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Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

イデオロギーとマーケティング

2014-12-01 10:25:08 | Weblog
今週の土曜の午後は、日本マーケティング・サイエンス学会研究大会に参加した。午前中は、関東学生マーケティング大会を聴講していたが、早稲田と茗荷谷は直線で結ぶとかなり近いことを今回初めて知った。昔の学生なら、おそらく、歩いて行ける距離だったのだろう・・・。

最初のセッションで、私と桑島由芙さんの連名で「イデオロギー・価値観・消費」というタイトルの報告を行う。政治心理学者として高名なイングルハートの価値尺度と、保守-リベラル、右-左というイデオロギー軸が、いくつかの消費項目とどう関連するかを分析した。

Modernization, Cultural Change, and Democracy: The Human Development Sequence
Ronald Inglehart , Christian Welzel
Cambridge University Press

米国では保守-リベラルの軸と消費・ライフスタイルの関係がよく論じられる。日本でもそうした視点に立つ本が出始めており、それがどこまで通じるかを、データを使って検証したのが本研究である。

一言でいえば、イデオロギー自体よりは、それとはほぼ独立の、イングルハートの「自己表現的価値」がかなりのケースで消費行動やライフスタイルと関連していた。まれにイデオロギーと関連する項目もあり、何がそうした偏相関を生んでいるのか、個人的には興味深い。

もう少しきちんと分析して(ただしコメンテータの杉田善弘先生が仰った SEM は用いずにw)いずれどこかに投稿したい。もっとも、そうするには既存研究のレビューや理論構築に時間を取られそうである。何といっても、イデオロギーも価値観も完全な門外漢なのだから・・・

予想されることだが、多くのマーケティング・サイエンスの研究者にとって、イデオロギーなどというものは全く別世界の話題だし、価値観ですら古臭い概念かもしれない。とはいえ、フロアからイングルハートとシュワルツの交流に関するコメントをもらうなど勉強になった。

今回の大会の目玉の1つは、東大の星野崇宏さんが始めた「行動経済学と産業組織論にマーケティングモデルの深化」という部会だろう。今回は名古屋大学の安達貴教先生が、耐久財の保証で生じる advantageous selection をデータに基づき解析した結果を報告されていた。

advantageous selection とは、簡単にいえば、保証が必要のない(きちんとした?)ユーザほど有償の保証延長をするので、企業は儲かる一方、という話だ。マーケターはこれを肯定的に捉えるかもしれないが、消費者厚生(つまり経済学)の観点からは、ゆゆしき問題だ。

安達さんからは懇親会の席で、われわれの研究に関するコメントもいただいた。なんでも、選挙での投票に離散的選択モデルを適用する研究をされたことがあり、それに対する経済学会でのコメントを教えてもらうなど、興味深い話を伺った。異分野の参入はいつも刺激的である。

米国ですでに起きているように、経済学者のマーケティング・サイエンスへの参入は今後日本でも増えるに違いない。同じ現象に、ほぼ同じデータを用いて分析しながら、関心の持ち方が微妙に違う点が、面白いケミストリ−(ときには爆発w)を生むのではないかと期待したい。

他にもいくつか興味深い発表を聴いたが、長くなるので省略したい。それにしても、会場で、知らない顔の聴講者を見かけることが多くなり、世代交代が着々と進行している印象も受ける。ただ、規模が大きくなっているように見えないのは、よいことなのか、悪いことなのか・・・。

自分が最も関心を持つ複雑系科学、エージェントベース・モデリングなどの研究仲間が増えない(ほとんどいない)ことも残念。もっとも、そういう本人が、回帰分析を用いたイデオロギーの研究などを発表しており、一貫していない。ともかく JIMS、しばらくお暇いたします(笑)。

関東学生マーケティング大会2014

2014-12-01 10:16:09 | Weblog
11月29日、早稲田大学で開かれた関東学生マーケティング大会に、わがゼミの3年生が班に分かれて参戦した。ある班(写真上)は「親子消費」をテーマに、もう1つの班(写真下)は「恋愛」をテーマにした。それぞれウェブ調査を行い、仕掛けの提案も行った。



審査の結果、いずれも初戦敗退。昨年、初めて参加して以来の悲願、2回戦進出はならなかった。指導教員として、彼らがずっと頑張ってきたことは知っているので、悔しいという気持ちと、よく頑張ったという気持ちが併存している。もちろん指導不足の反省も・・・。

もう少し時間があればとは思うが、それはおそらくどの参加ゼミも同じだろうし、ギリギリにならないとエンジンがかからないのは、自分も同じである。ここで勝って変な自信をつけるより、悔しい思いがむしろ学生たちを向上させるのではと思うことにしよう。

いずれにしろ、コンペティションは、ゼミを運営する際の動機づけとして、それなりに有効なのは確かである。もっとも、何を競い合うか、それに合わせた能力開発をどう行うかに考えるべき点は多い。しばらく休んだあと、いずれここに戻ってくるかどうか。

学生たちの感想も聴いてみたい。

「沈黙の螺旋」が消える瞬間

2014-12-01 09:32:21 | Weblog
先週の火曜、JIMS マーケティングダイナミクス研究部会を開催した。最初は、週末の JIMS 研究大会で私と桑島由芙さんの連名で発表する「イデオロギー・価値観・消費」と題する研究の報告である。その中身については、研究大会に関する投稿のなかで紹介することにしたい。

もうひとつは、一橋大学の院生で、社会心理学を研究する横山智哉さんによる「準拠集団内における意見風土が有権者の政治参加に及ぼす影響」という報告だ。横山さんは、有名な「沈黙の螺旋」に関する過去の研究を批判的に眺め、自らの仮説の検証を試みることになった。

1つは、世間と自分以外に、準拠集団(家族や友人)の存在がもたら効果を考慮すること。世間的には孤立していても、準拠集団内に自分と同意見の人々が多い(同質的)なら、人はあまり孤独を感じないであろう。そうなると、少数派であっても熱心に意見を表出するはずだ。

もう1つは、沈黙の螺旋理論で本来考慮されていたはずの、世間の多数派的な見解と自分の見解の「乖離」を明示的に変数化したこと。横山さんによれば、過去の実証研究は、これを欠いていたという。ただ、この乖離をどう変数化するかには、いろいろ議論の余地がありそうだ。

横山さんは、既存のデータを使った分析で、仮説を支持する結果を得ている。もっとも、その調査はこの仮説の検証用に設計されたものではないので、いくつか読み替えがある。とはいえ、そこを認めてしまうと、2要因間の交互作用を示すきれいなグラフが得られ、見事である。

わかりやすくいえば、自分の考えに近い準拠集団に属していると、世間と自分の意見が乖離しても、発言が抑制されることはない(つまり沈黙の螺旋は生じない)、ということだ。それは腑に落ちる結果だ。ただし、準拠集団間の多様性が許容される社会である、という条件付きで。

現代のメディア環境における沈黙の螺旋とは何かを考えると、いろいろ疑問がわいてくる。たとえば、世論の基盤となる「世間」を人々はどれだけ正確に把握しているのか、など。おそらくそれしきのことは、人材の豊富な社会心理学者がすでに答えを出しているにちがいない・・・。

そのあと恒例の二次会で議論(研究に関係のない話も含む)が続く。今回はいつもとちょっと違う顔ぶれで、しかし調査の実務に詳しい方が多かった。異分野だが、知りたいことが被っている人たちとの会話はいつも楽しい。そこには当然、沈黙の螺旋のような現象は存在しない。

沈黙の螺旋理論[改訂復刻版]: 世論形成過程の社会心理学
E. ノエル=ノイマン
北大路書房