もう半世紀以上も前、クアトロの父が小学生だった頃、スポコンブームがやって来る。
巨人の星から始まり、アタックナンバー1にサインはVなどだ。
また、「柔道一直線」もブームとなる。
♪柔らの意地に命を賭けた、男の意地が火と燃える♪
少年クアトロの父も火と燃えて柔道を習い始めた。
しかし、男の意地よりも、柔道一直線のテレビに出ていた吉沢京子に憧れていたのかもしれない。
それでも、♪よるなさわるな、はじけてとぶさ、あーあーあーあ、柔道一直線♪
高校までは、柔道を一直線とはいかないが、続けたクアトロの父。
このオリンピックの柔道の中継を見ながら、やっぱり柔道はいいなと思う。
組み手争いで終始する試合に、ちぇーいと真空投げを伝授しようかと思うクアトロの父だ。
※勝手ながらクアトロは、明日・あさって連休させていただきます。
64年の東京オリンピックの時、クアトロの父は小学校4年生。
この頃、クアトロの父は足が速かった。
学校で一番早かった。
(まあ、このくらい昔のことはどうとでも云えるのだ)
授業で将来の夢を語る時は、はっきりとオリンピック選手と云っていたものだ。
しかし、オリンピック選手になるには体が大きく無ければだめと云われ、チーズを食べなさいと云われた記憶がある。
当時はプロセスチーズこそがチーズだった。
商品名を出して申し訳ないが6Pチーズこそがチーズだった。
この6Pチーズを一日一個食べなさいと云うことになる。
このチーズがクアトロの父にはなじめなかった。
そして、オリンピック選手をあきらめることになる。
それが、現代ではどうだろう。
クアトロに並ぶチーズはどれも美味しく種類が豊富だ。
小さい子供達がクアトロのチーズを喜んで食べている。
クアトロのチーズの品揃えは、まさにチーズのオリンピック状態。
今の時代に生まれていたら、クアトロの父もオリンピック選手になれたのにと思うのだった。
クアトロの休日に我孫子へ出かけたクアトロの父。
我孫子駅から手賀沼を散策する。
我孫子駅に降りるとすぐに感じるのは、若者が少なく年寄りが多いと云うことだ。
我孫子の駅で石を投げれば年寄りに当たるだろうと思われる。
流山市を真似て子育ての町とラジオなどでコマーシャルする我孫子市だが、まだ成果は見られない。
我孫子市の子育ての町としての売りは手賀沼の公園。
今日は風もなく穏やかな陽気だが、風がないと汚染された沼の匂いはきつい。
その公園をあとに、お気に入りの蕎麦屋に向かうと、開店前から年寄りがずらりと並んでいる。
自分も年寄りだと気づき、その列に加わる。
さらに我孫子の蕎麦屋には先生と呼ばれる種族が多い。
医者、学校の先生、お花の先生、踊りの先生、手芸の先生、陶芸の先生、なんだか解らない先生などなどだ。
我孫子で年配の人に挨拶する時は、まず先生と呼んでおけば間違いはない。
我孫子は日本でもっとも先生が多い町ではないかとクアトロの父は思っている。
年寄りで先生ともなると蕎麦の食べ方にもそれぞれにこだわりがあるようだ。
蕎麦の前に酒をすする先生。
大きな音を立てて蕎麦を食べる先生。
蕎麦は喉ごしだとばかりにツルツルっと食べる先生。
先生たちはみんな蕎麦が好きなんだなとキョロキョロ眺めているクアトロの先生。
このクアトロの先生も、蕎麦の食べ方にはこだわりがある。
わさびを蕎麦にちびちびと付けながら食べる。
蕎麦の味を楽しんでいるのかわさびの風味を楽しんでいるのか不明なクアトロの先生だ。
我孫子の町にすっかり馴染む年になったクアトロの父だ。