今から30年余り前、まだ長距離トラックに乗って間もない頃、友達を助手席に載せ仕事ついでに寄り道、この大内宿を訪ねた事がある。
当時はまだ観光地として売り出し始めたばかりだったのだろう・・・・、2~3軒の食事処だけがあって、タイムスリップした様に鄙びた茅葺き屋根建ち並ぶ宿場の雰囲気がそのまま残っていた。
去年の秋、東北の旅の最終日、福島郡山からの帰り道、この大内宿に寄り道して北陸廻りで帰って来た。
しかし30年前のあの鄙びた感は完全に消え去り、大駐車場を完備した一大「茅葺き宿場テーマパーク」へと変身していて、拍子抜け・・・.
この地は、会津若松より南へ約25km、現在では主要道から取り残され山に囲まれた山間僻地、江戸時代には会津藩が参勤交代に使った重要な宿場町として本陣や脇本陣が設置されていた。
所謂「会津西街道(下野街道)」、この街道が日光、江戸へと続いて居た。
中央を貫く通りの両側はすべての軒先で土産物やら食事やらと、何らかの店に成っている。
観光バスで乗り付ける団体客やらなにやらと・・・・・、土日でもないのにこの人出です。
ちなみに30年前は誰にも合わなかったけど、食堂に入って店のおばちゃんと話した記憶がある。
通りを歩いて居ると、建物は殆ど変わりなく、いやむしろ、整備が行き届き茅葺き屋根などは見やすくなって居る。
しかし、生活感は無くなり・・・・・
地に足のつかないハリボテのような・・・・・、美しいけど絵に書いた餅のような・・・・。
しかし、これだけ多くの茅葺き屋根が通りに面し、妻を向け建ち並ぶ景観は、他では見ることが出来ない程貴重です。
美しい、素晴らしい景観には違い有りません。
いかにも洗練された単純な美を感じます・・・・しかし洗練され過ぎ、観光客の目を意識した集落に成り過ぎて居るかのようです。
ちょっと外れて、裏側から見れば、オープンセットの書割のように見えてしまいます。
良く保存されてるけど何かが違う、時代が変化するのに過去をそのまま保存する事など出来ないのですよね。
国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定、現在年間100万人以上が訪れる一大観光地と成って居る。
撮影2012.9.27