愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良県大和郡山市 矢田町の茅葺き民家

2014年03月24日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

チャリで出掛けた大和郡山方面、市街北端矢田丘陵裾野集落で見つけた茅葺き民家。

付近は小規模な棚田の奥に小さな集落がポツポツ離れ建つ、昔ながらの景観を良く残す里山地域。

そんな集落の一つ、なだらかな緑の山裾に抱かれるように大和棟の茅葺き民家が見える。

しかし近づいてみると、最早棟飾りは全て無くなり母屋自体も風前の灯火・・・

隣地にに現代的な住宅が建てられ最早茅葺き本屋は戸締めのもぬけのからの様でした・・・。

もう一年近く前の撮影なので現在はどうなってる事やら??

撮影2013.6.29


奈良県旧室生村 深野の茅葺き屋根

2014年02月24日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

前日紹介の下笠間から名張に抜けようと、通りがかった深野の山里、棚田集落

峠からの下り道、突然現れた真新しい茅葺き屋根にビックリ、思わず車を脇に寄せてバシャ・・・。

この土地も天界に広がる棚田が素晴らしく寄り道になっても良く通る場所・・・・・、随分昔の茅葺き写真集には棚田に囲まれた素晴らしい景観の民家が写って居るが、現在朱い覆懸屋根に変わり、ここ4~5年前から毎年の様に訪れるのだが・・・、終ぞ茅葺き民家には出遭わなかった。

まだ補修改築工事中の茅葺き民家は、業者さんの話によると、都会の人が買取り、古民家宿の様な施設でオープンするとか???

色々検索してると、この民家「古民家再生(ささゆり庵)」のページを見つけました。

この写真は2010.7.28に撮影したもの、正面右端の黒い覆懸屋がそのもの、集落の片隅斜面に建ち全く目立たなかったのだが・・・・・。

まだ葺き上がって間もない茅葺き屋根、下屋の棧瓦も箱棟も眩しいぐらいにピッカピカ・・・・

伊賀型、寄棟茅葺の上に棧瓦の箱棟を載せて居る。

屋根部はきっちり決まって凛々しいのですが・・・・・下屋や内装は只今工事中・・・・・

眩く、自信を取り戻したように見える茅葺き屋根は「ささゆりの里」と呼ばれる深野に笹百合が咲き出す頃にはオープンするのだろうか??

またこちらに来る楽しみが一つ増えそう・・・。

撮影2014.2.12


奈良県旧室生村 下笠間の茅葺き民家

2014年02月23日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

前日に引き続き、室生下笠間集落の茅葺き民家・・・。

県道から集落の南外れに入り込む進入口付近にも覆懸屋が二棟・・・

集落内中段から見下ろすと・・・・中央辺りに草臥れ果てた茅葺き屋根見える。

棚田の果てた平地に大きな屋敷を構えて居るが・・・・・遠目にも荒れ果て、最早廃墟と化している。

大きな長屋門の奥に聳え建つ大和棟茅葺き民家・・・・今なら少し手を入れれば、まだまだ間に合いそうな佇まい。

放棄されてもう何年も経つのだろうか??既に棟には肋骨も見え隠れ、哀しい姿を晒している。

近くで見かけた屋敷内茅葺き納屋・・・。

真新しい棧瓦屋根の主屋脇に、そろそろ寿命を迎えそうな茅葺き屋根の納屋。

多分、十年程前には主屋と納屋が二棟並んで茅葺き屋根だったのだろう・・・・。

その頃、この土地のことは、まだ知らなかったもんなあ

撮影2014.2.12


奈良県旧室生村 下笠間の茅葺き民家(更新)

