前回の投稿で、イデオロギーがマーケティングにとっても重要な変数だと述べたが、その確信は速水健朗『フード左翼とフード右翼』を読んでいっそう強くなった。イデオロギーによって食生活が決まる(あるいはその逆)という単純な話ではないが、そこには奥深い関係がありそうだ。
本書で最初に紹介されるのが、東京ベジフードフェスティバルである。代替的な食生活を好む人々には、ベジタリアンだけでなく、ビーガン、マクロビアン、ローフーディストなど様々なタイプがある。彼らの考えはかなり異質なのだが、ゆるやかに結びついてベジフェスを運営している。
彼らのことを、著者は「フード左翼」と名付ける。自然食への嗜好は、潜在的に現代の消費文明への批判的態度を内包している。日本の有機農業のルーツは左翼運動と無縁ではないし、米国では対抗文化と結びついている。欧州では、環境保護派が議会でも有力な政治勢力になっている。
では、その逆の「フード右翼」とは何か。本書によれば、B級グルメを愛し、大盛りや高カロリーを好み、ジャンクフードやコンビニ弁当を常食とする人々だ。フード左翼か右翼かの差異は、社会階層の違いとも結びついている。フード右翼は、どちらかというと「下層的」である。
本書では、全体としてフード左翼への記述が多い。フード右翼の食生活は、「右翼」という切り口より、流行りの「(マイルド)ヤンキー」という切り口で語ったほうがよいかもしれない(両者は無関係ではないが)。最近のヤンキー論については、改めて触れることにしたい。
政治的立場と食生活の関連は、米国においてより明確のようだ。速水氏は、渡辺将人『見えないアメリカ』から、スターバックス・ピープル(=リベラル派)とクアーズ・ピープル(保守派)ということばを引用する。このような見方は、実際に選挙運動で使われていという。
ということで、渡辺将人氏の著書も読んでみたが、これまた面白い。渡辺氏は米国の上院議員選挙や大統領選挙のスタッフとしての経験を踏まえ、米国では保守-リベラルというイデオロギーが生活のあらゆる側面と結びついていること、それが選挙戦術に組み込まれていることを語る。
渡辺氏の著書では、そうした米国の状況がいかに歴史的に形成されたかが述べられているので、日本にそのまま当てはめることはできないことがわかる。その一方で、日本でも階層化が進み、ある種のイデオロギー対立が深まると、ある程度似た状況が生まれてくる可能性はある。
食にかけるコストは、衣や住ほどには格差が起きにくい(自然食が高コストだとしても)。だからこそ、本人の価値観やイデオロギーが現れやすいのではないか(他のさまざまな撹乱要因を伴いつつ)。これらの本から得た着想をデータで裏づけたいと、現在ひそかに考えている。
![]() | フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人 (朝日新書) |
速水健朗 | |
朝日新聞出版 |
本書で最初に紹介されるのが、東京ベジフードフェスティバルである。代替的な食生活を好む人々には、ベジタリアンだけでなく、ビーガン、マクロビアン、ローフーディストなど様々なタイプがある。彼らの考えはかなり異質なのだが、ゆるやかに結びついてベジフェスを運営している。
彼らのことを、著者は「フード左翼」と名付ける。自然食への嗜好は、潜在的に現代の消費文明への批判的態度を内包している。日本の有機農業のルーツは左翼運動と無縁ではないし、米国では対抗文化と結びついている。欧州では、環境保護派が議会でも有力な政治勢力になっている。
では、その逆の「フード右翼」とは何か。本書によれば、B級グルメを愛し、大盛りや高カロリーを好み、ジャンクフードやコンビニ弁当を常食とする人々だ。フード左翼か右翼かの差異は、社会階層の違いとも結びついている。フード右翼は、どちらかというと「下層的」である。
本書では、全体としてフード左翼への記述が多い。フード右翼の食生活は、「右翼」という切り口より、流行りの「(マイルド)ヤンキー」という切り口で語ったほうがよいかもしれない(両者は無関係ではないが)。最近のヤンキー論については、改めて触れることにしたい。
政治的立場と食生活の関連は、米国においてより明確のようだ。速水氏は、渡辺将人『見えないアメリカ』から、スターバックス・ピープル(=リベラル派)とクアーズ・ピープル(保守派)ということばを引用する。このような見方は、実際に選挙運動で使われていという。
![]() | 見えないアメリカ (講談社現代新書) |
渡辺将人 | |
講談社 |
ということで、渡辺将人氏の著書も読んでみたが、これまた面白い。渡辺氏は米国の上院議員選挙や大統領選挙のスタッフとしての経験を踏まえ、米国では保守-リベラルというイデオロギーが生活のあらゆる側面と結びついていること、それが選挙戦術に組み込まれていることを語る。
渡辺氏の著書では、そうした米国の状況がいかに歴史的に形成されたかが述べられているので、日本にそのまま当てはめることはできないことがわかる。その一方で、日本でも階層化が進み、ある種のイデオロギー対立が深まると、ある程度似た状況が生まれてくる可能性はある。
食にかけるコストは、衣や住ほどには格差が起きにくい(自然食が高コストだとしても)。だからこそ、本人の価値観やイデオロギーが現れやすいのではないか(他のさまざまな撹乱要因を伴いつつ)。これらの本から得た着想をデータで裏づけたいと、現在ひそかに考えている。