昨夜,河又さんに「吉宗(よっそう)」に案内される。シメサバとか茶碗蒸しとか,日本中どこでもありそうなフツーなメニューだが,中身が全然違う! 長崎はただものではない。二軒目は,最近オープンしたというジャズのライブハウス「Body II Soul」へ。ギターを抱えた中年シンガーが,入れ歯をしているかようなモゴモゴした歌声でビートルズナンバーなどを熱唱。ただ,そのなかで「想い出枕」の歌詞とメロディが,なぜかその後も印象に残る・・・。後半は,その傍らでタバコをプカプカ吸っていた若い女性が,突然ぶりっ子アイドルに変身して歌い始めた。最後はそのノリでジョニーBグッドを・・・。長崎の音楽シーン,恐るべし。
長崎とは何なのかを,河又さんと語り合う。長崎はほかの九州の都市と同様,観光資源への期待が大きい。佐世保方面のハウステンボスを含め,韓国や中国からの観光客誘致に熱心である。ハウステンボスにカジノを作るという構想もあるらしい。すでにカジノを持つ韓国や中国から集客できるのだろうか・・・。ハウステンボスはオランダ文化を模しているわけだから,現代のオランダあるいはアムステルダムにならって,飾り窓,大麻,同性愛の結婚などを認める「特区」にしたらどうか・・・ などという不謹慎なアイデアが思い浮かぶ。
もう少し現実的なことをいえば,長崎の最大の観光資源は,歴史に埋め込まれた「国際性」だと思う。17世紀,この地に基盤を築いたキリスト教は,仏教,神道との間で一種の「宗教戦争」を起こす。だが,その後厳しい弾圧を受け「隠れキリシタン」として数百年間,その信仰を持続させる。このような宗教に基づく紛争や,抽象的な価値への非妥協的な帰依は世界的には珍しくはないが,日本の歴史では稀有のように思える。そうした一種の「国際性」が,当時,少なくともこの地に存在したことが興味深い。
そして長崎は1945年,キリスト教国・米国から原爆を投下される。しかも皮肉なことに,浦上天主堂の真正面が爆心地となる。長崎の「国際性」とは牧歌的なそれではなく,悲惨さに満ちている。だからこそ,それは世界に通じる力を潜在的に持つのである。「潜在的に」というのは,まだまだその資源が活用されていないと思うからだ。そういえば,マーティン・スコセッシが遠藤周作の「沈黙」を映画化するという話は,どうなっているんだろう。そこでどこまで普遍的なテーマが見いだされるかが,一つの試金石になるのではないか。
長崎とは何なのかを,河又さんと語り合う。長崎はほかの九州の都市と同様,観光資源への期待が大きい。佐世保方面のハウステンボスを含め,韓国や中国からの観光客誘致に熱心である。ハウステンボスにカジノを作るという構想もあるらしい。すでにカジノを持つ韓国や中国から集客できるのだろうか・・・。ハウステンボスはオランダ文化を模しているわけだから,現代のオランダあるいはアムステルダムにならって,飾り窓,大麻,同性愛の結婚などを認める「特区」にしたらどうか・・・ などという不謹慎なアイデアが思い浮かぶ。
もう少し現実的なことをいえば,長崎の最大の観光資源は,歴史に埋め込まれた「国際性」だと思う。17世紀,この地に基盤を築いたキリスト教は,仏教,神道との間で一種の「宗教戦争」を起こす。だが,その後厳しい弾圧を受け「隠れキリシタン」として数百年間,その信仰を持続させる。このような宗教に基づく紛争や,抽象的な価値への非妥協的な帰依は世界的には珍しくはないが,日本の歴史では稀有のように思える。そうした一種の「国際性」が,当時,少なくともこの地に存在したことが興味深い。
そして長崎は1945年,キリスト教国・米国から原爆を投下される。しかも皮肉なことに,浦上天主堂の真正面が爆心地となる。長崎の「国際性」とは牧歌的なそれではなく,悲惨さに満ちている。だからこそ,それは世界に通じる力を潜在的に持つのである。「潜在的に」というのは,まだまだその資源が活用されていないと思うからだ。そういえば,マーティン・スコセッシが遠藤周作の「沈黙」を映画化するという話は,どうなっているんだろう。そこでどこまで普遍的なテーマが見いだされるかが,一つの試金石になるのではないか。