ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/01/20 シネマ歌舞伎「京鹿子娘二人道成寺」に陶酔

2007-01-21 22:25:13 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)
昨年4月のシネマ歌舞伎第3弾、玉三郎の「鷺娘」と玉三郎&菊之助の「日高川入相花王」という舞踊二本立ては、舞踊をスクリーンで観ることのよさを初体験させてくれた。→その時の感想はこちら
そして第4弾は玉三郎&菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」!伝説の初演はまだ歌舞伎を本格的に観始める前だったのでノーチェックだった。昨年2月の歌舞伎座での上演を観た。→その時の感想はこちら
一度だけしか観ることができなかったのでシネマ歌舞伎になるとわかってからずっと楽しみにしていた(前売りチケットが綺麗なのでわざわざ買ってしまった)。玉三郎舞踊集の中の「京鹿子娘道成寺」を字幕入りで見て予習。珍しく早めに着いて東劇のソファでプログラムに目を通し、みどころもおさえる。
さてさて鑑賞の始まり始まり~。
所化たちの配役の充実ぶりもあらためて確認。門之助、亀蔵が先頭二人で、松也、亀寿と若手が続き、舞づくしは猿弥で口跡よく明るく決まり!竹本のいいお声は若手の愛太夫だったと再確認。囃方もいつもの傳左衛門社中だし!
花道の揚幕から菊花子が登場、スッポンから出た玉花子が後ろから寄り添う。まさに光と影の花子だ。この黒地の豪華な衣装で白い帯を広げて二人が花道で決まると鳥肌が立つ。舞台を観た時の席からでは全身は見えなかったのでシネマ歌舞伎さまさまである。またこの贅をこらした衣装は玉三郎がお揃いで誂えたのだろうなぁと思いながら見てしまう。綿帽子をとめる飾り金具がそれぞれの紋になっていたり、その上の飾りが色違いになっていたりしていて、アップになることでわかることもあってまた溜息が出る。

花子が所化と問答するところは菊花子がつとめたはずなのに映像では玉花子になる場面もあり、映像ならではのマジックに嬉しく翻弄される。まさに二人で一人の花子という演出が強調されている。二人が入れ替わる場面が何回もあるが、ほーっと見とれているとどこで変わったかがよくわからない。そこまでは気にせずに陶酔感に身をまかせながら見ていく。

さらに予習の甲斐もあって竹本や長唄がけっこう聞き取れると、踊りの当て振りがわかるようになるので見ていて楽しくなってくる。
二人で踊ることのバリエーションがいろいろある。同じ振りをしても身長差があることでより影がつく感じで奥行きが出る。左右対照の振りのシンメトリーの美しさ。上下で決まる、鞠つきも菊花子は低く大きく回って玉花子は高く小さく回って連動する。舞台を観た時に菊花子の表情が硬いと思ってそのように感想を書いていたが、これも同じ表情にしないことが効果を上げているのではというコメントをいただいていた。確かに菊花子が能面のような動かない表情、玉花子の額に皺ができるのも厭わずに鐘への恨みをくっきりと見せることでいろいろな対照を感じ取った。単に静と動ということもあるし、緊張感あふれる若女形と余裕を感じさせる立女形の組合せということをあらためて感じた。

菊花子は硬い感じはするがきちんきちんと楷書のような踊り。玉花子の踊りはこれが渡辺先生のご指摘の「常間常間で踊るのではない」「ぬめり感のある」官能性あふれるものなのかなぁと思った。それが菊花子を影のように姉のように包み込む。
玉花子の菊花子に向ける視線の優しさに愛弟子をいとおしげに見るようなものを感じてしまい、思わず涙目になってしまう。何回も涙ぐみ、何回も鳥肌がたち.....。

1時間強の作品だが、花子や所化が登場しない間に花子の踊りのハイライトシーンがはさみこまれたりもする。これぞまさしくシネマ歌舞伎の作り出す世界だ。
家で予習で見たDVDの画面の中の玉三郎は、若いけれど今の方がトータルとして美しい。まさに芸の花が大輪として咲き誇っている。時分の花の菊之助と二人で踊ることでそれぞれの美しさが際立ち、増幅し、ひとつの宇宙を作り出す。観ているものも日常からその宇宙に持っていかれて陶酔感に包まれる。
なんという貴重な1時間強だったことだろう。

写真は公式サイトよりのチラシの画像。
参考:ウィキペディアの「京鹿子娘道成寺」はこちら

さて、実はこの日はブロガーさんお二人と続けてお話する幸運に恵まれた。有難うございますm(_ _)m
まず、大阪から遠征にいらっしゃったスキップさんの歌舞伎座と演舞場のハシゴの合間に初めておめもじしてのお茶会。ブロガーさんとは初めてでも本当に話がはずんでしまう。これもインターネットの素晴らしい側面だとしみじみ思った。
そして「京鹿子娘二人道成寺」の前の上映回が終わるのをゆっくり待っていたロビーにて、聞き覚えのある声が左の耳に飛び込んできて、そのお顔を思い浮かべて振り向いた途端にそのお顔が目の前にあった。「かつらぎさん!」終わった後にまたおしゃべりの花が咲いたことは言うまでもない。