2014年02月22日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

以前、このページでもUPした室生下笠間の茅葺き民家。

前回は春爛漫の四月末、それに石仏撮影の序での撮影、ワンポイントだけの撮影ではいかにも勿体無いロケーション・・・・。

棚田斜面沿いの旧道脇に二棟並び建つ茅葺き屋根を再度各方向から撮影したいと出掛けて来た。

2月初旬、立春を過ぎて直ぐに降った雪は、一週間程経った12日にも、日陰部分でまだ淡く残り幻想の世界を醸し出していた。 

県道から集落への進入道付近から見上げると並び建つ2軒の茅葺き屋根は手前の竹藪に蹴られて同アングルでは納まらない。

こちらは上段にある伊賀型箱棟を持つ寄棟茅葺き民家。

並び建つ下段の茅葺き屋根は本格的大和棟の高塀を聳え立てている。

この方向からは屋敷の裏側に成るのですが南側に当たり全く白いものは見えません。

集落外れ、茅葺き屋根の並ぶ旧道から見下ろす下笠間の里は、覆懸屋も数多く見え、いかにも長閑で鄙びた山里景観そのもの・・・。

集落最上段から二軒並びの茅葺き民家を見下ろすと・・・・・・北側の屋根だけにうっすら残り雪。

二軒並びの上段に建つ茅葺き民家、寄棟茅葺き屋根に大きな箱棟の伊賀型棟仕舞・・・・・・

 

そう言えばここから三重県境までは直線で3km程・・・・伊賀と大和が同居してても何の不思議もない。

妻側下屋のとの間に煙出しだろうか?小さな棧瓦の庇が見える。

下段、石垣上に腰板白壁土塀を巡らし、二棟の土蔵に挟まれ、雪景色の大和棟。

正面は塀の奥にあり良くは見えませんが無理やり撮ればこんな感じです。

何度かは手を入れたのだろう・・・切り妻部分の白壁も腰板も傷みもなく綺麗に整えられて居る。

元士族の家柄だろうか?土蔵の「丸に立ち沢瀉」家紋が眩しい。

大和圏内広しと言えども、こう何拍子も揃った景観を堪能出来る場所はそうそう有るものでは無い。

「我が心のふるさと」を地で行く景観です。

撮影2014.2.12


奈良県生駒市 菜畑の茅葺き民家

2014年02月11日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

街中の茅葺き民家は広い屋敷に木立が茂り、周りを高い塀で囲み尽くし大抵門戸を固く閉ざしていて敷居が高く、その全容を撮影するのは難しい。

この民家は生駒市を縦断するように平群王子方面へと続く幹線道路沿い、この道を通るたび、ずっと以前から気に成っていた茅葺き屋根。

この日は天気も良かったのでチャリで足を伸ばし、ここまでやって来た・・・・・しかし案の定、門戸は固く閉ざされ、多くの建物や木立に囲まれた中央に豪壮な茅葺き大和棟の頭が突き出しているのが見えるだけ。

対面する少し高台に登ってズーミングを試みるがこの程度が関の山・・・・・。

幹線道路を跨いで捉えたのがこの写真。

多分付近一帯を治めていた大庄屋屋敷なのだろう??・・しかし見事に手入れが行き届き、揺るぎない家格を表している。

撮影2013.5.12


奈良県天理市 山田町の茅葺き民家-2

2014年02月08日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

前回に同じく山田町で見つけた茅葺き民家。

前回とは別の集落ですが、やはり後ろに小高い杉林が有り、どことなく良く似ています。

この一帯の集落を廻って見ると古い茅葺き民家は数多くあるのですがその全てに覆い懸けが施され、茅葺きのまま残っていたのは前回の民家とこの二軒のみ。

平入棧瓦下屋に鋭角の切り妻茅葺主屋を載せ、落棟を張り出した大和棟。

裏の高台に登って見下ろすとここもやっぱり棚田が見え隠れする。

日当たりの悪い裏側茅葺き屋根は、やっぱり苔生し傷みが段違いに早いような・・・・。

撮影2013.5.31


奈良県天理市 山田町の茅葺き民家

2014年02月07日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

大和高原、天理市山田町、なだらかな山裾の杉木立を背景に端正な茅葺き主屋を持つ上級農家の屋敷。

天理市最東部、山田町は名阪国道福住ICと都祁馬場町を結ぶ県道47号線沿いの歴史ある鄙びた山里。

緩やかな棚田の中に小さな集落が軒を連ね、日本の原風景を彷彿とさせてくれる処です。

そんな中、早苗のそよぐなだらかな棚田の奥にバッチリ決まった茅葺き民家の屋敷がまるで絵のように佇んでいる。

片妻寄せ棟、片側切妻、棧瓦の大きい箱棟を載せ、棧瓦の落棟に煙出し館・・・ちょっと風変わりな大和棟風。

平入主屋を真ん中に、離れ屋、蔵、向かって右手には納屋?を兼ねたようなもう一棟・・。

狭いながらも庭先には松や紅葉のの植え込みもあり・・・・

良き時代の裕福な農家を彷彿とさせてくれる。

放棄茅葺き民家の多い中、現在も堂々と生き続けている事を、強く感じさせてくれる茅葺き屋根の民家でした。

撮影2013.5.31


奈良県御杖村 神末(こうずえ)の覆懸屋根民家

2014年02月04日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

 

