愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

大東市  龍間の一石六体地蔵

2011年02月17日 | 石仏:大阪

龍間の集落は生駒山麓の真っ只中に有り、古来よりを生駒山を越えて奈良と大阪を結ぶ街道として栄えた道筋に広がる山間集落。

明治になって古堤街道と呼ばれた街道は、交通量の増大に伴い1958年拡張され阪奈有料道路として開通、長閑であっただろう街道筋の山間集落は拡張された有料道路に南北に分断されたような姿となり、南北の横断は一箇所のみの交差点と成って喧騒の中にある。

現在は第二阪奈道路が生駒山系をトンネルで突き抜け交通量は減少したもののすっかり忘れ去られた様な佇まいに成っている。

この旧阪奈道を大阪方面から登って行くとクネクネとヘアピンカーブを繰り返し、登り車線と下り車線が合流そのまま暫く進むとこの道路唯一の交差点である竜間の信号に差し掛かる。

目的地には次の脇道を右折すれば直ぐなのだが道路には中央分離帯が有りそれも出来ず、ひどく大廻りに成って厄介だけどこの交差点で右折、直ぐに理容所の前に在る細道を左折、山の頂上付近のT字路を左折、山を下ってちょうど目的地の辻に出る・・・・・・、こんな不便な行き方しか出来ないのかと??道路は狭く運転にはそれなりの技術が必要。

しかし待って居てくれた石仏さんは周りの景色とも相俟って僕の好きな景観を醸しだしてくれていた。

旧古堤街道、出会いの辻、背後のなだらかな山の斜面、それも小高い丘の様な起伏を背景に六体地蔵を中心に三体?の石龕が並んで建っている。

卍庇の大きな屋根を戴いた石龕の中、中央の一石六体地蔵は幅86cm高さ148cm、花崗岩の舟型石に像高約50cm弱の六体地蔵立像が上下二段に彫り刻まれている。

大和地域で は良く見かける一石六体地蔵もここ河内方面では珍しく、優しく穏やかな顔つきでほっとさせて呉れると共に、手向けられた華が真新しく今も尚、信仰の生き続けていることを強く感じる

脇にはそれぞれ銘が刻まれ永禄十年(1567)丁卯二月廿三日  奉造六地蔵六斎念佛之供養一結衆五十五人敬白と有り室町末期の乱世の時代の造立。

両脇にもそれぞれ屋根付き石龕の中に地蔵石仏が有って三味一体で旧街道、辻の地蔵さんとして懐かしい景観を醸しだしている。

100mも離れずすぐそこを喧騒の道路が通ることなど想像も出来ないほど長閑かな景観です。

撮影2011.2.5