07/01/19 染五郎と愛之助での「桜姫」の妄想とコクーン歌舞伎

2007-01-20 01:27:52 | 観劇
国立劇場の初春歌舞伎公演に行くついでに『国立劇場開場40周年「記念ポスター展」』を見ようと開演前に本館3階資料展示室に向かう。
展示されていたのは、開場の頃からのいろいろな公演のポスター(歌舞伎・文楽・日本舞踊など)や歌舞伎の復活上演に欠かせない芝居の様子を描いた浮世絵、「車引」の松王丸・梅王丸・桜丸の衣装、文楽の人形等など。
そこで見つけたのがこの写真のポスター。2000年11月公演「桜姫東文章」のものだ。桜姫が染五郎、釣鐘権助が幸四郎のアップ!これほど大きな役者の顔のアップのポスターは他になかった。相当な自信があったのか?!私が持っている歌舞伎のガイドブックに載っているのはこの公演からの写真だったので、「あの公演のポスターか!」と感慨深かった。

そこで妄想が湧いてくる。染五郎と愛之助の共演で面白い舞台が博多座や松竹座などで続いている。今度はこの二人で「桜姫東文章」はどうだろう。桜姫が染五郎、釣鐘権助が愛之助という配役だ。
「染模様恩愛御書」では若衆が愛之助だったが、私は染五郎の方が線が細いのでいいのではないかと思っていた。松竹座に遠征した友人にそういう話をしたら、「あの役だと劇団☆新感線での立ち回りで慣れている染五郎がどうしても立役の方だよ~」と言われてしまった。う、そうかもしれない。さらにこの二人だと、どうしても主役を染五郎にしないといけないというのが今のバランスだろうとも思う。

しかしながら「桜姫東文章」ならば、主役を染五郎にしながら愛之助を立役にできるのではないか~!!!釣鐘権助が愛之助ならば、仁左衛門の直伝でやってもらえばいいのだ~!!これはいけるぞ~、東京だったら演舞場でドーンとやってもらいたいぞ~。

このポスターを見たらついついそんなことを思いつき、その姿を妄想してはニヤニヤしながら、気をとりなおして菊五郎劇団の芝居に向かったのだった。
ごめんね、菊ちゃん。先々はぜひぜひ「桜姫」やってね~。
(参考までにコクーン歌舞伎「桜姫」の感想はこちら)

追記
次のコクーン歌舞伎は「三人吉三」の再演になったようだ。浅草に速報チラシがあったとのこと。お正月に「勘九郎箱」のDVDを観た感想をアップした時に再演の希望も書いたが、すぐに本当になってしまった。確か「四谷怪談」を北番中心に再演し、それをNYに持っていくという話だったはずだが、まぁいろいろと考えてのことだろう。私は「三人吉三」の再演の方が嬉しいので有難い限りだ。

06/12/25 十二月大歌舞伎夜の部②菊五郎の「出刃打お玉」

2007-01-19 01:02:51 | 観劇
2.『江戸女草紙 出刃打お玉(でばうちおたま)』
まずは幕開き前のイヤホンガイドでこの作品を書いた池波正太郎という人についての解説に聞き入ってしまった。働きながら彼を育てた母が歌舞伎好き。一緒に観にいくための切符は彼が学校を休んで歌舞伎座に並んだ。奉公に出ても主人の切符をとりにいっていい席をとると褒められ、2回に1回はお前の切符も買っていいよと言われるほどだった。早くにお金をためた彼は勤めながらも絵を習いに行ったりもしていて、戯曲を書くようになってからも大道具などの絵を描いてそこで芝居を発想するという書き方をした。応募した戯曲は最初から選に入り、新国劇で上演。ずっと新国劇に書いていたが、菊五郎の父・梅幸の要請で初めて書いた歌舞伎がこの作品だという。
彼は奉公に行っている時に通い始めた吉原で最初に敵娼になった女性のところに出征するまで通い続けたという。その中で得たものがこの作品には生かされているのだ。納得の芝居だった。

あらすじは以下の通り。
親を知らないお玉(菊五郎)は、曲芸の一座に育ち出刃包丁を投げる「出刃打ち」で評判をとった女。初めての男、どんでんの新助(友右衛門)に売り飛ばされ、今は谷中の岡場所で客をとっている。寺が多いために坊主が隠れて遊びにくることもしばしば。今日も広円和尚(田之助)を相手にしていると新助が新たに借金をしにのりこんでくる。見かねた和尚が金を用立ててくれるが、その金を気違い水に使うと病気によくないとさとすお玉。
そしてお玉を買いたいと笊売りが裏庭に姿を現し、有り金全てを投げ出す。その男は増田正蔵という敵もちの侍(梅玉)。そしてその敵も見つかって敵討ちを明日に控え、最後に女を知りたい、どうせ剣術は下手なので返り討ちにあうからという。枕をともにした正蔵が自分に弱い姿をさらけだすのにほだされたお玉。
翌日、正蔵は敵の森藤十郎(團蔵)に打ちかかるが返り討ちにされそうになる。そこにお玉が藤十郎の目に出刃を打ち、正蔵は本懐をとげる。女の手助けが知れたら正蔵のためにならないとお玉は姿を消してしまう。
28年後、朋輩だったおろく(時蔵)の営む出合い茶屋でお玉は下働きをしていた。そこに出世した正蔵がおぼこ娘を買いにやってきた。さらに昔の敵討ちでの自分の勇猛さを自慢する姿を見てしまう。それも怒らずに再会を果たして懐かしむお玉。ところが正蔵はお前などは知らないと言い、あげくは「乞食婆」と罵った。
その残り酒を煽るお玉は怒りを募らせ、帰り道の正蔵の目に出刃を打って命中させる。正蔵は配下が犯人を捕らえようとするのを「身から出た錆だ」と捨て置かせる。鬱憤が晴れたお玉だが、自分がなぜ捕まらなかったかを考えるうちに、正蔵の心が見えてきて眉を開いたところで幕。

