野洲、井口町「佛法寺」 とその同境内に建つ「千原神社」に残された二基の石塔。
野洲川右岸、兵主大社に程近い井口集落の中程に並び建つ寺院と神社・・・・勿論明治までは同一だったのだろうが??・・・・どことも同じくで現在寺の名と神社の名は別々に成っている。
しかし境内は仕切りの無い同一境内で誰が見ても明治の神仏分離で不自然に成っていることが一目瞭然。
そんな右手には「千原神社」が建ち、石鳥居左手には小ぶりながら立派な宝塔が建ち尽くして居る。
高さ 152Cm、基礎石に太い枠を取り、三茎蓮を刻み、塔身正面には、扉型を刻みだしている。
笠石は無骨なほどに厚く力強く、鎌倉期の特徴を良く表し、両側の束に「文保三(一三一九)四月八日」の紀年銘が確認され、鎌倉後期の造立。
方や境内続きの「佛法寺本堂」左手脇にはどっしり構えた宝筐印塔。
基礎石側面には、それぞれ格狭間内に開蓮華文様を浮彫に・・・・
上部には複弁の反花を施し、また塔身には月輪を薄く陰刻、内に金剛界四仏の種子を刻み込む。
塔高、233Cm、基礎石両側に「文保三年己未三月廿三日、願主左衛門尉景光」の銘がある。
宝塔と同年号を持ち、同時建立したものでは無いだろうか??
撮影2012.10.26