2~3年前には確かに残っていた茅葺き民家を再確認に行ったが・・・・・道の駅で確かめたところ去年「覆い屋根」が懸けられ後の祭り・・・・・。

しょうがないので近場でそれらしき集落は無いかと訪ねたのが此処、奈良県御杖村神末地区。

奈良県御杖村は奈良県最東端、三重県旧美杉村と境を接する旧伊勢本街道沿いにある鄙びた山里。

そんな中でも神末地区は更に東外れ、幹線道路より更に谷筋を遡上、御杖神社という古い神社のある古い土地。

しかしここでも、つい最近までは茅葺き屋根だったろうと思える民家は多いものの茅葺き屋根の民家は全滅・・・・・。

これがそのまま茅葺きだったらどんなに素晴らしいだろうと思える民家もこの通り。

こんな可愛い山沿い一軒家にもやっぱり覆懸屋根。

山際に三軒並んだ入母屋の屋根を持つ覆懸家・・・・・、もう10年程前なら、せめて右の二軒は茅葺き屋根の侭だったろうに??

こちら幹線道路沿い、高台に三軒並んだ覆懸民家・・・・・。

最近は覆懸民家でも、人の住まない放置家屋が多くなってしまった。

撮影2013.5.3


奈良県宇陀市旧室生村 「多田」「染田」の覆懸け民家

2014年01月29日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

宇陀市、旧室生村南部、都祁小倉町と県道127号線で接する「多田」と「染田」集落は山里、棚田集落。

グーグルアースで眺めて観るとまだまだ茅葺き民家が残って居そうなのに・・・・・、実際にはその全ては既に覆い懸け屋根。

やっぱり伊賀にも近く伊賀型屋根を彷彿とさせるこんな屋根。

ここは染田の隣村、多田集落の家並み・・・。

赤いトタンを懸けた入母屋の屋根・・・

観音堂だか?地蔵堂だか?集落奥にあった小さなお堂も傾斜のきつい入母屋の屋根。

大和棟の屋根が堂々と聳える集落外れの民家。

なだらかな棚田に囲まれ、覆い懸け家が並び建つ。

こちらは入母屋屋根が並び建つ・・・・茅葺き屋根はどんどん減って行く。

撮影2013.6.8


奈良市 狭川の覆懸け民家

2014年01月26日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良市東部、大和高原域の最北端、旧狭川付近も茅葺き民家の多い土地だったろうに・・・・、僕の知ってる限り一棟を残し全て覆い懸け屋家に成っている。