写真はイヤホンガイドの「耳で観る歌舞伎」の表紙の菊五郎のお玉。12年前の初役の時のものだろう。わ、若い。 さすがに今回の菊五郎は一回り年増になって一回りふっくらしている。それなのに田之助の広円和尚が「お玉のここが好きだ」とお尻を撫で回すという人間国宝ふたりがからんだ芝居があると、お玉がとっても魅力的に見えてきてしまうから不思議だ。この生臭坊主もとても可愛くてたまらない(いつもの重厚さはどこへやら)。
正蔵も「肉づきのいい女が好きなんだ」と言うし、お玉は本当にいい女なんだという暗示が観ている私にもさらにきいてくる。投げ出された財布から小判を数えだし、「一枚二枚三枚、シンジラレナ~イ」と日本ハムの監督の流行語を繰り出して笑いをとる。菊五郎のお遊びが生かされているがこのネタはとっても自然にハマっていて好感度アップ。うまい!

しっぽりの後の場面の情の濃さもたっぷり。出刃打ちでの助太刀もその後の身の引き方も粋だし、これはもう菊五郎の女方での当たり役になると思った。後半の老けた姿の拵えはもう気合が入りすぎ迫力がありすぎでおかしくて仕方がない。時蔵のおろくの老け姿もすごかったし、二人の女方としての気合合戦?!も感じてしまった。
しかし、もうひとつ特筆すべきは梅玉の増田正蔵。前半の初心な若者も本当に可愛くてよかったが、出世して身も心も品格を失ってしまった男の姿をしっかりと造詣していた。そのいずれにも一生懸命さが感じられたところに好感をもった。あの在原業平の似合う梅玉と全く違っていて、とても新鮮に感じた。(梅玉という人も六世歌右衛門の妻の兄の子どもだったというだけで養子になったらしい。そういう運命の中で一生懸命役者になってきたんだろうなぁということを思うと、この一生懸命な舞台はいつもなんだか応援したくなるのである。)

この前の演目で二枚目の義峯公だった友右衛門が女を騙す遊び人!しかしお玉がひどいことをされても怨めない男にはちゃんと見えた。敵役の團蔵はやっといつもの役柄でここに!という感じ。こういうニヒルな敵役ってどうしてカッコよく見えるのだろう。まぁどの役も見せ場がちゃんとあって、いろいろな役者が生かせるようになっているのは楽しいものだ。
松也は正蔵に弄ばれるおぼこ娘のおふさ役。硬い感じもぴったりで綺麗なお顔が屈辱に耐えて出てくる姿はまことに哀れ。それでもそれはそれでさらっと描くところが池波風の感じがした。どんなことがあってもたくましく生きていくことが人生なのかなぁ。

関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
12/10昼の部①「嫗山姥」
12/10昼の部②「将門」
12/10昼の部③「芝浜革財布」「勢獅子」
12/25夜の部①「神霊矢口渡」
12/25夜の部③海老蔵初役の「紅葉狩」

さて、明日は国立劇場で菊五郎劇団を観にいく。長時間らしいので頑張らなくては~。

06/12/25 十二月大歌舞伎夜の部①「神霊矢口渡」

2007-01-18 01:47:38 | 観劇
とっくに松もとれた頃だというのに、写真は門松が準備されたばかりの昨年末25日の夜の歌舞伎座正面入り口。照明に照らされて不思議な色に撮れた。十二月大歌舞伎夜の部の思い出し記の開始。
1.『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』
平賀源内が福内鬼外の筆名で書いた浄瑠璃「神霊矢口渡」。菊之助のお舟は初役で皆さんの評判もいい。私は全く初見だが期待いっぱいで観にいく。今回の配役は以下の通り。
お舟=菊之助 渡し守頓兵衛=富十郎 
新田義峯=友右衛門 うてな=松也
六蔵=團蔵
あらすじは以下の通り。
六郷川の矢口の渡し守の頓兵衛の家。足利と新田の争いに破れた新田義峯が一夜の宿を申し入れる。頓兵衛のお舟は宿ではないからと断るが、義峯をひと目見ると態度を急変。ひと目惚れしてしまったのだ。義峯が傾城姿に身をやつさせた妻のうてなを伴っているのを見つけると誰かと問いただす。そして妹と聞くと安心して迫っていく。恋に積極的なのは歌舞伎に登場する娘の常だ。
頓兵衛という男は、褒美の金欲しさに義峯の兄・義興もこの川で溺死するように仕向けた強欲者。手下の六蔵はお舟に惚れていて、男を匿っているのを知ると殺そうとする。お舟は自分の男ではなく新田の落人と言い、お前の望み通り嫁になってやると言いくるめて時間を稼ぐ。六蔵からの知らせで戻ってきた頓兵衛は、床下から義峯を狙って刀を突き刺す。
その刀に手応えを感じた頓兵衛は、そこに義峯ではなく苦しむ娘の姿を見つける。お舟は先に船で彼らを逃がし、身替わりとなっていた。父をなじる娘を相手にもmせず頓兵衛は義峯を狙って船を出す。その追っ手から義峯を守るため、瀕死のお舟は櫓の太鼓を打とうとする。邪魔をする六蔵を立ち回りの末に殺し、力を振り絞って太鼓を打つ。その音の中、川の船の上では義興の霊によって頓兵衛が射抜かれて断末魔の叫びを上げていた。幕。

『義経千本桜』の「すし屋」や「櫓のお七」などの趣向も採り入れられたなかなか面白い作品で平賀源内の多才ぶりに驚いた。エレキテルで有名な科学者のイメージしか持っていなかったのだ。しかもこの間読んだ田中優子著『江戸の恋-「粋」「艶気」に生きる』で波乱に満ちた生涯だったこともわかってとても魅力的な人物だったこともわかった。

菊之助はまさにハマり役だと思った。このお舟という情熱的な若い娘をやるのにふさわしい時分の花が大輪と花開いている今やるのが時宜にかなっていると思った。うぶな娘が一目ぼれの情熱のまま十代の恋に殉じるお舟!しばらく封印したいくらいだ。

そのお舟が惚れる義峯が友右衛門というのはどうにもおじさんすぎる。国立劇場に二枚目をかなり持っていかれているので仕方がないのか。でもお声が十分気品に満ちて優しく魅力的だったのでまあいいだろう。
富十郎の頓兵衛は36年ぶりだというが、こういう悪人の役は初めて見たが強欲ぶりがあまりにも素晴らしい。そして今月、予想しなかったほどいろいろな役で活躍の
團蔵の三枚目も堪能。幅の広さに感心。うてなの松也も恋敵にふさわしく綺麗だった。

追記
「櫓のお七」の趣向と書いたが、イヤホンガイドでこちらの作品が先だったという解説があったような記憶が.....。筋書を見ても書いていないが、追記しておく。
関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
12/10昼の部①「嫗山姥」
12/10昼の部②「将門」
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07/01/17 阪神淡路大震災から12年.....

2007-01-17 23:59:22 | つれづれなるままに

雨がやんだ遅番の昼休み、四ツ谷駅前に人が大勢行列をつくっている。見ると緑色の幟には「帰宅難民にならないための訓練」のようなことが書いてあった。そして何人もの手に細長い地図が持たれていた。私も持っている「帰宅支援マップ」だ。
今日は阪神淡路大震災の日だった。だからこんな訓練をやっているんだと合点。この出版社は企業名を入れてオリジナル版をつくる商売もやっているから職場単位のこういう訓練でも持たされているのだろう。
ランチの後、職場に戻ってヤフーのニュースを見てちょうど12年たったんだと改めて確認。帰宅後のTVも特集番組が続く。6434人が犠牲になった阪神大震災。多くの方の命と家や職場が倒壊して暮らしが破壊された。当時は自民党政権ではなかったけれど、結局のところ私有財産は公的に保障すべきでないという決断が下されてわずかばかりの見舞金支給となった。いまだに空き地のままになっている土地が12000箇所もあるという。これが資本主義国である日本の現実。ヨーロッパでは質もよくリーズナブな賃貸住宅が多いのに、アメリカでは持ち家政策。「欧米」と一緒にくくってはいけないのだ。アメリカ型社会をめざしている?日本も極端な持ち家政策。私だって本当はマンションなんて買わずにすめば買いたくなかった。この家が地震で壊れたらどうしたらいいのだろう(そうだ、地震保険も検討しなくてはいけないのだった)。公的責任で「安心して暮らせる国」にしてもらいたいものだ。

怒ってばかりいても始まらない。仕事中に震災にあった時のための準備はある程度している。
①非常食の確保。机の周りやロッカーなどに保管。水は生協の職場班でミネラルウォーターを箱買いしている。ふだん飲む水と兼ねているので回転させている。それと氷砂糖の入った乾パンの丸い缶。あとお菓子類は常に何かある状態(笑)
②冬に必須の使い捨てカイロ。
③「帰宅支援マップ」は職場の机の中においてある。
実は今年度も職場から自宅に帰る練習になる内容の企画があった。労使共催で健保組合が協賛するレクレーション企画というのが毎年あるのだが、それを普通のウォーキング企画から変更しての開催だった。そのまとめ文書を職員向けの電子掲示板で先日読んだがどうも参加者が少ないとのこと。かくいう私もパスしたし(^^ゞ
結局は本番まで練習なんてしないだろう私。本番がこないことを祈っている。

