタレント候補は強いなぁ、と。シュワルツェネッガーも横山ノックも、石原裕次郎の兄も青島幸男も、後付でいろいろな理由付けはできるわけですが、やっぱりタレント候補は強いわけでそのタレント力は自民党すら寄せ付けないもの、民主党なんかは足元にも及ばない集票力があるわけです。だから、理想を捨ててでもなりふり構わず自公政権の打倒を狙うのであれば野党共闘よりタレント路線の方が現実的にすら見えるのですが、この辺はどうなんでしょうかねぇ。

有権者は政策で首長を選べ!
宮崎県知事をそのまんま東に任せる愚かさ

宮崎県知事選でなんとそのまんま東が当選した。
自民党は保守分裂を悔やみ、民主党は地方組織の弱さを露呈したわけだが、負け比べではすまないほどの結果に両党ぼう然自失だろう。

泡沫候補扱いだった元タレントを勝利させた宮崎県民は一体何を考えているのだろうか?
芸人出身では横山ノックが知事としていかにお粗末であったか散々見てきているにもかかわらず宮崎県民はこの男を選んでしまった。
未成年を雇ういかがわしい店に出入りし、暴力で警察の厄介になった人間に行政を任せるとは正気の沙汰ではない。
また彼は2度離婚しているが、家族の長をしっかり務めることができない人間が県の長とは冗談にもならない。

 政策で主張を選べ!というこの人の意見には同意できます。しかし、一読して分かるように上記引用の著者である糸山氏は東氏の政策への批判は一切行わず、その素行だけをあげつらっています。結局のところ政策を重視せよと語る論者ですら政策を語らずスキャンダルを語る有様、東氏の支持者にしたところで政策への支持よりも人柄云々への曖昧な期待が勝るのではないでしょうか。横山ノックだってクビが飛んだのは政策の誤りではなくセクハラによるものであり、府民の関心は政策ではなくスキャンダルにありました。それだけに後付で東氏の政治姿勢を賞賛している人達が東氏の政策をどれくらい知っているのかもやはり疑わしい、そうではなくタレント候補であることの強みこそが勝因とみた方が素直と思われます。

「あるある大事典」の納豆ダイエットで捏造 関西テレビ

 フジテレビ系の生活情報番組「発掘!あるある大事典2」で、納豆のダイエット効果を紹介した7日放送分にデータ捏造(ねつぞう)などの問題が判明し、制作した関西テレビ(大阪市)が20日、発表した。番組では、納豆を食べた被験者の中性脂肪値が正常値になったとコメントし、字幕で数字をつけて紹介。だが実際には測定しておらず、他の実験でも測定や検査をしないまま、架空の数字を番組で流していた。会見した千草宗一郎社長は「放送局としての信頼を著しく損ない、視聴者の信頼を裏切ることになり、誠に申し訳ない」と謝罪した。

 こちらは今更ながらの捏造事件、納豆で痩せられるとデマを流したところ、全国の小売店から納豆がことごとく売り切れる事態に発展、しかるに数日で嘘がばれたと。

 やっぱテレビの影響力は絶大なのです。いくらインターネットが普及したところで依然としてテレビの優位は揺るぎません。内容が嘘っぱちでも、テレビで紹介されたことであればそれを信じ込む人は後を絶たず、検証する人はなかなかいません。今回の納豆事件はテレビが国民を騙すことができることを証明しました。テレビの吐く嘘は真実よりも影響力が強いようです。

 そこで、テレビ界随一の扇動家にしてタレントであるみのもんた氏、個人的には嫌いな人ですが、みのもんた氏の影響力は絶大です。彼がその気になれば日本中の小売店からココアや納豆を消滅させることなど造作ありません。そんな彼がもし選挙に出たら・・・

 みのもんたが選挙に出たら、自民党では歯が立たないでしょうね。それどころか自民党と民主党が手を組んでも負けるでしょう。テレビの力とタレント力を最高レベルで身につけたみのもんたに選挙で勝てる人など存在しません。みのもんたが選挙で勝つことが有権者の幸福につながるかは疑わしいですが、とにかく勝てる候補であることには間違いありません。そこで選挙戦術に当たって理想論より現実論を語る人は、もっとタレント候補の可能性を真剣に検討すべきではないでしょうか。私は理想家なので支持できる政党に投票しますが、ね。

 

