気の毒過ぎるほどの痛み方です、こう成ってしまえば最早、石仏跡とでも呼んだ方が良いのかも??
しかし覆い屋は立派でまだまだ新しく、しっかり信仰の対象として地域に根ざしているようです。
前回紹介の元町石仏から歩いて数分、元々は両者ともに圓寿寺(岩屋寺)の敷地内に位置し、古国府(ふるごう)の交差点横の台地裾岩壁に刻まれていてほぼ同年代に造られたものと考えられるそうです。
17体の石仏が並び、薬師如来座像を中尊とした薬師三尊像の左右に、釈迦三尊、阿弥陀三尊の二組の三尊像を配したものと言われていますが、殆何がなにやら状態、最も保存状態がよい右端の十一面観音像でもこんな状態です。
しかし、朱や青の彩色も残り造立東寺はさぞかし荘厳、豪華な物で有ったのだろうと想像することが出来るが、こんな状態ではただただ呆然、哀れをさそう・・・・・。
像高約2.4m堂々とした大きさ、藤原前期の作と考えられているが、他の石仏とともに風化劣化が激しすぎるため県の史蹟指定を解除された。
後はご覧の通り見る影もなく無残な石の起伏にしか見えないが、これだけの規模で17体もの石仏が並んでいた造顕当時はさぞかし目を見張る
素晴らしさだった事が伺える。
右手の覆い屋には千仏龕(せんぶつがん)と呼ばれる無数の小さな窪みの有る石塊が残されており、かっては小仏像が収められていたと推測されている。今はそのかわりの写真や絵葉書などが貼り付けられたりしていた。
このような形の物を見るのは初めてでした。
撮影2009.12.28