非国民通信

ノーモア・コイズミ

極左?のつぶやき

2006-08-20 21:15:44 | 非国民通信社社説

 右か左か?と聞かれたら、とりあえずは「極左」と答えています。とはいえ、右翼か左翼かと、そういう分類があまり意味をなさなくなっている節もあります。とりあえず日本を中心とした地図を開きまして、右側にある国、つまりアメリカ帝国ですね、これに追従して左側にある国、アジア諸国を蔑視するのが右翼、逆に左側にあるアジア諸国のとの関係を重視し、右側にあるアメリカの介入を警戒するのが左翼と呼ばれるでしょうか。私は元々がロシア文学が専門でアジア諸国よりもさらに地図上は左にあるところが専門、そういうわけで私は極左です。

 私が小学生の頃にはソ連も崩壊し、社会主義、共産主義はとっくに死んでいました。ただ反共主義だけが生きのこっていました。社会主義、共産主義とは非人間的、非民主的、反自由、とにかく危険で良くないものなんだと、そう教えられて育ちました。まあ今の若い世代はだいたいこんなものでしょう。ただとりわけ反抗的だった私は同世代の人々と袂を分かつことになってしまいました。

 他国はいざ知らず(でもたぶん日本と似たようなもの)、日本ではとりわけ若年層の保守化、右傾化が進んでいます。特にネット上では。マイケル・ムーアは10年ほど前に出版した本の中で、ネットを使えと説いていましたがそれは間違いでした。10年前ならいざ知らず、今やネットは保守派の牙城です。

 とはいえ、右傾化は別にネットの中に留まるものではありません。先日は小泉ジョン一郎首相の靖国参拝を批判していた加藤紘一氏(氏も保守政治家の一人には違いないのでしょうけれど)の自宅が焼き討ちにあいました。お上に逆らう不届きものへの天誅であると、ネット上では喝采を浴びているこの事件ですが、事件翌日の新聞記事で自称右翼(まあ氏に他意はないのですが昨今の右翼の一般像からはあまりにもかけ離れているのでこう書きます)の鈴木邦男氏がコメントを出しておりました。たしか、メディアが右翼を追い詰めているとか。「追い詰める」という表現が引っかかったのですが、これは「駆り立てる、後押しする」のニュアンスのようでした。曰く、社会が、メディアの報道が保守一辺倒になってきて、逆らう奴は皆殺しにしてしまえ、そんな雰囲気になってきているとか。

 右傾化は何処の国も同じようなものではないかと思いますが、例えばドイツと比べた場合、日本には修正主義とヘイトスピーチが言論の自由に含まれていることが際だつのではないでしょうか。おかげでネット上には捏造された資料や典拠ばかりが拡大再生産され続けています。やがてそれはネットの外にも出てくる、捏造され歪曲された典拠に基づいて地図上で左の国を誹謗する書籍が書店で山積みにされてはベストセラーになったりします。

 私がいわゆるネット右翼を見てうらやましいと思う(そして同時に気持ち悪さも感じる)のは、その団結と甘やかしです。つまりネット右翼はそれに対立する左翼とされる層に比して非常に結束が固い。仲間意識が強いわけです。

 決して仲間を見捨てない。どんなに馬鹿で「本当こいつ頭オカシイだろう」と思われるネット右翼でも必ず仲間がわんさかと押し寄せ助けに来る。これが左翼ブログならどうだろうか。一部の例外を除いて(例えば北国ブログなど)ほとんど助けなどブログ主には期待できない。一人で必死に反論するか、あるいは放置、そしてそのうちコメント板の閉鎖に追い込まれる事多々である。
ネット右翼問題を考える国民会議

 アジア諸国や社会的弱者へのヘイトスピーチには無条件の支持が集まります。一度「同士だ!」と認定されればそれで決まり、いかに怪しげな主張であっても、その政治的立場、方向性が同じであれば絶対に味方が集まるものです。ところが左翼にはそれがありません、たとえ政治的立場が同じであっても、怪しげな主張は批判を浴びます。方向性が同じであれば全てよし、と甘やかしては貰えないのです。そしてもし、自分と対立する主張の人物の家に火をつけたら? 加藤紘一氏の自宅への放火は喝采を浴びました。これが左翼による皇居や小泉、安倍、石原の家への放火だったら、反対派からだけではなく、同じ左翼と分類される人々からもその手法を非難されたことは想像に難くありません(*1)。

 どうしてこんなことになってしまったのでしょうか? 国民性、などというものは都市伝説に過ぎません。まあ要因は多々あるでしょうが、彼らを増長させたのは右と左の手法の違いに寄るところもありそうです。まず右派は参加するのが容易です。言ってることはむちゃくちゃでも、やってることが犯罪行為でも、アジア諸国や社会的弱者への憎しみさえ共有していれば、無批判に受け入れて貰えます。たぶん、居心地のいい場所なのでしょう。何らかの契機に反対派から攻撃を受けても、ネット右翼はどこからか寄り集まってきて守ってくれます。貧困層の分断が進む中でこの連帯は賞賛にすら値するかも知れませんね。

