冨貴寺(蕗寺)は国東半島、六郷満山のなかで満山を統括した西叡山高山寺の末寺、また平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院でもあるとか・・・。
小さい境内ながらも正面山門の奥に立する阿弥陀堂(富貴寺大堂)は、宇治、平等院鳳凰堂、平泉、中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられるほどで、現存する九州最古の木造建築物であると同時に国宝にも指定もされ、国東を訪れる旅人は誰もが立ち寄るところのようです。
まず目に付くのは、県道脇から続く参道石段入り口両側にある石灯籠に似た六地蔵石憧(ろくじぞうせきとう)、高さ215cmで江戸時代の作造とされている。
仏前を飾る布製の幢幡を六組または八組を合わせた形のものを石造物としてあらわしたものが石幢と呼ばれるもので、灯篭では火袋に当たる六角柱に六地蔵を刻み込んでいて地域に住む人たちの「魔除け」としての意味合いを持つ。
右側の石殿
左側の石殿
石幢の脇には十王石殿、本体軸部石に対して大きすぎるほどの入母屋屋根を乗せ軒裏には垂木まで刻みだす精巧さ、片側の本体軸部二面に三体と二体の道服を着た石仏、左右合わせて十体、十王で一組、室町時代の民間信仰の遺品とされ大分県指定有形文化財。
左側石殿横には参道石段と並んで民俗臭の強そうな石造物。
これはいったい何?笠付きだけど??良く解らない。
こちらはお馴染み庚申塔、青面金剛、国東ではこんな形??やっぱり大きな笠(屋根)を載せている。
傍にはこんなものも、地蔵か、僧形八幡??、やっぱり地蔵のようです、石殿軸部の残欠かなあ??
石段参道を登ったところがこの山門。
両側には国東おきまりの石像仁王、顔は怖いというより何処と無くコミカル・・・・。
山門を越えるとカヤの樹と樹齢500年という公孫樹の大木、奥に見えるのが国宝・富貴大堂(阿弥陀堂)
内陣中央には本尊阿弥陀如来坐像(重文)が安置され、堂内の壁画(重文)は日本の四大壁画の一つに数えられています。
残念ながら堂内撮影禁止にてここに載せる写真はありません。
堂脇右側にに並ぶ石造品。
その名もずばりの国東塔、その名の通り約九割が国東半島に集中しているという、宝塔の変種、これは室町時代の国東塔。
笠塔婆が四基並んで建っていて鎌倉期の造立、県指定文化財に成っています。
その背後、石壇上には十王石仏と右端、奪衣婆。
国東石造仏教文化のオンパレードのような境内は独特な風の吹く空間です。
撮影2009.12.27