僕の山城からは国道163号線、笠置大橋で木津川を渡り、県道33号線で白砂川の谷川沿いに10分も遡れば、ぱっと長閑な山里の視界が拓ける。

ここは中世期、「柳生郷狭河里」と呼ばれた地、在地武士の狭川氏が勢力を持ち、下狭川城と藤尾城の二ヶ所の拠点を持っていた。

そんな藤尾城近く、狭川氏の遺品を多く伝える「中墓寺」付近には赤い錆色の覆懸け家

一軒は両切妻屋根、もう一軒は入母屋にトタンを被せて居るが・・・もはや二軒共に温もりの無い空家でした。

アクセスもそれほど悪くは無いのですが・・・・

最早この家も、モヌケ状態・・・

こんな立派な家も在りましたが温もりは感じられません。

棚田の奥、山あい道狭間にはこんな民家・・・覆懸けはあるものの下屋が持ちこたえられず、そろそろヤバそう。

これが,往時のままの茅葺き屋根だったら・・・

どんなに素晴らしい景観だったろうかと・・・・

覆懸け屋も既に寿命を迎え新しい家に取って替わり

まるで蛹の抜け殻のように・・・・・、ただ崩れ去るまでの短い時間を立ち尽くす。

この付近、奈良市内とは言え、放置家屋はどんどん増加している。

撮影2013.5.25


奈良県生駒市  南田原町の覆い懸け民家

2013年12月11日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

大阪府四條畷市上田原と対面する奈良県生駒市南田原の覆い懸け民家。

棚田道を登って行くと目の前に背の高い大和棟の覆い懸け民家・・・・、後方にも色違いの覆い懸け屋が見える。

茅葺き屋根に似せたつもりだろうか??紅殻色のトタン屋根が良くマッチし、落棟館の煙り出しも中々良い感じ。

台地裾にもこんな大和棟民家が見られて、この辺りにはまだまだ、こんな民家が色濃く残って居る

撮影2013.4.5


奈良県生駒市  南田原町の茅葺き民家-2

2013年12月10日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

南田原町、台地集落の北端に建つ豪農クラスの大きな屋根を持つ民家。

隣には新築ながら大和棟民家?、手前には豪壮な茅葺き屋根。

屋敷はやっぱり、大きな植え込みと長屋門に囲まれ、静まり還っている。

この家も妻側半分と裏側は銅板懸けに成って居た。

立派な屋敷や建物が目立つ集落でした。

撮影2013.4.5


奈良県生駒市  南田原町の茅葺き民家

2013年12月09日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

生駒市南田原町、旧道とバイパスに挟まれた高台集落で見掛けた半茅葺き民家。

高台集落への細い坂道を登って行くと、周りを腰板塀と庭木に囲まれた大きな屋敷、その奥には大きな屋根の茅葺き民家。

表正面だけ茅葺きのまま残し、妻側や裏側は全て銅板で覆って居る

寄せ棟と呼ぶのか?入母屋と呼ぶのか?棟は棧瓦仕舞、右妻側に小さな落棟の様な煙り出し館を設え、独特なデザイン・・・・。

この辺は都市部へのアクセスも良く宅造も盛んで金回りも良いのだろうか?整備の行き届いた大きい屋敷の家が目立つ。

撮影2013.4.5


奈良県生駒市  北田原町の覆い懸け民家

2013年12月08日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

こちらは生駒市北田原町で見掛けた覆い懸け民家。

大阪四條畷市の田原地区とは国道168号線を境に接する、奈良県生駒市の北田原町。

淀川に注ぐ、天の川右岸に広がるなだらかな棚田上部に集落の家並みが建ち並ぶ。

集落内にはやっぱり大きな屋敷構えの民家が多く・・・・

在所内は何処を走っても離合困難な道ばかり・・・・古い在所道なんて車が通ることなど予測もして無かったろう・・・。

まだ40~50年前には牛が荷車を引いていた道そのまま。

田圃の畦道は軽四トラックが何とか走れるように広げられ・・・・田圃の縁には覆い懸け民家。

桜の頃には何とも言えない長閑さを醸し出して呉れる景観が広がって居る。

撮影2013.4.5


奈良県生駒市 鹿畑町

2013年12月04日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

国道163号線、奈良県生駒市の最東端、京都府と境を接する大規模開発の京阪奈学研都市の狭間に有る旧い集落。

周りはすっかり学研都市の開発が進み、この谷筋斜面だけが開発の波から取り残された様に昔日の佇まいを残している。

国道を逸れ、旧道を少し進めばこの景観・・・少し残った棚田を前に大きな長屋門の奥手に大和棟民家。

集落は谷川沿いの斜面に雛壇状に建ち並び・・・・・

豪壮な大和棟や覆い懸け屋が点々と見られるが、茅葺き民家は殆ど姿を消してしまった。

谷筋を上へ上へと詰めると・・・・・・

こいんな素朴な覆い懸け民家も。

この集落は谷間斜面に100軒以上も連なり、尾根筋まで続き、旧い集落の形態を良く伝えている。

学研都市開発で土地成金も多いのか?どの民家も手入れが良く行き届き、真新しい近代的な大和棟民家も数多く見られる。

都市近郊と言う事もあり、奥深い斜面集落でありながら、殆ど廃屋などは見られない。

しかし集落では子供の姿には出逢わなかった。

鹿畑・・・・その昔は鹿が群れ遊ぶ程の奥地だった事だろう・・・・・。

撮影2013.2.22