 そして対立する相手への姿勢。ネット右翼の対応はあくまで「攻撃」でしたが、攻撃を受ける側はそれに対抗する適切な対応をとってきませんでした。たとえばネット右翼がよくやるのは、気にくわない言論を封じ込めるべく、掲示板やブログのコメント欄を占領すること、団結心が強くいかに問題のある手法をとろうとも支援が期待できる側には簡単な手法です。これによって個人サイトやブログの閉鎖、封じ込めを狙います。対してブログ管理者側が誠実なコメントで対応しようとしてしまう場合が多々あります。一見すると良識的なようではありますが、これは攻撃を目的としたコメントには何の意味もありません。相手はあくまで攻撃によって潰すことを目的としているのであり、話し合うことを、説明を求めてコメントしているわけではありません。だからどんなに丁寧に説明し、論拠を示し、完璧な反論をしたところで意味はないのです。そんなことをしたところで、それを否定するような論拠はいくらでも捏造されていますし、もとより聞く耳など持ってはいません。ネット右翼にとってあなたは倒すべき敵に過ぎないことを自覚しなくてはなりません。

 社会意識の豊富なネット右翼達は自警団活動にも熱心です。お上に刃向かう不逞の輩がいないか、目を光らせているのは今や国家機関ではありません(*2)。今日もネット右翼は目をこらして反体制的な言論を探し、攻撃の機会をうかがっています。そしてそれはネットの中だけには留まりません。時には不正なアクセスすらも駆使してサイト管理者の居住地を割り出し、そこへ押しかけるなんてのもあります。最近ではオーマイニュースのブログで、これが韓国メディア起源ということもあって攻撃が集中、登録していた市民記者の個人情報が書き込まれ、結局はコメント記入を内部関係者に限るという事件がありました。ところでさらされた個人情報は?

 ブログが炎上した場合はコメントを削除したりせずに「誠実な対応」「謝罪」がキーだと言われていますが、家が炎上した加藤紘一氏は謝罪すべきなのでしょうか? 悪意ある攻撃者にそれはないでしょう。話せばわかる、などという夢から覚めなくてはなりません。修正主義やヘイトスピーチにまで言論の自由を認めてきた日本ですが、どんな発言でも尊重する、そんな姿勢はもう通用しません。彼らはこちらがどんなに適切なことを言ったところで聞く耳を持っていないのですよ! たとえコメントが真剣なものに見えたとしても、それに返答する意味はあるのでしょうか? 議論をする態度の裏で、自分の意見を絶対に曲げるつもりはなく、結局屁理屈で通すだけ、それはあくまで目的、あなたの主張を突き崩すという目的を持った書き込みであり、たとえ論駁されようともまた新たな(捏造済みの)論拠を持って粘り強く反論してくるだけです―――あなたが根負けするときまで。彼らにとってあなたは打倒すべき敵であって、聖戦の相手に過ぎません。十字軍戦士は敗れることはあっても過ちを悟ることはないのです。

 他人の意見に理解を持つ、自分と異なる意見を尊重する、それはそれで立派な考え方なのですが、結局これが修正主義や差別的言動を野放しにし、右派に過剰な自由を許し、自信だけでなく社会的地位を与えてきました。今では修正主義の言論に配慮せずに創作を発表することすらできず、大手メディアも差別を煽るばかり。そしてこういった修正主義や差別心を取り入れては、自分たちは他人の意見を尊重している、中立的な立場で語っている、偏りがない公正な報道だと勘違いしている有様です。

 お上の行動を批判した政治家の自宅が焼き討ちにあう、修正主義に準拠していない漫画を掲載したら右翼(彼らを後押ししているのは普通の人々なのです!)が押し寄せてくる(*3)、そしてそれが社会的に支持され、批判されない。右派が勝利の余韻に浸っているときに、左派が「自分たちは他人の意見に耳を傾けた、異なる意見をも尊重し、柔軟な対応をとった」と、そう考えているとしたらもはや希望はありません。せめて内的な圧力、自制はかけないでいただきたい。相手を尊重するときは相手を選ぶべきではないか、そう思うのです。修正主義者やヘイトスピーチを繰り返す右傾化した人々を相手に、何を遠慮しなければならないのでしょうか。頭から相手の主張を否定し、純粋に潰すことを目的に集団で挑みかかる、そんな相手に誠実な対応は必要ありません―――そもそも無駄です。我々は理想を掲げてきましたが、それが通用しなくなってきました。そろそろ方向転換が必要でしょうか?


*1,これも結局はネットの中だけに留まりません。例えば選挙でも同様の効果があり、憎しみや軽蔑を共有している「同士」には無条件の支持、支援が集まります。いかに失政を繰り返して日本を窮地に追い込んでいようとも、同士である限り支持が減ることはないのです。これはアメリカ帝国主義の"show the flag"の考え方にも通じるところがあります。すなわち、敵か味方か。そして味方であるならば、検討する前にまず支援すべきだ、と。

*2,中国や北朝鮮ではネット利用への規制があるわけですが、これはどうでしょうか? 日本の場合、ネットの普及は体制への支持拡大、反体制的言論の押さえ込みに非常に大きな役割を果たしてきました。インフラ面でもアレな北朝鮮はともかく、中途半端に整いつつある中国の場合、むしろネット上での活動を活発化させた方が体制の維持には役立つのではないでしょうか。

*3,参考URLhttp://page.freett.com/tekkin1989/kunimoe/newpage1.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする