昨年4月のシネマ歌舞伎第3弾、玉三郎の「鷺娘」と玉三郎&菊之助の「日高川入相花王」という舞踊二本立ては、舞踊をスクリーンで観ることのよさを初体験させてくれた。→その時の感想はこちら
そして第4弾は玉三郎&菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」!伝説の初演はまだ歌舞伎を本格的に観始める前だったのでノーチェックだった。昨年2月の歌舞伎座での上演を観た。→その時の感想はこちら
一度だけしか観ることができなかったのでシネマ歌舞伎になるとわかってからずっと楽しみにしていた(前売りチケットが綺麗なのでわざわざ買ってしまった)。玉三郎舞踊集の中の「京鹿子娘道成寺」を字幕入りで見て予習。珍しく早めに着いて東劇のソファでプログラムに目を通し、みどころもおさえる。
さてさて鑑賞の始まり始まり~。
所化たちの配役の充実ぶりもあらためて確認。門之助、亀蔵が先頭二人で、松也、亀寿と若手が続き、舞づくしは猿弥で口跡よく明るく決まり!竹本のいいお声は若手の愛太夫だったと再確認。囃方もいつもの傳左衛門社中だし!
花道の揚幕から菊花子が登場、スッポンから出た玉花子が後ろから寄り添う。まさに光と影の花子だ。この黒地の豪華な衣装で白い帯を広げて二人が花道で決まると鳥肌が立つ。舞台を観た時の席からでは全身は見えなかったのでシネマ歌舞伎さまさまである。またこの贅をこらした衣装は玉三郎がお揃いで誂えたのだろうなぁと思いながら見てしまう。綿帽子をとめる飾り金具がそれぞれの紋になっていたり、その上の飾りが色違いになっていたりしていて、アップになることでわかることもあってまた溜息が出る。
花子が所化と問答するところは菊花子がつとめたはずなのに映像では玉花子になる場面もあり、映像ならではのマジックに嬉しく翻弄される。まさに二人で一人の花子という演出が強調されている。二人が入れ替わる場面が何回もあるが、ほーっと見とれているとどこで変わったかがよくわからない。そこまでは気にせずに陶酔感に身をまかせながら見ていく。
さらに予習の甲斐もあって竹本や長唄がけっこう聞き取れると、踊りの当て振りがわかるようになるので見ていて楽しくなってくる。
二人で踊ることのバリエーションがいろいろある。同じ振りをしても身長差があることでより影がつく感じで奥行きが出る。左右対照の振りのシンメトリーの美しさ。上下で決まる、鞠つきも菊花子は低く大きく回って玉花子は高く小さく回って連動する。舞台を観た時に菊花子の表情が硬いと思ってそのように感想を書いていたが、これも同じ表情にしないことが効果を上げているのではというコメントをいただいていた。確かに菊花子が能面のような動かない表情、玉花子の額に皺ができるのも厭わずに鐘への恨みをくっきりと見せることでいろいろな対照を感じ取った。単に静と動ということもあるし、緊張感あふれる若女形と余裕を感じさせる立女形の組合せということをあらためて感じた。
菊花子は硬い感じはするがきちんきちんと楷書のような踊り。玉花子の踊りはこれが渡辺先生のご指摘の「常間常間で踊るのではない」「ぬめり感のある」官能性あふれるものなのかなぁと思った。それが菊花子を影のように姉のように包み込む。
玉花子の菊花子に向ける視線の優しさに愛弟子をいとおしげに見るようなものを感じてしまい、思わず涙目になってしまう。何回も涙ぐみ、何回も鳥肌がたち.....。
1時間強の作品だが、花子や所化が登場しない間に花子の踊りのハイライトシーンがはさみこまれたりもする。これぞまさしくシネマ歌舞伎の作り出す世界だ。
家で予習で見たDVDの画面の中の玉三郎は、若いけれど今の方がトータルとして美しい。まさに芸の花が大輪として咲き誇っている。時分の花の菊之助と二人で踊ることでそれぞれの美しさが際立ち、増幅し、ひとつの宇宙を作り出す。観ているものも日常からその宇宙に持っていかれて陶酔感に包まれる。
なんという貴重な1時間強だったことだろう。
写真は公式サイトよりのチラシの画像。
参考:ウィキペディアの「京鹿子娘道成寺」はこちら
さて、実はこの日はブロガーさんお二人と続けてお話する幸運に恵まれた。有難うございますm(_ _)m
まず、大阪から遠征にいらっしゃったスキップさんの歌舞伎座と演舞場のハシゴの合間に初めておめもじしてのお茶会。ブロガーさんとは初めてでも本当に話がはずんでしまう。これもインターネットの素晴らしい側面だとしみじみ思った。
そして「京鹿子娘二人道成寺」の前の上映回が終わるのをゆっくり待っていたロビーにて、聞き覚えのある声が左の耳に飛び込んできて、そのお顔を思い浮かべて振り向いた途端にそのお顔が目の前にあった。「かつらぎさん!」終わった後にまたおしゃべりの花が咲いたことは言うまでもない。
そして第4弾は玉三郎&菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」!伝説の初演はまだ歌舞伎を本格的に観始める前だったのでノーチェックだった。昨年2月の歌舞伎座での上演を観た。→その時の感想はこちら
一度だけしか観ることができなかったのでシネマ歌舞伎になるとわかってからずっと楽しみにしていた(前売りチケットが綺麗なのでわざわざ買ってしまった)。玉三郎舞踊集の中の「京鹿子娘道成寺」を字幕入りで見て予習。珍しく早めに着いて東劇のソファでプログラムに目を通し、みどころもおさえる。
さてさて鑑賞の始まり始まり~。
所化たちの配役の充実ぶりもあらためて確認。門之助、亀蔵が先頭二人で、松也、亀寿と若手が続き、舞づくしは猿弥で口跡よく明るく決まり!竹本のいいお声は若手の愛太夫だったと再確認。囃方もいつもの傳左衛門社中だし!
花道の揚幕から菊花子が登場、スッポンから出た玉花子が後ろから寄り添う。まさに光と影の花子だ。この黒地の豪華な衣装で白い帯を広げて二人が花道で決まると鳥肌が立つ。舞台を観た時の席からでは全身は見えなかったのでシネマ歌舞伎さまさまである。またこの贅をこらした衣装は玉三郎がお揃いで誂えたのだろうなぁと思いながら見てしまう。綿帽子をとめる飾り金具がそれぞれの紋になっていたり、その上の飾りが色違いになっていたりしていて、アップになることでわかることもあってまた溜息が出る。
花子が所化と問答するところは菊花子がつとめたはずなのに映像では玉花子になる場面もあり、映像ならではのマジックに嬉しく翻弄される。まさに二人で一人の花子という演出が強調されている。二人が入れ替わる場面が何回もあるが、ほーっと見とれているとどこで変わったかがよくわからない。そこまでは気にせずに陶酔感に身をまかせながら見ていく。
さらに予習の甲斐もあって竹本や長唄がけっこう聞き取れると、踊りの当て振りがわかるようになるので見ていて楽しくなってくる。
二人で踊ることのバリエーションがいろいろある。同じ振りをしても身長差があることでより影がつく感じで奥行きが出る。左右対照の振りのシンメトリーの美しさ。上下で決まる、鞠つきも菊花子は低く大きく回って玉花子は高く小さく回って連動する。舞台を観た時に菊花子の表情が硬いと思ってそのように感想を書いていたが、これも同じ表情にしないことが効果を上げているのではというコメントをいただいていた。確かに菊花子が能面のような動かない表情、玉花子の額に皺ができるのも厭わずに鐘への恨みをくっきりと見せることでいろいろな対照を感じ取った。単に静と動ということもあるし、緊張感あふれる若女形と余裕を感じさせる立女形の組合せということをあらためて感じた。
菊花子は硬い感じはするがきちんきちんと楷書のような踊り。玉花子の踊りはこれが渡辺先生のご指摘の「常間常間で踊るのではない」「ぬめり感のある」官能性あふれるものなのかなぁと思った。それが菊花子を影のように姉のように包み込む。
玉花子の菊花子に向ける視線の優しさに愛弟子をいとおしげに見るようなものを感じてしまい、思わず涙目になってしまう。何回も涙ぐみ、何回も鳥肌がたち.....。
1時間強の作品だが、花子や所化が登場しない間に花子の踊りのハイライトシーンがはさみこまれたりもする。これぞまさしくシネマ歌舞伎の作り出す世界だ。
家で予習で見たDVDの画面の中の玉三郎は、若いけれど今の方がトータルとして美しい。まさに芸の花が大輪として咲き誇っている。時分の花の菊之助と二人で踊ることでそれぞれの美しさが際立ち、増幅し、ひとつの宇宙を作り出す。観ているものも日常からその宇宙に持っていかれて陶酔感に包まれる。
なんという貴重な1時間強だったことだろう。
写真は公式サイトよりのチラシの画像。
参考:ウィキペディアの「京鹿子娘道成寺」はこちら
さて、実はこの日はブロガーさんお二人と続けてお話する幸運に恵まれた。有難うございますm(_ _)m
まず、大阪から遠征にいらっしゃったスキップさんの歌舞伎座と演舞場のハシゴの合間に初めておめもじしてのお茶会。ブロガーさんとは初めてでも本当に話がはずんでしまう。これもインターネットの素晴らしい側面だとしみじみ思った。
そして「京鹿子娘二人道成寺」の前の上映回が終わるのをゆっくり待っていたロビーにて、聞き覚えのある声が左の耳に飛び込んできて、そのお顔を思い浮かべて振り向いた途端にそのお顔が目の前にあった。「かつらぎさん!」終わった後にまたおしゃべりの花が咲いたことは言うまでもない。