瀬戸内、竹原市忠海町の名所にも成り、所謂西国三十三箇所ミニ霊場の黒滝山観音磨崖石仏です。
山陽、瀬戸内の旅に来てこれ程山登りするとは思っても居なかった。
瀬戸内の石仏は殆どが低山ハイキングコースの岩場に有って、石仏巡りというより軽登山と言う方が当たってるかも・・。
このミニ霊場は黒滝山から尾根伝いにその背後にある白滝山の古刹「龍泉寺」まで遊歩道が整備されハイカーにも人気コースの様です。
黒滝山は竹原市の東南部、JR忠海駅の北にそびえ、頂上辺りに岩塊を突き出した低い独立峰です。
その登山道入口までは自動車道が整備され、立派な駐車場まで用意されて居る。
登り始めると直ぐに石仏に出会うが一つ一つを紹介するわけにも行かず、これはと思ったものだけに留めます。
山頂近くまで撮影しながらゆっくり登って約1時間足らず、背後に岩塊の突き出した観音堂に出る。
<石鎚神社のある岩塊>
ここからの瀬戸内の眺めは素晴らしく、一方背後の岩塊には石鎚神社が祀られ鎖伝いに岩肌をよじ登る行場と成って居る。
さて本題の三十三観音磨崖石仏ですが観音堂から少し登った頂上付近に集中・・・・、先ずはこれ、第二十二番総持寺の千手観音と成って居ますが、何かの間違い、千手が有りません。
第三十二番の案内碑が有った観音正寺の千手観音・・・愛くるしい尊顔ですがこちらも、どう見ても千手は有りません。
これはしっかり頭上に馬頭を持つ第二十九番松尾寺の馬頭観音・・・、概ね此処の磨崖は像高約1m内外、江戸期の天保四年に完成されたようです。
まだ衣や頭部に彩色痕が残る第三十一番長命寺の十一面千手観音・・・なかなかの力作だとは思うのですが?どう見ても像容が合いません。
こちらどこの何様やら・・・・どうもよく調べてみると第二十一番穴太寺の聖観音、蓮弁上に大きくきのこのように見えのは男性自身だという・・・。
願主:「かりや小三郎」もなにやら意味のありげな名前です・・・・・・・「穴太」に「かりや小三郎」と大きな「陽物」・・・・江戸天保の頃にはこんな洒落がまかり通っていたのだろうか??
第三十三番谷汲山華厳寺の十一面観音・・・、これは像容と合致しています。
江戸時代天保の頃って地方に於いては像容など問題外だったのでしょうか??
最後に 昭和五年作の十三仏です・・・・、少し参道外れに置かれてました。
確かに十三仏ですが・・・・、やっぱりどうも漫画チックに見えて時代的な重みには欠けますよね。
それでも2時間足らずしっかり近世磨崖を堪能しました。
撮影2012.12.1
僕の住む地域では近世の磨崖仏は全く見れません。
江戸時代にそちらで花開いた石造文化を目の当たりにして、瀬戸内が経済的に大きな力を持って居たんでしょうね。
地元からのコメントは嬉しいものです。
石仏について素人の思いを少しだけ書かせてください。
石仏22番の千手観音ですが、千本の手がありません、千本のが無くても良いのではないでしょうか。
21番の聖観音の施主「かりや」は屋号が雁屋です、雁屋小三郎氏の墓石もあります。 地元では建立年は文政4年と伝えられています。