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恥じることはなにもない

2007-01-23 00:40:54 | ニュース

オランダに売春婦を称えるブロンズ像が登場へ(ロイター)

 [アムステルダム 19日 ロイター] オランダのアムステルダムにある赤線地帯に近々、世界中の売春婦を称える像が登場する。

 オランダ通信(ANP)によると、この像は元売春婦のマリスカ・マヨールさんが芸術家に製作依頼したブロンズ像で3月末にお披露目予定。

 マヨールさんは「多くの国々で、売春婦たちは苦労しているのに、人々から全く敬意を払われていない。像は売春に携わる全ての男女に力を与える意味がある」と像を設置する理由を述べた。

 ここ数年は後退の傾向こそ見られるものの、非国民通信社の独自基準では世界の最先端を突っ走るオランダからのニュースです。まあ内容はご覧の通り、売春婦を讃える銅像を制作中、公開予定とのことです。一方その頃、日本ではというと・・・

OZMA裸問題 政府レベル協議へ(スポーツニッポン)

 昨年大みそかのNHK紅白歌合戦でDJ OZMA(年齢非公表)と共演した女性ダンサーが裸に見えるボディースーツ姿で踊った問題をめぐり、政府の教育再生会議は19日、放送倫理・番組向上機構(BPO)などとの意見交換を検討する方針を決めた。山谷えり子首相補佐官が記者会見で明らかにした。

 この日の全体会議では、出席委員が問題の録画映像を視聴した上で、未成年向けのテレビ放送の在り方について論議。委員からは「孫と見ていたが、とんでもない」「ショックを受けた」などの意見が相次いだ。

 これを受け再生会議は、BPOのほか公共広告機構(AC)、日本広告審査機構(JARO)などと協議する必要があるとの認識で一致。山谷氏は会見で「子どものテレビ視聴について社会、家庭は関心を持ってほしい」と強調した。

 視聴者からの非難囂々だったOZMA氏のおっぱいスーツ問題でとうとう政府が腰を上げた模様です。やはり日本は性的な表現に厳しい。性的なものを忌避すべきもの、恥ずべきもの、隠すべきものと見なす傾向が強まっているのではないでしょうか。性的なものを表の世界から隔離し裏の世界に封じ込めようとする日本から見ると、性産業の女性が堂々と立ち上がったオランダに尊敬の念を感じないでもありません。

 「多くの国々で、売春婦たちは苦労しているのに、人々から全く敬意を払われていない。像は売春に携わる全ての男女に力を与える意味がある」ここで売春に携わる女性とせずに男女としたところに深みを感じる発言ですが、何はともあれ売春婦達は苦労しているのに敬意を払われていない現実があるわけです。性的なものを隔離したがる日本社会ではなおのこと、性産業従事者の裏の世界の人間、自分達とは違う世界の人間として見る傾向すらあります。しかし、人に必要とされているからこそ売春婦などの職業があるわけで、人に必要とされている職業を立派に勤め上げている人が蔑視される謂われはないはずです。

 これは何も性産業従事者だけに当てはまるものではありません。たとえば勝ち組と負け組、ホワイトカラーとブルーカラー、正規雇用と非正規雇用、エリートとワーキングプアの関係においても同様です。富裕層から貧困層への軽蔑、自分とは別の世界の生き物であるとする意識は確実に存在します。しかし、低賃金のブルーカラーであっても、非正規雇用のワーキングプアであっても、何らかの点で必要とされる役割を果たしているのであれば、貧しくとも敬意を得るに値するのではないでしょうか?

 たとえば掃除のおばさんに挨拶されても平気で無視する背広組もいるわけですが、たぶん彼らエリートサラリーマンから見れば掃除のおばさんなんてのはまさしく別世界の存在であり、自分と同じ人間とは思っていないのでしょう。とはいえ、オフィスを掃除してくれる人がいなけりゃ当然、困るわけです。掃除のおばさんだって社会から必要とされているわけで、その必要とされる役割をきっちりと果たしている。ならば当然、敬意を持たれるべきなのです。格差社会の存在が浮き彫りになり、それを肯定する人もいれば否定する人もいる中で、格差は賃金だけではなく人間の尊厳にまで及んでいます。職業上の地位によって畏敬される人がいる一方で、蔑視される人もいる訳です。そんな尊厳の格差社会に売春婦の銅像が抗議の声となってくれるでしょうか?

 

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