愛しきものたち

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徳島県旧東祖谷村(ひがしいやそん) 旧喜多家住宅

2013年02月06日 | 茅葺き屋根(上懸け屋根を含む)その他

兎に角僻地も僻地、日本三大秘境の四国阿波、祖谷峡谷の奥、その谷底より斜面を駆け上がった山岳集落に建つ重文民家。

三好市の中心阿波池田の街より南へ約42km、1時間半、吉野川、祖谷川沿いに遡り、観光名所の「かずら橋」より渓谷を更に10km奥へ、ここから急峻な山肌をクネクネ5kmも登ると目的地、東祖谷「平家落人伝説」を持つ大枝集落。

集落への登り道は兎に角絶景、こんな急峻な山肌に集落が在ろうなどとは全く想像だにできなかった。

山の中腹に集落が形成される天界の村、四国山地東部のこの辺りはその数と規模においてわが国随一、谷底は殆ど霞んで確認することも出来ない程・・・・。

この集落の鉾神社へ「鉾立の杉」を撮影に来、思いもせずに出遭った茅葺き民家・・・・こんな山間僻地で茅葺き武家屋敷(民家)に出逢うとは・・・。

標高約850m、集落に家は10軒足らず、鉾神社脇の高台に建つ旧喜多家住宅は集落東外れから此処に移築復元した様です。

豪壮な寄棟茅葺き屋根を持ち、桁行は10間、梁行5間半、式台をもち、八畳二部屋続きの書院風の座敷があり、正面と西側に1間幅の中廊下を巡らし堅固に建てられた祖谷地方の数少ない武家屋敷だと言う事です。

旧喜多家の祖先 「北六郎三郎」の祖は、阿波国朽田主城「小野寺八郎蔵人」で小野寺氏は平家末裔ともいわれ南北朝時代宮方として奥州より阿波に入国正平年中南朝に忠節を尽くし、その功により多数の御綸旨感状を授与された家柄。

この屋敷は天正年間、ときの阿波国領主蜂須賀家政公の命により祖谷山鎮圧のため入山し大功のあった子孫、大枝名主喜多家の武家屋敷で建築年代は宝暦13(1763)年とされています。

しかしまあ、昔の人は偉かったじゃないけど、こんな辺鄙な急峻な山岳斜面、重機も車もない時代に良くもこれだけのものを建て、維持して来たものだと・・・・。

現代人には想像も絶する。

撮影2008.11.2



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