Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

表現・報道の欲望・・・大丈夫か

2008-06-16 23:49:58 | Weblog

このところ,ほぼ毎日ブログを更新している。出張中は新たな刺激や情報に接する機会が多いし,脳活動もふだんより活発化している(はずだ)から,時間さえ許せば何か書くことができる。その瞬間だけは,毎日多くの人に会い,さまざまな場所に出かけるジャーナリストと似た立場になることができる。つまり,何かを報じることで他者から認知され,それが悦びとして感じられるわけだ。

秋葉原無差別殺傷事件の犯人は,日々携帯サイトに自分の不満を書き込み,ワイドショーのトップニュースを飾りたいなどという気持ちを吐露しただけでなく,事件当日は犯行に至るまでの経過を逐一「実況」している。何かを報じることで自己を認知してもらいたいという欲望…それは一般のブロガーも同じだろう。それは多くの場合,凶悪犯罪に至ることはないが,根っこは同じだとすると…うーんヤバい部分がないとはいえない。

この犯罪の現場に居合わせて,血まみれになっている被害者を手持ちの携帯電話で撮影し続けるという,「野次馬」の行為をめぐって論争が起きている。

秋葉原事件の被害者撮影 モラル論議が巻き起こる

そうした行為に対する批判がある一方で,実は報道カメラマンも同様のジレンマを抱えており,素人だけを非難できないのでは,といった指摘もある。マスコミはこれまで,報道のプロにのみ,そこで起きた出来事を社会に伝える崇高な任務が与えられている,などと考えてきたはずだ。だが,一般人がそうした任務を遂行してはいけない明確な理由が何かあるだろうか? 

たとえば,一般人は訓練を受けていないので,報道のモラルが欠如する,とか? いまの報道機関にそれがいえるの,というのが大方の反応だろう。マスメディア自体,店頭のカメラはもちろん,素人が撮影した映像を積極的に利用しており,もはや報道はプロだけで閉じてはいない。モラルというなら,素人報道者も含めて,それを保証する仕組みを考える必要がある(結局は本人の心がけ…てことに落ち着くんだろうけど)。

いずれにしろ,すべての人が報道者になるかもしれない社会というのは,率直にいってどうなんだろう? 一部の犯罪を抑制するかもしれないが,どこでプライバシーが侵害されるかわからないし,新たな犯罪のもとになることだってあるだろう。いいことなのか,悪いことなのか,いずれにしたって,そちらに徐々に進んでいることだけは間違いない。

ちなみに,研究者という職業も,人並みはずれた自己表現・報道欲求,あるいは自己顕示欲求と結びついている。自ら進んで人前で自説を喧伝し,自らの署名入りの文書をあちこちに頒布し,どんな小さなことでも自分の「貢献」があれば声を大にして叫ぶ。

そうした欲求がない研究者はすぐに淘汰されてしまうから,実際のところ存在しない。相対的にはかなり謙虚な人でも,学会発表や論文を匿名や仮名で発表するなんてことはあり得ない。そして,つねに発表→相互認知の場が用意されているので,「暴発」する人は少ない(…はずだが)。

いや,研究者だけでなく,いわゆる「クリエイティブクラス」全体が,ほとんどみんなそういう人々ばかりではなかろうか。クリエイティブ社会とは「オレが/アタシが」の社会なのだ。世のなかがそこに向かうのも,やはり不可避といえる。


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