写真は私が持っている昭文社の「震災時帰宅支援マップ 埼玉・城北方面―歩いて帰る」の表紙。
昭文社の帰宅支援マップシリーズの詳細はこちら

07/01/14 渡辺保氏の放送大学公開講演会を聴講

2007-01-16 23:58:49 | 観劇

またもやyukari57さんからお知らせいただいて演劇評論家・渡辺保氏の講演会に行ってきた。今回は放送大学の公開講演会ということで参加費無料。通常なら3回乗換えですむところ京浜東北線で工事が入っていてぐるっと大回りで4回乗換えて一橋大学小平国際キャンパスまで。頑張って遠出した甲斐のあるお話だった。
昨年11/18の講演会「襲名と新しい歌舞伎」聴講メモはこちら
今回のお題は「歌舞伎の魅力とは何か 5つのポイント」。レジュメなしだったので見出しなどは私の独断だ。
1.衣装の素晴らしさ
①カラフルな舞台の魅力の一番重要なものは衣装(江戸時代は大道具などは今に比べれば粗末なものだった)。原色の色使いの大胆さ。
例●菊之助の「船弁慶」の衣装は玉三郎が贈った物。3年がかりでつくらせたもの。今の能衣装は昔の色を出すが難しい。●吉右衛門の「俊寛」の錦を継ぎ接ぎした衣装。パーツは豪華で全体はボロに見せる。●「知盛」後半の大口袴。白地に平家の紋。それが血に染まる。見事に戦のイメージが広がる。
②何重にも意味がある模様や紋。
●舞踊「かさね」の肌脱ぎの襦袢の紅葉。血に見える。紅葉の名所高尾はかさねの姉の太夫名。その姉の運命と同じ運命をたどる妹。●桜丸の切腹前に白の襦袢(裸になることをあらわす)になる前に赤の襦袢を見せるのが性根。他
2.音楽
下座音楽が大事。それでどんな場面かわかる。ミュージカルのオーバーチュアにあたる。静かに聞いてほしい。効果音とともに約束事を観客にうえつける。そういうルールが出来上がっているところが文化。また同じ場面でも人によって違う音楽を使う場合もある(例:「寺子屋」の芹生の里で恋の仮名文の方を使う場合は習字→恋文までというイメージが広がる)
3.舞台空間
①花道は舞台とは違うもう一つの場所。過去のこと別の場所のことをしゃべる時は必ず「向こう」を見る=「思い入れ」。舞台をはさんで「奥」(ブラックホールのよう)もあるという空間構成となっている。
②舞台装置も定型のもの。構造は同じで変えるのは少しだけ。例:「すし屋」も「渡海屋」も同じ構造。
4.「型」
静止したポーズを演出することが「型」。役者が工夫してその人の型となる。同じ場面でも違う型が伝承されていてそれぞれの美しさがある。「型」は人から人へ伝承するときのテキストになる。「型」があったからこそ女方も歌舞伎に残った。記号としてシンボルとして理解させる。
5.実は~
歌舞伎は荒唐無稽だと言われるが、わざとそういう設定にしている。「実は~」というのは芝居の「引抜き」のようなもの。
例●花川戸助六、実は曽我五郎。江戸時代から鎌倉時代へのタイムスリップの面白さ。曽我五郎は敵討を果たしてすぐに死ぬ。男の中の男の無残な一生を助六に重ねている。男という属性の抽象化。
★近松門左衛門の「虚実皮膜」
芸というものは「虚実皮膜」の間にあると語っている。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず。AでもなければBでもない。リアルではないがそう見えるようにする「働き」が大事。
例●「かさね」の襦袢の紅葉。紅葉であり血潮でもあり女の怨みでもある。
★「つかずはなれず」「ぬめりという感覚」
踊りも地方の音楽にベッタリついたら面白くない。定間定間で踊るのではダメで1・2・3の3で合わせるくらいのつかずはなれずで踊るのが良い。
「ぬめり」という感覚が歌舞伎では大事。植物のぬめりも余計なものだがそれがあると味わいが出る。この浮ついた艶かしい感じが歌舞伎の官能性。官能性があるということが出雲の阿国から伝わっている歌舞伎の本質。「ぬめり」という光彩をとったら歌舞伎ではなくなってしまう。
以上、ぴかちゅう文責によるメモ。5つのポイントといいながら、いつのまにか7つくらいになっている(^^ゞ
あと、日本の伝統芸能においては拍手とかをする習慣は元々なかったのに拍手が増えた。納得のいく拍手だけでなく意味のない拍手もある。意味のないところでの拍手はやめてほしいというようなお話もあった。

前回保留にした質問は今回のお話だとあまり関連性がないので自粛。またの機会ということにした。そして前回の講演会のような問題提起的なお話はあまりなかったが、観客へのご指摘は上記のようにあった。しかしながらそうは言っても歌舞伎以外の演劇を観る延長線上で歌舞伎を観にくれば、そうなってしまうことも多々あるだろうなとも思う。歌舞伎がブームになっていて気軽に観にきてくれる観客が増えていることはいいことだと思う。見巧者の方たちはそういう新しい客層への違和感を持たれることも多いと思うのだが、これはなかなかに難しい問題ではないか。まずは自分の勉強優先とすることにしよう。

追記
今月歌舞伎座の3本をおすすめされていたのを追記。吉右衛門の「俊寛」、玉三郎の「金閣寺」、勘三郎の「鏡獅子」。現代歌舞伎の高度な水準の舞台ということだった。夜の部はこれからなので楽しみが増した。
写真は会場の一橋学園キャンパス。

終了後、駅前のマクドナルドで5人でオフ会。楽しかった。そして私はその後ラピュタ阿佐ヶ谷へ映画「曽根崎心中」を観に行くという欲張りな一日を過ごしたのだった。

07/01/15 本日7万アクセスの御礼m(_ _)m

2007-01-15 21:53:17 | つれづれなるままに

帰宅したら7万アクセスを突破していました(6万アクセス到達が昨年11/20)。読んでいただいている皆様に御礼申し上げますm(_ _)m

年末年始から記事アップを連日頑張ってしまった。いささかテンション上げすぎの感がある。いろいろ考えて書き始めると結局は長々と書いてしまっているのだ。これでも途中で文章を短くしたりしているのだが.....(^^ゞ
昔から文章を書くのはけっこう好きだったなぁ。ところが一昨年休職して手で字を書くことを半年くらいしない日々を過ごしたら、メモをとるのもおっくうになっていた。それでもしばらくは手で字を書く必要のなかった。昨年4月からの仕事はどうしてもポストイットに手書きしては貼り込み、リスト入力するという繰り返し作業が約1年続いた。リハビリ効果はバッチリ!昨日の渡辺保氏の講演会でもノートに3ページも書き込んでしまった。うー、学生時代より真面目だ~。

といいつつ、ブログアップはお時間をいただきたい。ちょっと目にきている。目が悪くなってる~。老眼も入ってきたなぁ。

写真は中公文庫『わちふぃーるど物語(2)ダヤンとジタン』の表紙。阿佐ヶ谷の「ふるほんや」で昨日GETした2冊目はこれ。
実は私はダヤンが好き。あまりキャラクターに「可愛~い」と反応しない方なのだが、まずはポケモンの「ピカチュー」に、次にこのダヤンにやられてしまった。この写真だと手前の方だ。この上がりきった目が好きなのだ。娘は可愛くないと言うけれど(^^ゞ
このシリーズのグッズは私にはちょっとお高いのだが、Tシャツはエイっと思い切って何枚か買って着ている。夏に皆様と初めてお会いする場合の目印になるかもしれない。

