現在義晴地蔵寺の名で延命地蔵として信仰されている、小松神社(星田妙見宮)裏参道入口に集められた石仏さん達。
星田の旧在所からまっすぐ南東へ伸びる道路を妙見台住宅の入り口、左側妙見山南斜面に結構大きな覆い堂が建てられ鎌倉期から室町期の中世小石仏が安置されている。
義晴地蔵寺と言う名は此処に安置されている第12代将軍足利義晴の五輪塔により名付けられたようです。
この地は往時隆盛を極めた小松寺の寺僧墓であった土地だと言われ、周辺から掘り出された石仏・石塔など二百基以上が集められています。。
前説はこのくらいにして、雛壇に立並ぶ二百体もの小石仏の中でも一際目を惹くのが中段真ん中辺りの地蔵さんと右端に見える平石の阿弥陀さん。
大きく目立つのがこの石仏さん、前にはこけしや縫いぐるみなどもお伴で微笑ましいのですが、一寸首をかしげてしまいます。
石仏は総高約1m足らず像高約70cmの星田型阿弥陀立像ですが、一寸首を傾げたように見え、鼻と額の上は少し潰れています。
切れ長の目を持つ凛々しい若者風の尊顔、来迎印を結ぶ。
衣文は少し単純化され高く深い蓮台ながらこちらも少し単純化が進み出している。
おでこが広く若者風の阿弥陀石仏は、その像容から慈光寺の「鍋賀地蔵」までは遡れない気もするが?資料では同じく、南北朝~室町初期の造立だろう。
中段真ん中辺りに立つ、おおきな赤い涎掛けの地蔵さん・・・舟形光背の上部が複雑骨折、断裂していて不整形な光背に成ってます。
赤い涎掛けを取ると正面からは落ち着いたこんな感じ・・・・。
光背より大きくせり出した蓮台に立つ、一寸理知的なワンパク小僧の様にも見える地蔵さん。
凝灰岩勢で残存総高約60cm足らず、半分コンクリート基台に埋め込まれた蓮台に立つ厚肉彫りの像高ほぼ42cm。
左手は胸元で宝珠抱き、右手は下に垂らし下与願印結ぶ、所謂矢田寺型の古式地蔵立像。
きめが粗く軟質な凝灰岩のためか、それなりに風化が進んでいるが目鼻立ちもしっかりしていて保存状態はまずまず。
像容からは南北朝~室町初期の造立だと考えられる。
夥しい小石仏の雛壇にこんな古式地蔵が隠れてるとは思いもよらなかった。
撮影2011.4.17:2012.6.13