愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

桜井市 慶運寺の石棺仏

2011年02月18日 | 石仏:奈良

奈良県桜井市は「国のまほろば」、大阪と奈良を隔てる生駒山系と奈良と伊賀を隔てる大和高原の山々に挟まれた奈良盆地は国中(くんなか)と呼び親しまれ奈良県の中心をなす地域ですが、そんな国中の南端域に有って古代日本の歴史の凝縮した土地でも有る。

桜井市の大神神社は本殿を持たない原始信仰の神社として有名ですが、その神奈備山である三輪山の北西山裾には卑弥呼の古墳かとも騒がれる箸中古墳が有りその北側一帯は邪馬台国論争の渦中に在る纒向遺跡の広がるところです。

<箸墓墳丘部の一部と三輪山>

奈良市内方面から国道169号線を南下すること20分もするとJR桜井線を跨ぐ跨道橋に成り、その真正面にそれと解る池に囲まれた前方後円墳が見える、所謂箸墓と呼ばれ「倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)」とも呼ばれ、卑弥呼の墓では無いかとも言われている。

箸墓を遣り過ごすと国道は二股に分かれるがその直前左手脇道を古墳沿いに直進すると国津神社の前を通って慶運寺の門前に着く。

境内に上がり本堂左手、墓地の入り口と思しき辺りにこの石棺仏が立っている。

写真でも解る様に凝灰岩製の刳抜き石棺底部を利用した阿弥陀とも弥勒とも呼ばれている石仏が中肉彫りで刻まれている。

刳抜き石棺の則部を庇の様に使い全高158cmの石材に像高1m足らずのこの地域では多い建治形弥勒立像石仏(掲示板では弥勒なので)、風化摩耗劣化が激しく顔容は定かでは有りませんがその特徴から鎌倉時代の造立だと言われています。

寺の裏山一帯は古墳の群集域でこの石材もこの一体から出土した石材では無いかと言われて居るようです。

撮影2007.12.16