07/01/14 梶芽衣子の主演映画『曽根崎心中』

2007-01-14 23:55:45 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)
1/14は午後2時からの渡辺保氏の公開講演会で放送大学一橋学園キャンパスへ(またゆっくりご報告予定)。終了後参加したブロガーさん5人でミニミニオフ会(初めてお会いしたお二人さま、これからもよろしくお願いしま~す)。

その後ラピュタ阿佐ヶ谷へと回る。お若いマイミクのみらのさんが紹介されていた名画座情報「蔵出し 銀幕大歌舞伎」の記事の中で見つけた『曽根崎心中』を午後7時から観るためだ。これまで観た「曽根崎心中」は歌舞伎で1回(感想はこちら)、文楽で1回(感想はこちら)。今回の映画は約30年前にダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童が映画主演と話題になった作品。それよりも私は杉良太郎主演の「大江戸操作網」の芸者・小波以来の梶芽衣子ファンで、そちらが気になりながらも見送っていた。
一昨年、宇崎竜童がロックで文楽「曽根崎心中」をやるというのをTVで見たことが文楽に興味を持ったきっかけだった。今度機会があればと思っていたところだったので本日決行!帰宅後にアマゾンで調べるとDVDもビデオも見つからない。うーん、やっぱり観にいってよかった!!

1978年(S53)/カラー112分
行動社、木村プロダクション、日本アート・シアター・ギルド
監督・脚本:増村保造/脚本:白坂依志夫/撮影:小林節雄/音楽:宇崎竜童
主な配役は以下の通り。
天満屋お初=梶芽衣子
平野屋徳兵衛=宇崎竜童
徳兵衛の継母=左幸子
油屋九平次=橋本功
平野屋久右衛門=井川比佐志
ダウンタウンブギウギバンド演奏のBGMが流れる中でカラーの大画面でお馴染みの「曽根崎心中」の物語。冒頭と最後に出てくる江戸時代の墓標が並ぶ場面は化野あたりで撮影したのだろうか。いきなり道行きの場面から始まり、物語の冒頭に戻っていく。物語の進行する中で何回か道行きの場面になるというような組み立て方だったが違和感はない。
宇崎竜童はけっこう二枚目。一本調子な台詞と終始苦悩の表情というのが本業ではないという余裕のなさを感じたが、それはまた生真面目な醤油屋の手代という雰囲気としては特に気にならなかった。梶芽衣子が芯が強いお初を大熱演していてひきつけられる。遊女なのにお客をとらなくなるまで一人の男を深く愛してしまい、愛を貫くためには早くから死を決意しているような女の熱情が画面いっぱいに広がる。宇崎竜童はそれに合わせていけばいいくらいの感じだ。
脇役がお馴染みのベテラン俳優で固められていた。歌舞伎や文楽では省かれていた徳兵衛が継母から銀二貫目を取り戻す場面の継母・左幸子の演技にも唸らされた。
そして九平次の橋本功がすごくよかった。お金を借りるまでの友人ぶった様子から手を翻したように借金のしらを切り徳兵衛をいたぶる姿。天満屋に乗り込んできてお初に横恋慕したのがかなわない意趣返しだったことを言い当てられた時の逆上ぶり、最後に偽証文をつくったことがばれて久右衛門に制裁を受けても血だらけで開き直る大笑い.....。この下品さがとってもいい。それによって二人の誇り高さがより際立つのだ。
この九平次を涙ながらに言いこめる時の梶芽衣子の表情の迫力もこれ以上のものはなかった。彼女のこの大きなキツイ目が好きなのだが、攻撃性を帯びた時の迫力もすごいし、愛情をあふれさせて相手を見つめるところもつかんではなしてくれない。

久右衛門が二人を夫婦にさせようと決意した時には既に二人は死を目前にしていた。心優しい(=気が弱いところに通じる)徳兵衛は心が揺らぐこともしばし。そこをお初が「立派に二人で死んで恋の見本になろう」と誓い合ったことを思い出させ、地獄に落ちる心配には自分が大阪三十三箇所をめぐっているから大丈夫と励ましながら、「早く殺して」の場面になる。二人は2本の木の幹に身体を縛り付けて向かい合う。徳兵衛は刀を持つ手が震えて何ヶ所も刺すのだがお初の白い襦袢を赤く染めるばかりでいずれも致命傷にならず。「早く私を楽にして」の言葉にようやく喉をえぐる。えぐられながら「嬉しい」と涙を流してお初が落命。お初の持ってきた剃刀で徳兵衛は自らも喉をえぐって落命(なんで刀を使わないかとちょっと思ったが)。血染めのふたりが額をふれあわせた形の死に姿は覚悟の深さ愛の深さを見つけた人々の心に刻むだろうと思わせた。
しっかりと泣かされていた私。この映画はお初役の梶芽衣子のものだなと思ったら、エンドロールの冒頭に出ていた。納得。

映画では他に吉右衛門・岩下志麻版もあるようなので、また蔵出し企画で見つけたら是非観たいと思っている。
写真はラピュタ阿佐ヶ谷の公式サイトより。

始まる前にまだ時間があったので南口の駅前にある「ふるほんや」をのぞき、杉浦日向子著『江戸へようこそ』(ちくま文庫)をGETできたのも嬉しい。
お詫び
前の記事で「次はNODAMAP「ロープ」の感想を書く予定」と書いたが難産中。もう少々お待ちくださいm(_ _)m

07/01/04 初観劇は劇団四季「鹿鳴館」

2007-01-13 02:10:38 | 観劇

三島由紀夫の「鹿鳴館」は平幹二朗・佐久間良子の元夫婦とその息子による舞台の初演の時から興味を持ってきたが、見送り。再演時も見送り。そして昨年の劇団四季による初上演もロングランだったが見送り。チラシに書いてあるあらすじを読んでここまで気にしながらずっと見送っているというのはなぜか。三島由紀夫という人間が好きではないからだ。
彼の脚本でこれまで観た舞台は2本。2003年の美輪明宏主演の「黒蜥蜴」と2005年の歌舞伎「鰯売恋曳網」だ。前者はかなり三島美学というものを感じ取れた。後者はこれが三島?と思うほど気取りがなく、他愛のなさが楽しかった。(追記:2005年6月の『近代能楽集』を忘れていたm(_ _)m「卒塔婆小町」「弱法師」)
四季の「鹿鳴館」は東京、名古屋、京都と巡演し、東京での凱旋公演となった。ロングラン中のミュージカルは一通り観てしまって繰り返し観たいと思わなくなっているし、四季の会は12月末の期限が来たら退会手続きをしようと思っていた。チケットがとれたら「鹿鳴館」を会員としてみる最後の舞台にしようと思っていて、年明けの観劇予定が入っていなかったので電話を入れたらとれてしまった。一番端の席なので8列目だったので5000円。S席しか割引がないのが会員メリットがないと思うことのひとつでもあるが最後だからよしとしよう。

自由劇場はこれまで2回来た。最初が2004年10/28に日下武史シャイロックを観に来た「ヴェニスの商人」。同年12月の「コーラスライン」では「秋」での上演の時と比べて小さい空間でのミュージカルの贅沢な濃密さを味わうことができた。(感想はこちら)そして3回目の今回は.....。
あらすじは劇団四季のサイトの「鹿鳴館」のステージガイドをお目通しいただきたい。→こちら
明治19年11月3日の天長節の日、前半は影山伯爵邸の離れにある茶室の前庭で、後半は鹿鳴館の中で台詞劇は展開する。洋装でしゃべっている華族のお客様のところへ伯爵夫人朝子が着物姿で褄をとりながら歩いてくる。野村玲子は舞台では初の着物姿だというが、これがまた似合うと思えない。とても新橋の売れっ子芸者だった女に見えないのだ。野村は目が大きく美しいのだがバタくさく感じてしまう。褄をとってのしぐさなどに粋さのかけらも感じられず、ここでまず引いてしまった。

台詞劇としては劇団四季の誇る朗誦術がいかんなく発揮されて、しっかりと聞き取れる。それが三島の文体の様式性をより際立たせているのだが、日本語の話言葉としてはとても不自然。四季で観たシェイクスピアのような翻訳劇のような感じを持った。外国作品であれば日本語らしくない文体であっても翻訳文なのだから仕方がないと思って聞くだろう。それなのにお話が日本なので違和感が強い。わざとそういうねらいで書かれた脚本なのだと思うが、インテリくささが鼻について仕方がない。そう、インテリっぽい美学をひけらかされている様な気がして仕方がない。
主人公の人物像にも共感できない。売れっ子芸者が思い合う男の子を生んだが、その子の幸せのために正妻の元で育ててもらう。自分は影山伯爵に多分身請けをしてもらって妻となっているのだが、本当に愛したその男に二度と会わないよう心の中で思い続けていけるよう、社交の場に出ないことを信条としていたのだ。その信条を愛する男と息子のために破ることを宣言する。このような朝子を誇り高い人間だとは思えない。自己満足にすぎるし、高らかに宣言していることを愚かしく思ってしまう。主人公に全く共感できないというのもつらいものだ。
その男清原を今回の凱旋公演の配役は石丸幹二だった。「異国の丘」で観て以来だがずいぶんとおじさん役が似合うようになっていた。さすがに石丸と野村という看板ふたりが並ぶと、過去に愛し合い今も気持ちが通じ合う男女の空気が漂うのは嬉しかった。
そして日下武史が登場するとだんだんと影山伯爵の屈折した朝子への想いが舞台に充満していく。政敵へ仕掛けた罠を妻がはずそうとしていることに気づき、その男が妻の愛する男だということを知り、計算高い理性をはずれて嫉妬の心が膨らんでいく。そのどす黒いパワーの増殖を日下武史がたたみかける台詞で描いていく。その重苦しさといったらない。まるで私は蛇ににらまれた蛙のように動けなくされていく。最後の銃声によってそれが緩められるまでの緊縛感.....。

舞台装置は後半の鹿鳴館の内部がよかった。曲がって奥についている階段の上の壁の部分に人々の舞踏の影が影絵のように大きくなったり小さくなったりしていたのが印象深かった。自戒を解いて鹿鳴館の夜会のホステスをかってでた朝子のローブデコルテ姿は野村玲子にとても似合った。やはり洋装の方がいい。観ていても少し落ち着ける。森英恵の衣装も美しくて見ごたえがあったし。
夫の仕掛けた罠に落ちてまず息子が死に、朝子は毅然と離婚して清原のもとへ行くことを宣言する。夫は最後の箍をはずし刺客を放つのだ。内親王殿下たちの来館で鹿鳴館の夜会のクライマックスに仮面夫婦としてのぞむふたりに銃声がかぶる。現実を知ることを避けたまま、朝子は最後のつとめに向かうところで幕。

クラい、暗すぎる~。自己満足にすぎるぞ三島由紀夫。自分の美学をわかる人だけわかればいいっていう描き方が気に入らないぞ。
彼の最後はいかにも身勝手に自分の思想と美学だけを通しての自殺。そのイメージも重なってしまう。今回のプログラムの中に佐々淳行氏が書いた文章で彼の最後を読んだが、やっぱり嫌いなタイプの人間だと思った。

あまりに気分が滅入ってしまって駅に向かう途中で友人に電話。出かける用意の最中と言う彼女と噛みあわない短い会話をした。それでも人の声が聞けてよかった。そうでないとグルグルといつまでも嫌な気分に囚われたままになってしまうから。

かなり否定的なことばかり書いてしまったが、私と相性が合わなかっただけだろう。心中物以外の、それも片方が死ぬ悲恋物とかマイナスの情念が舞台を支配する作品が最近ダメである。「アンナ・カレーニナ」も然り「タンゴ・冬の終わりに」も然り。私の方までマイナスの情念に振り回されてしまい、遠くから見守れないのだ。

劇団四季の総力を挙げただけのことはあって、舞台の完成度はかなり高い。一見の価値は十分にあった。平幹二朗・佐久間良子でまた再演があったらそちらで一度は観てしまうかもしれない。佐久間良子の方が着物が似合うだろうし、四季の朗誦術をはずしたところで観て、今回との比較をしてみたいと思った。

写真はスタンプラリーカードにあったものを携帯のカメラで接写。

07/01/08 「石山寺と紫式部展」と銀座不二家お茶会

2007-01-12 00:34:40 | 美術・本

歌舞伎座の寿初春大歌舞伎昼の部を観た後、銀座松坂屋で開催されていた「石山寺と紫式部展」へ。歌舞伎会から会報と一緒に招待券が2枚送られてきていたのでお茶屋娘さんと二人で行った。1/8が最終日だったので閉場時間が午後5時と早いのでお茶会は後回し。
石山寺で紫式部が源氏物語を書いたという話はちらっとは知っていた。昨年12月の日生劇場『紫式部ものがたり』を観たところなので実にタイムリー。その公演のスチール写真には江戸時代の土佐光起の筆による「紫式部図」を踏まえて作られていた。その絵は今回の展覧会のチラシにも使われている(写真はチラシのその部分とチケットを組み合わせて撮影)。
『紫式部ものがたり』の感想はこちら
石山寺は聖武天皇が良弁僧正につくらせた歴史のある寺(東大寺よりも前)で、多くの信仰を集めた。紫式部は彰子から新しい物語を書くように命じられ、石山寺に参籠。ある夜、琵琶湖の湖面に映る満月を見て構想が湧き上がったのだという。そのため「紫式部石山寺観月図」というものが日本画の画題のひとつになり、多くの画家たちによる絵が残されているのだ。
良弁僧正といえば、11月に観た仁左衛門の良弁が思い出されてぐっと身近に感じる。
『良弁杉由来』の感想はこちら
日本史専攻のお茶屋娘さんのレクチャーもいただきながら観て回る。狭い会場なのに石山寺と紫式部が描かれた掛け軸や絵巻物や屏風の絵から蒔絵箱のような工芸品まで70点の展示があって見ごたえたっぷりだった。土佐光芳と光成の全く同じ構図の六曲一双の屏風もあり、祖父と孫の競作も楽しめた。構図は同じでもタッチが違うところが個性だ。
日本画の大きな流れである土佐派は室町初期から、狩野派は室町中期から活躍。場所の違いから得意な絵もそれぞれに違うというようなことも理解。勉強になった。
私は抽象絵画は苦手。こういう具象的な絵の方が楽しめる。「石山寺縁起絵巻」はその写本の展示があり、その中に出てくる庶民たちの表情が実に豊かだったのも親しみがわいた。時代を経ても人間の喜怒哀楽は同じようにあるのだ。紫式部が奉納した写経も展示されていて、しっかりとした楷書の文字に感じ入った。

さすがに祝日だけあって人は多かった。私と同様に歌舞伎座帰りの人も多い感じ。終了時間が30分延長になり、じっくりと観て満足した。出口にはしっかりと関連商品販売コーナーがあり、石山寺グッズもいろいろあるのに感心。大阪に住んでいた頃に一度行っておけばよかったと今更ながら後の祭り。

その後にお茶会。久しぶりに銀座不二家の2階へ。以前4人でミニミニオフ会をした時以来だ。その時よりも店内が綺麗になっていて改装していい感じになっていた。モンブランホットケーキも美味しかったし。そこで音羽屋父子による「勧進帳」待望論などをぶち上げていたのだった。
ところが、ウン?不二家で問題発覚のニュース。埼玉工場で賞味期限切れの材料を使って洋菓子を製造。昨年11月に社内で発覚しても雪印の二の舞になることを恐れて公表してこなかったのだという。品質管理の徹底を確認できるまで全国の不二家チェーン店での洋菓子販売を休止するという。TVにはシャッターの閉まった銀座不二家も映し出されていた。
オイオイ、このブログでも書いたけれどクリスマスケーキも不二家のだったぞ。別に私はなんともないからいいけれど、不二家の信用はガタ落ちだ。コンプライアンス経営とかが喧伝されるようになってだいぶ経つが、こういうおそまつなレベルの企業経営があちこちでまかり通っていると思う。今回だって氷山の一角だろう。今回もどうして今頃発表されたのかな。マスコミに情報がもれそうになってあわてての発表だったのだろうか。
洋菓子部門の赤字が続いていたというが、老舗の名に胡坐をかいていた経営姿勢を抜本的にあらためなければダメだろう。気の毒なのは多くの社員と販売チェーンの人たちだ。
私は別にしつこくこだわらない方だけれど、せめてきちんとした対応だけは見届けてから買うことにしよう。